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放送通訳者直伝!

第108回 最小限の努力で最大限の効果

 最近の英語学習法を見ていると、多種多様のものがあります。リスニングに焦点を当てたもの、映画やテレビドラマを教材にしたもの、シャドーイングや音読、「やり直し」「絶対!」「これだけ」など、インパクトのある書名タイトルなど、書棚を前にどれを買おうか迷ってしまうほどです。

 かつてイギリスに暮らしていた頃、書店の語学コーナーをよくのぞきましたが、日本ほどの規模ではありませんでした。辞書やテキストなどが控えめに並んでいるという印象です。旅先で訪れたオーストラリアやシンガポールも同様でした。どうやら語学というのは日本人にとって大きな、そして末永く続くテーマなのでしょうね。

 さて、指導していてよく受けるのが「お勧めのテキストはどれですか?」「どんな学習法が一番効果がありますか?」という問いです。「先生のイチオシを知りたい」「これさえやれば効果が出るという方法を教えてほしい」という、学習者の切実な思いが反映されています。

 けれども英語学習というのは、一朝一夕で飛躍的な力がつくものではありません。運動選手が地道に毎日コツコツと練習を続けるのとまったく同じなのです。焦らずたゆまず、ただひたすら目の前の課題をこなし続けること。これが結局は長い道のりのようで一番の近道となります。「当たり前のことを当たり前に行うこと」が最大の効果であり、私たちにとっては最大の「難関」なのかもしれません。

 なぜ難しいのでしょうか?それには色々な理由があります。忙しすぎる毎日を私たちは送っていますので、できるだけ労力を少なくして効果を期待したいという思惑があります。また、苦手な課題なのであれば、できるだけそれに「接する時間」を抑えたいという思いもあるでしょう。自分の中で優先順位が低ければ、必然的に最小限の努力で最大限の効果を期待してしまう。それはやむを得ないことなのかもしれません。

 かく言う私も、最近反省することがありました。「マッサージ」に関してです。

 連日パソコンを前にした原稿書きが続き、放送通訳現場ではテレビ画面を凝視しながら同時通訳を行います。姿勢が悪いと緊張感が出ないので、できる限り日常生活でも背筋をぴんとさせようと意識します。その結果、首から背中にかけて慢性的な痛みを感じるのですね。

 以前鍼灸師さんにお世話になったこともあったので、そろそろ行かなければという思いはありました。でも日々の忙しい時間の中から60分の施術時間プラス往復の所要時間を考えると、3時間ぐらいは捻出しなければなりません。他にやるべきことがあるため、どうしても「今のスケジュールから3時間はちょっと・・・」という思いが出てしまったのです。それでずっと行かずじまいになっていました。

 とは言え、痛みが引くわけではありません。そこで思いついたのが通勤途上にあるチェーン店のチェアマッサージ。「これなら着替えなくて済むし、イスでの施術だから、30分コースでも効率的!」と思い立ったのでした。我ながらこれは良いアイデアだと喜び勇んで施術を受けてきました。

 担当者の施術は申し分ありませんでした。わずか30分でコリをほぐしていただけたのですから本当に助かりました。ところがかえって疲労が出てしまったのですね。なぜだろうと思いました。

 マッサージに詳しい人に尋ねてみたところ、30分では担当者もコリを即ほぐそうという思いのあまり、つい強く施術してしまうのだそうです。きちんと着替えてベッドで60分ほど施術を受けた方が、時間配分をしながらじっくりとほぐしていただけるとのこと。

 うーん、なるほどと思いました。英語学習では「コツコツ時間をかけて」と言い続ける私ですが、マッサージでは「最小限の時間で最大限の効果」を求めてしまっていたのですね。本気でコリをほぐしたいのならば、定期的に通院し、自分の体のメンテナンスを行うこと。即効性の効果は求めず、じっくりと自分の体と付き合っていくこと。

 そんな教訓を得たのでした。

(2013年3月11日)

【今週の一冊】

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「飛雄馬、インドの星になれ!インド版アニメ『巨人の星』誕生秘話」古賀義章著、講談社、2013年

アニメ「巨人の星」がインド版になって放映されるというニュースに驚いた方は多いのではないだろうか。私もその一人である。私は幼少期に海外にいたため、実際に「巨人の星」をテレビで見た記憶はない。ただ、あの主題歌だけは何となく聞いたことがあり、ど根性ものということだけは知っていた。それが野球からクリケットへと変えてインドを舞台にするというのだ。非常に興味を持った。日ごろ放送通訳でクリケットニュースに接することが多く、なかなかルールに馴染めない私にとっては、余計反応したのかもしれない。

本書の筆者は講談社の社員。学生時代にインドに魅了され、いつか「巨人の星」をインド人に見せたいという熱い思いを抱き続けてきた。そして実際にそれを実現すべく奔走する様子が本書には綴られている。広告代理店に勤めるスタッフとも意気投合し、二人で激しい議論を繰り広げながらも「巨人の星」を外国に伝えていく展開は実に興味深かった。

これからの時代は、日本の良きモノやサービスを海外に展開していくことだと思う。外国語を学ぶのは、それを外に伝えるためである。海外からの情報の仕入れはもう十分行った。これからは筆者・古賀氏のように、日本を外国に伝えていくことが大切だと思う。


第107回 その場で即断即決

 限られた時間の中でいかに仕事をスムーズに進めるか。これは誰にとっても永遠の課題だと思います。私自身、書店のビジネス本コーナーに出向いては、参考になりそうな書籍を入手し、取り入れられるアイデアは実践してみるようにしています。

 本に出てくるヒントも大いに助けになります。一方、迅速・効率的に仕事をしている方を直接拝見すると、非常に刺激を受けるものです。

 先日も次のようなことがありました。

 ある業務のことでご担当の方に細かいことをお尋ねする必要がありました。先方は多忙な方です。私はその方にお話を伺う際、まずは電話をしてご都合を伺ってから実際に訪ねるようにしています。その日は幸いなことに職場にいらしたので、すぐにお会いすることができました。

 懸案事項は複数ありました。ただ、急ぎの案件はそれほどなく、1週間後にお返事がいただければOKというものがほとんどだったのです。

 さて、いざお目にかかって一つずつお尋ねしていくと、その方はその場でテキパキと即断即決ですべて答えを出してくださったのです。たとえば少し時間のかかる調べ物も、その場でファイルを取り出し、私が必要とする情報を即座に書きとめられるようにしてくださったのでした。また、複雑な内容についても関係者にすぐ連絡を取ってくださり、あっという間に話が進展しました。

 私としては「特に急ぎでない案件は後日お返事がいただければ」というスタンスでした。けれどもその場で一つ一つ対応していただけたことで、すべて懸案事項が解決したのです。その次に控えている私の業務が、おかげですぐに着手できました。

 物事、とりわけ仕事に取り組む際に大事なのは「優先順位をつける」ということです。おそらく私が訪問するまでその方は他の業務に取り組んでいらしたはずです。けれども自分の仕事を中断してまで私の案件を「優先」してくださったのです。本当にありがたいことだと思います。

 これは子育ても同様です。私自身、我が子への対応を顧みると、つい「あとでね」となることがあります。でも、「今、この瞬間」を大切にしてしっかりと取り組むことが大事なのですね。

 訪問先でその方の素晴らしい仕事ぶりを拝見して、自分の業務への取り組みだけでなく、子育てにまで思いを馳せた一日でした。

(2013年3月4日)

【今週の一冊】

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「いのちのヴァイオリン 森からの贈り物」中澤宗幸著、ポプラ社、2012年

 著者の中澤氏はヴァイオリンのお医者さん。プロの演奏家が持ち込むヴァイオリンを修理し、自らもヴァイオリンの製作に携わる。東日本大震災の後は被災地に向かい、津波で流された家屋の木材を使ってヴァイオリンを作った。本書は中澤氏の生い立ちおよび現在に至るまでの足跡が記されている。

 貧しくても愛情豊かな家庭に育った中澤氏は、父親の影響でヴァイオリンに魅了され、やがて自分で作るようになる。そしてひょんなきっかけからイギリスへと渡る。まだ日本人が少なかった時代だ。辛い経験もされている。

 ヴァイオリンは、「生きている木」から作られる。工場生産のようにスピードをもって作れるものではない。木の息吹を感じながら、時間をかけながら、じっくりと完成させるのである。そのために大事なのは「待つこと」だと著者は説く。「仕事のなかに『待つ』という時間をうまくくみこんで、仕事のリズムをつくっていくこと」とある。これは仕事だけでなく、英語学習にも通じると思う。即効性を求めるのではない。時間をかけることも実力をつける上では必要なのだ。

 難しい単語には読み仮名が振ってあるので、小学生からでも十分読める。平易な文章が、著者のヴァイオリンへの思いを際立たせている。


第106回 通訳者から見た理想的セミナーあれこれ

 東日本大震災の直後は国際会議が激減しましたが、最近少しずつ復活しているようです。私はもっぱら放送通訳がメインなのですが、お時間と状況が許す限りセミナー通訳もお受けしています。そこで今回は、通訳者から見た理想的なセミナーについて4点お話いたしましょう。

 (1)事前に資料がいただける

 昨今は個人情報や会社のコンプライアンスなどといった理由から、資料をあらかじめいただくのがなかなか難しい状況です。私がデビューした当時は、電話帳数冊分の資料があらかじめ宅配便で送付され、通訳者はひたすらそれを読み込み、予習をしました。近年はメールでPDFファイル送付というパターンが増えています。ただその一方で、「資料は一切ありません」ということも少なくないのです。
 ところがいざ会場に到着してみると、通訳者デスクの上にドドーンと資料が山積みされています。または、スピーカーとの打ち合わせで「特に原稿はないのよねえ」と言われつつも、手にはカフェのナプキンに殴り書きした構想メモがしっかりあった、ということもありました。「あ~~~、そのナプキンメモで良いからコピーさせてほしかった・・・」と思うこともしばしです。
 走り書きでも殴り書きでもマインドマップでも何でも構いません。スピーカーの「頭の中」を垣間見られる手がかりがあればとにかく事前にお借りしたい。それが通訳者の本音です。

 (2)日本人の自己紹介について

 小セミナーやワークショップなどでは日本人参加者が自己紹介をする時間があります。通常のパターンとしては、「○×△株式会社の新商品企画開発戦略部門でマネージャーをしております柴原早苗と申します」という語順です。しかし同時通訳や逐次通訳の場合、この順序が実は私にとって非常にハードルが高いのです。
 なぜなのでしょうか?それは日本語が「文章の冒頭は高い声で入り、低い声で終わる」という話し方をするからです。「○×△株式会社」あたりは高い声で聞き取れるのですが、「柴原早苗です」ぐらいまでに至るとどんどん声が低くなり、しかも自分の名前を超特急で話し切るパターンがとても多いのです。
 ですのでぜひお願いしたいのは「お名前→肩書き→所属先名」という順序で自己紹介していただけたらと思うのです。「柴原早苗です。マネージャーをしており、新商品企画開発戦略部門に所属しています。○×△株式会社から参りました」という順序ですね。そうすれば一番訳すべき個人名を最初にはっきりと訳出することができます。そして落ち着いて肩書に移り、最後に組織名という形で終えられます。多少時間はかかりますが、この順序で自己紹介していただければとても助かります。

 (3)あいづちはわかるけれど・・・

 以前携わったセミナーでのことです。逐次通訳で、私から左斜め前にスピーカーが話しているという形です。一方、私の右手側には聴衆が着席していました。
 通訳の滑り出しは順調でした。ところが、最前列の聴衆が英語の分かる方だったらしく、スピーカーが英語を話している間、'Uh-hum'や'I see'とひたすらあいづちの声を出していらしたのです。これは私の集中力不足の問題でもありますが、いったん気になってしまうとどうしてもメモとりに専念できなくなってしまうのですね。気持ちよく来ていらっしゃるお客様に指摘することはできませんので、その時はいったん中断してスピーカーの少し近くに私が移動し、そのまま通訳を続けました。
 もし通訳者がヘッドホンもつけず、パナガイドもない中で業務に専念している場合、お近くの聴衆の方は少しだけお気持ちを通訳者に寄せていただけるとありがたく思います。

 (4)豪華ホールでも音響が悪いと大変!

 あるワークショップでのこと。とても立派な施設で、その中の会議室が使われました。ところが音響が何とも通訳者泣かせだったのです。最新のマイクこそ設置されていたものの、壁や天井の作りのせいか、音がわおんわおんと響いてしまったのです。すぐ目の前に話し手がマイクを使ってスピーチをしていましたが、マイクの拾った声が反響してしまい、逐次通訳では非常に苦労しました。むしろマイクなしの方が良かったのかもしれません。
 その時の教訓としては、とにかく早めに現地入りしてマイクチェックを行うこと。ボリュームや調整機能などがあるならば、最大限の努力をしてベストな音響を作り上げること、ということでした。

 お客様にとってより良い通訳を提供するために、これからも改善できる部分は改善を続けたいと思います。。

(2013年2月25日)

【今週の一冊】

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「目で見ることば」おかべたかし・文、山出高士・写真、東京書籍、2013年

 語学の仕事に携わるという日常なので、「ことば」と名のつくものにはつい反応してしまう。本書は新聞広告を見て購入したもの。表紙には干したタコが大写しになっている。その下の帯キャプションが「私が『引っ張りだこ』です」。この本は、様々な言葉の由来を写真で表したものなのだ。

 パラパラとめくってみると実に面白い。「阿吽の呼吸」に始まり、「埒が明かない」まで40の言葉が紹介されている。それぞれには意味が付いており、写真の裏ページには、このことばに付随するエッセイも掲載されている。写真集として、エッセイとして、大いに楽しめる一冊だ。

 私は幼少期に海外で過ごしたこともあり、四字熟語や古典、日本史などが苦手だ。通訳の際にもこの分野が弱いと痛感している。本書を読むことで「知っている熟語」から「使える表現」へと変えていき、日々の会話でも生かしていけたらと思う。


第105回 お役に立ちたい

 東日本大震災から間もなく2年がたとうとしています。ここ数か月、震災関連のニュースは新聞やテレビなどで減ってしまっているようです。せめてこの3月には再び取り上げられることを願います。同じ日本の中でも、まだまだ苦しい状況に直面している方々がたくさんいらっしゃるからです。

 私が指導する大学の教え子は、震災直後に学内サークルを通じて被災地ボランティアをしたそうです。仕事先のスタッフは震災直後に現地入りして、がれき撤去のお手伝いをしたと語っていました。一方、私の夫は被災地の高校で授業をする機会を頂きました。新幹線の最寄りのターミナル駅は今までと変わらなかったものの、海岸の方へ車を走らせるや、その衝撃的な光景に言葉を失ったと語っていました。

 私はと言えば、被災地に実際足を運ぶ機会もないまま今に至っています。それでも何かしらお役に立ちたい。そんな思いから震災関連の本を読み、このコラムでも紹介してきました。被災地で営業していたお店が再開したと知れば、ネットで商品を取り寄せるなど、自分なりにできることを続けています。ささやかではありますが、一人一人が力を出せば状況を変えられる。そんな思いを抱いているのです。ただ、それと同時に「もっと自分は何かやるべきではないのか」「ただ本を読んだりグッズを買ったりするだけでは不十分なのでは」という負い目のようなものも感じていました。

 先日、指導先の通訳学校で短期コースが開催されました。私が担当したのは1日完結の通訳講座です。単発のセミナーには毎回色々な方がいらっしゃいます。短時間で実力をつけたい人、春学期に入学を検討中の方、お試しコースとして受けてみたいタイプなど、実に様々です。

 私にとって今回のコースは特に印象的でした。というのも、被災地で通訳者として稼働している方が参加してくださったからです。

 この方は現在、震災関連のマスコミ取材通訳を始め、司法関連通訳のお仕事もしていらっしゃるそうです。東京から離れているため、なかなか通訳の勉強をする場がなく、自学自習で続けて来たとのこと。そのお話から、何とか今以上の力をつけて仕事に生かしたい、お役に立ちたいという気持ちが滲み出ていました。

 そのとき私は気づいたのです。私の役目というのは、「頑張っている人を応援することである」と。今までは「私が前に出てできることは何か」を考え続けてきました。私「が」実践せねばならないという気持ちが強かったのです。

 けれども被災地支援というのは、必ずしも現地へ出向いたり、寄付をしたり、物資を購入したりすることだけではありません。前線で頑張っている人を応援するのも支援の一環なのだと改めて気づきました。

 私が英語を学ぶ人たちに願うのは「自立した学習者になる」「今の英語力を社会に還元する」の2点です。教師は勉強の仕方を教えることはできます。けれども「生徒の代わりに勉強してあげること」はできません。指導者が学びのきっかけを提供し、学習者が意欲を持って学んでいくことで初めて、実力はついてくるのです。

 被災地はもちろんのこと、それぞれの場で積極的に活躍していく人材を育てたいと思います。「お役に立ちたい」と願う人の「お役に立つこと」をこれからもめざしていきたいと改めて感じています。

(2013年2月18日)

【今週の一冊】

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「いつやるか?今でしょ!」林修著、宝島社、2012年

 私の本業は放送通訳者である。しかし家ではテレビをほとんど見ない。見たい番組がないからである。でもサッカー日本代表の試合だけは好きなので、対戦がある日は放送時間きっかりにスイッチを入れる。試合の合間に決まって流れるのが某大手予備校のCM。それに出演しているのが本書の著者、林修先生である。名せりふは「いつやるか?今でしょ!」。身振り手振りにインパクトのある表情が印象的だった。その台詞がこの本のタイトルになっている。

 本書は予備校生向けというよりは、むしろ社会でがんばっている大人に向けてのエールだと思う。景気低迷で何かと息苦しい今の世の中、どのような視点を持ち、どういう行動をとれば良いのか、著者の経験を踏まえたエピソードが紹介されている。

 印象的な個所がいくつかあった。

 「後悔はやらなかったことから生まれる」
 「『自己満足』を優先すれば、たいていは失敗に終わります」
 「一番恐れなければならないのは、いたずらに恐怖をあおって自らを絶望に陥れること」

 タイトルにあるとおり、大事なのは「いつか」ではなく、やるべきことに「今」取り掛かることである。そうすることで何かが変わる。そのような信念を持って生きていくことが大切なのだ。

 ところで林先生のCMセリフ「いつやるか?今でしょ!」はここ1年ほど別の文章に変わってしまった。また見たいなあと思っていたところ、何と最近はトヨタのCMに起用されていたのである。こちらも見ごたえ大。何よりもトヨタのコマーシャルに抜擢した広告代理店の目の付け所に脱帽。


第104回 片づけの効用

 ここ数年、片づけや断捨離といったキーワードがブームです。あふれかえったモノを処分し、すっきりとした暮らしを営むことにより、心も体もリフレッシュできるというのがその考えの根底にあります。

 私は子どものころから物を片づけるという作業が好きでした。強制的にしつけられたわけではありません。今ある状況に変化を加えることで、何かしら改善が見られるのが嬉しい。そんな単純な理由からでした。幼少期にイギリスにいたころ、英語ができず、内向きだった性格もあったのでしょう。友人と遊ぶ代わりに身の回りの整理をして時間をつぶしていたのかもしれません。

 近年の私の片づけはパターン化しています。定期的に行うのではなく、むしろ発作的に片づけを始めます。通訳業務の準備中、突然取り掛かることもあります。「う~ん、机の中身が出しづらい!」となるや、資料そっちのけでせっせと入れ替えをしたこともありました。もっとも、後になって慌てて通訳資料の読み込みをするわけですが。

 大抵の場合、ラジオやCDを付けてアップテンポな音楽をBGM代わりにしています。一人カラオケ状態になるとリズムやビートが影響するのか、意外と物の処分が早く進みます。

 昨日もひょんなことから片づけに取り掛かりました。ただ、今までとは少し異なる結果になったのです。近年の片づけ本では、「机の上をすっきりさせる」「今使わないものは卓上に出しておかない」というルールが見られ、私もそれに従っていました。けれども、「そこそこ頻繁に使うものを引き出しにしまうと、かえってその都度出すのが億劫になる」と感じていたのです。

 そこで発想の転換を図りました。今まで引き出しにしまっていた英和辞典と国語辞典を再び机の上に出すことにしたのです。それまでは「机の引き出しの最上段は一番使いやすいので、そこに使用頻度の高いものをしまう」ことを順守していました。でも、いくら「開けやすい引き出し」に入れても、やはり取り出すだけでひと手間ふた手間かかります。ならば、出したままにしておこうと思ったのです。

 考えてみたら、ことばを生業としているのですから、自分が一番大事にしている「ことば」関連のものは、すぐ手の届くところに置いても良いわけですよね。ハウツー本のルール「だけ」にこだわりすぎるのではなく、少しずつ改善を加えて自分なりの法則を打ち出すことも大切だと改めて思いました。

 さて、片づけの効用とはどのようなものでしょうか?私にとっては何と言っても「工夫して改善した結果、格段に使いやすくなった」と実感できることです。今も「格段」という言葉をこのコラムで用いる際、「あれ、『格段に』だっけ?『格段と』だったかな?」と迷ったのですが、目の前の辞書をすぐに引くことができました。こうした「効果」が嬉しいのですね。

 暦の上ではすでに春。合間を見ながら少しずつ色々なところを片づけていきたいと考えているところです。

(2013年2月11日)

【今週の一冊】

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「教え上手」有田和正著、サンマーク出版、2009年

本を読んでいて楽しいのは、芋づる式に新たな書籍との出会いがあることである。本書を知ったのもそんなきっかけだった。先日、我が家の近所にある大学に出かけた際、生協の書店に立ち寄った。そこで手に取った本が面白く、その中で勧められていたのが今回ご紹介する「教え上手」である。

有田先生は小学校で長年教鞭をとられ、「教育界のカリスマ」と評されている。授業の進め方、児童の引きつけ方など、子どもたちのことを第一に考えた運営は多くの若手教員を魅了している。

私を含め、教える立場にいる人というのは、ついつい「たくさん教えたい」という思いに駆られるのではないだろうか。授業中にあれも伝えたい、これも覚えてもらいたいという具合に、授業準備で知ったことを、教壇からどんどん話したくなってしまうのだ。

けれども「教え惜しみ」こそ自力で考える力を養うと有田先生は説く。私の場合、終わりのチャイムの時点で授業をすっきり完結させたいと考えていた。一方、有田先生によれば、余韻を残し、「どうしてそうなのだろう?」というモヤモヤ感や疑問を抱かせた状態で終わらせた方が、生徒は自力で調べるというのだ。

「人を教えること、人を育てることはもともと時間のかかる行為です。その手間を惜しんで効率やスピードばかり求めていたのでは、大切なことがつたわりにくくなってしまう。」

 このように有田先生は述べている。

 学ぶ際に大事なのは、効率ではない。むしろ「ムダや遠回り」こそ知は膨らみ、深みを増すと説く有田先生。教育の場だけでなく、子育てでも部下の教育でも参考になる、そんな一冊であった。



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プロフィール

柴原早苗

柴原 早苗さん
上智大学卒業、ロンドン大学LSEにて修士号取得。ロンドンのBBCワールド勤務を経て現在はCNNj、CBSイブニングニュースなどで放送通訳者として活躍中。 アルク「English Journal」でBBC Newsを監修した後、現在はNHK「ニュースで英会話」ウェブサイトの日本語訳・解説を担当中。 通訳学校で後進の指導にあたるほか、大学の英語学習サポートルームにて英語学習アドバイザーも務める。 著書に「通訳の仕事 始め方・稼ぎ方」(イカロス出版、2010年:共著)。