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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.35 言語と文化はつながっている

【プロフィール】
ロミ 眞木子さん Makiko Lommi
フリーランス通訳・翻訳者。フィンランド、ヘルシンキ在住。
上智大学外国語学部ロシア語学科卒業
ビリニュス大学言語学部リトアニアン・スタデーィズ修了

2010年のお正月休みを利用して数年ぶりにご家族と帰国されたロミ眞木子さんに色々とお話しを伺いました。IKEAやH&Mの日本進出もあり、今やブームの域を超えて日本でもすっかりお馴染となった北欧カルチャーの発信地のひとつでもあるフィンランドに渡ったいきさつ、言語や学ぶことへの情熱を熱く語っていただきました。
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Q . ロミさんが翻訳と深くかかわるようになったきっかけを教えてください。

子どもの頃、家の近くで英語を習っていました。そのお陰なのか、昔から英語の成績が良く、また母の影響で世界各国の映画を見るのも好きで高校生の時から周囲に「将来は字幕翻訳でもやったら?」と言われながら、そのまま上智大学のロシア語学科に進学しました。

上智在学中に、ある国際映画祭で行われたシンポジウムの内容を翻訳する機会をいただき、さるドキュメンタリー映画に字幕で使用されました。それはその時限りで終わったのですが。

卒業後は損保会社に勤務し、保険、金融の分野を中心に英語と関わる業務をしながら損保協会で開催される貿易英語やコレポンのセミナーに参加したり、会計英語をかじったりしながら地道に英語の勉強は続けていました。

そんな中で、ぼんやりと1~2年留学してみたいな、と思い始め、英語圏に行くことも考えたのですが、大学でロシア語を勉強してロシアやバルト三国に興味がありましたので、会社を辞めて1998年にバルト三国のひとつ、リトアニアに留学することになりました。留学は1年の予定だったのですが、政府奨学金がいただけることにもなり、また留学先のビリニュス大学で日本語講師の仕事もやっていたのでもう1年いることになり、合計2年いました。

2年目にひょんなことからある翻訳会社さんに登録しませんか?と声をかけていただき、一時帰国中の出向やオンラインでお仕事をいただく機会に恵まれました。また、留学中に現在のフィンランド人の夫と知り合い、リトアニアからフィンランドに渡り、フィンランドで文化事業団体のインターン勤務などを経て本格的に翻訳を始めるようになりました。

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Q. いつごろから翻訳を職業にしようと思われたのですか。

ヨーロッパに来てから翻訳会社さんに声をかけていただく機会が増えた頃からでしょうか。正直、初めは受身的な気持ちも半分で、それほど高い職業意識があったとはいえなかったと思います。それでも、お仕事が増えるにつれてもっと勉強を!となり、自分からも翻訳会社さんにアプローチしていくようになりました。幸い、自分自身、語学を勉強してきたので、外国語の勉強方法も知っていましたし、言葉というものはいつも文化と繋がっていますので文化についての勉強方法も知っていました。そういった地道な努力をヨーロッパに渡ってからは欠かさずやってきましたね。また、フィンランドにいる自分がやっているものはこれだ!と誰にでもわかってもらうには「翻訳」という選択肢は非常にわかりやすいな、とも考えるようになりました。また、子どもたちのことを考えると自然に翻訳を仕事にしていくというスタイルになっていきました。さらには、フィンランド国内からも翻訳の依頼が来るようになったため、昨年フィンランドで翻訳事業者として正式に登録をしました。

Q. ロミさんにとっての翻訳の魅力を教えてください。
私、構文の分析が大好きなんです。難解になればなるほど燃えると言いますか(笑)分析をしてその英文を自然な日本語に置き換えていく作業自体がすごく楽しいところが魅力ですね。

もうひとつは、ご依頼いただく文書の内容でしょうか。時代の流れをいち早く知ることができるように感じるところです。もちろん、全て機密事項ですが(笑)いただく原稿で時代を知ることができますね。そして、自分もその先端にいると感じるだけでなく、そこで自分も何かをしているんだと思えることは本当に魅力的で興味深くもあります。

Q. 翻訳以外のお仕事も幅広くご活躍されているようですが具体的にお話しを聞かせてください。

日本からフィンランドへいらっしゃる方へのガイドや通訳などをしています。フィンランドへ視察や調査にこられる方に通訳のお仕事をさせていただく機会が出てきたため、まずは2年ほど前に公認ガイドの資格を取りました。もちろん、観光客へのガイドもやっていますし、フィンランド滞在中に急な病気や怪我に遭われた方への医療通訳もしています。翻訳という仕事は人と会わない時間が多いので、それでバランスをとることにはなっているかもしれません。また、フィンランドに移った時に、できることは何でもやっていこう!と思っていましたし、いただくお仕事は基本的に全て引き受けるというスタンスでしたので。でも、特に通訳を通して色々な方にお会いすると、自分にはまだまだ通訳技術の勉強が必要だなと感じます。その他にもいろいろな仕事をしてきましたが、すべての精度を同じように上げていくことは少し難しいと感じているので、今後、仕事は多少淘汰されていくのかなとも感じています。例えば、以前はメディア関係のコーディネートなども承っていましたが、最近は時間的な都合でお引受できないケースも出てきています。また、2006年から、毎週土曜日にこちらの日本語補習校でフィンランドに在住する日本人の子どもたちに国語を教えていたのですが、大変残念ながらこの3月一杯でお休みをいただくことになりました。

Q. ロミさんの今後の目標や夢をお聞かせください。
やはり、言語を軸にクライアントのニーズに合わせたサービスを提供し続けることでしょうか。翻訳はやっぱりサービス業だなとつくづく思います。専門性の高い仕事ですが、クライアントあっての仕事なのでやはりクライアントに満足していただかないと意味がないですから。

翻訳以外では、今年からフィンランドでの通訳者の資格コースに通っています。様々な公共の場、例えば病院や警察、裁判所などですが、いろいろな方にそのような場所であまりお会いしないほうが良いのですが、そういった公共性の高い場で精度の高い通訳をするための資格です。その資格をとることが今の目標ですね。また、最近は広告関係や文芸翻訳など人目に触れるような翻訳依頼も多くなってきましたのでそれをより良いものに仕上げていくことも目標ですね。長期的な夢としては、また大学に行って学位を取りたいと思っています。子どもと一緒にでも(笑)

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Q. 最後に翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

翻訳者というのは極端な話ですが、自分が今日から「私は翻訳者です」と名乗ればできます。でも、翻訳をやるからにはその成果物をお客様へ「きちんとした商品として出せるのか?」ということは常に頭に入れておくべきだと思います。さきほども言いましたが、翻訳はクライアントあってのサービス業だと考えるからです。
また、これは私の座右の銘のようなものでもあるのですが、「言語の専門家を名乗る時、その人はその言語が生まれた背景、文化、社会、歴史に通じている」と。それを前提にして言語に関わると、自分がどこまで何を知っていて、何を知らないのかがおのずと見えてきます。それはまた自分の得意分野も知ることにも繋がります。だから、目先の仕事が欲しいというだけでなく、今申し上げたようなスタンスを持つと翻訳の基礎体力のようなものがついてくると思います。また、言葉に対峙するとはどういうことかという心構えを最初に作ってみるのもいいと思います。最後は、ソース言語とターゲット言語についてきちんと勉強することですね。特に私同様、海外にいらっしゃる方は自分の日本語力が見えてこなくなることがありますので意識して勉強されてみてはどうでしょうか。

編集後記
大きな瞳をクルクル動かしながらよく通る声でお話しされる姿がとても印象的でした。どこにそんなパワーがあるんやろ?と思ってしまうほど小柄なロミさんから想像もできないほど行動力に溢れたエピソードには思わずこちらが脱線して質問してしまうほどでした。言語と真摯に向き合い、ロミさんにしかできない通訳・翻訳とは何かを常に模索しながらも、異国でご自分のアイデンティティを確立なさっている生き方は大いに刺激になりました!お忙しい中、本当にありがとうございました。


Vol.34 翻訳は言葉をつなぐパズルのよう

【プロフィール】
高島京子さん Kyoko Takashima
幼少時代をニューヨークで過ごし、その後日本とアメリカとを数年ごとに行き来する。ワシントンDCのジョージタウン大学を卒業。米中商工会議所でのインターンシップ、シカゴ商品取引所での先物ブローカー業務などを経て、台北のアパレル会社勤務。現在は中国語の勉強をする傍らフリーランスの日英翻訳者として活躍。

Q.語学に興味を持たれたきっかけについて教えてください。
子供の頃、父が仕事の関係で二度アメリカに転勤したのですが、それに伴い、家族が日本とアメリカを行ったり来たりしていましたので、バイリンガルな環境で育ちました。引っ越すたびに、現地の言葉を身につけなければなりませんでした。サバイバルのためでしたが、それが決して嫌ではなく、言葉の仕組みを学ぶことがまるでパズルのようで好きでした。学べば学ぶほど世界が広がる達成感がありました。

最初にニューヨークに移り住んでから8歳で日本へ帰国したあとは、英語力をどう維持するかということが問題でしたが、両親が英会話や帰国子女の会などに通わせてくれたお陰で、小学生レベルの英語とはいえ、その後アメリカの高校に編入した際の英語の基礎となり、とても助かりました。アメリカでも自宅ではいつも日本語での会話だったのですが、それが逆に日本語の維持に役立ったのだと今では思います。

日本に戻ってからも、国語はもちろん、古典や漢文も得意分野でした。アメリカの大学では中国語やイタリア語を勉強し、また日本文学の教授のリサーチアシスタントとして、日本語と英語の翻訳や通訳などをする機会に恵まれたこともあり、語学関連の仕事は自分に向いているのではと感じていました。翻訳は孤独で地道な作業ですが、それがかえって自分の性格には合っていて、将来翻訳者の道に進むことができればいいな、と思うようになりました。

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Q.翻訳をご職業にされようと思われたのはいつ頃でしょうか?
大学時代に翻訳や通訳の経験を多少積んだことで、職業として翻訳業に携ることは漠然とは考えていましたが、卒業後はシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade)で現地のブローカーと日本のクライアントとの掛け橋となりオーダーを執行する仕事をしました。そこでは業務の一環としてマーケットレポートの英訳を任されるようになり、金融関連の翻訳の基礎を築くことができました。また、米中商工会議所では、中国への語学留学経験もあったことから興味をもった米中間のビジネス面での交流について勉強させていただきました。このような経験を経て、国際交流や異文化コミュニケーションにかかわる仕事にますますひかれるようになったのですが、本格的に翻訳の仕事をはじめたのは、引越しを頻繁にし始めた頃です。ここ数年でも、シカゴ、ニューヨーク、台北、と移り住んでいますが、パソコンとインターネットさえあればできる仕事である、ということはとても大きな魅力のひとつです。テンナインさんに登録させていただいたのも、ちょうどニューヨークに越したときだったと思います。語学を活かした仕事をしたいという思いとライフスタイル面でのニーズの両方を満たす翻訳業に自然とたどりついた、といえます。

Q.失敗談などございましたら教えてください。
今のところは、幸い大きな失敗は有りませんが、それに甘んじず、日々が勉強だと思って、一つ一つの仕事を丁寧にこなして行くことだけはいつも心掛けています。

Q.もし翻訳者になっていなかったら?
金融関係や貿易関係など、やはり好きな語学を活かせる仕事を選んでいたとは思います。ただ、ライフスタイルからすると、本当に翻訳の仕事が今の自分に合っているので、正直翻訳以外は思いつきません。翻訳のレベルに達するにはもっと勉強が必要なのですが、中国語を学んでいます。台北に越してからは、現地のアパレル会社でしばらく勤めていたのですが、中国語の勉強になったことはもちろん、こちらの組織の文化やビジネス習慣に対する理解も深めることができました。せっかく中国語圏に住んでいるので、中国語は今後も学び続けていきたいと思っています。日々、様々なニュースに目を通す習慣をつけ、インプットされた知識や情報が素早く日本語、英語、または中国語で出てくるようにさらに努力をしていきたいです。

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Q.以前、YMCAにて小学生にボランティアでバイオリンを教えていらしたということですが、ご趣味は何ですか?
最近は全然練習していないのですが、子供の頃からバイオリンを習っていたので大学時代にはオーケストラに入っていました。ボランティアで地元のYMCAに行き、ワシントンDCに住む子供たちの課外活動としてバイオリンを教えていました。バイオリンは現在冬眠中ですが、今、はまっているのは洋裁です。もともと手芸が大好きで、帰国すると母とユザワヤに行ったりします。洋裁は台湾人の先生に習っているのですが、日本でも洋裁を勉強され、パターンの作成など日本の洋裁教育に基づいたシステムを台湾で広めている方です。日本で指導を受けた台湾人の先生に、私のような日本人が中国語で洋裁を教わる、というのも少し面白い話ですが、台湾と日本の歴史を考えると納得です。

洋裁が好きになったのも、翻訳と似ている点があるからでしょうか。洋裁も翻訳もプロジェクトベースで作業を進めていくところが共通しています。努力の成果が直にみられて達成感を味わえますが、少しでも手を抜けばそれも一目瞭然です。翻訳ですと正確かつ適切で統一感のあるきれいな訳文、洋裁ですと裁断から縫製、アイロンがけまできちん仕上げた美しい洋服--どちらをとっても細部まで神経が行き届いた完成度の高いものは、すばらしいと思いますし、そういう仕事ができるようになることを目指しています。細かい作業が苦にならないので、翻訳をする際も、言葉をパズルの様にパーツパーツで組み合わせて、どうすれば一番きれいな仕上りになるかな、と考えながら作業します。絵を描くことも好きで、構図などを考えるのが楽しいです。翻訳のときもレイアウトをきれいに整えたりするのがもともと好きですね。

Q.今後の目標は?
日英翻訳の実力を高めていくことはもちろんですが、中国語ももっと上達させたいです。将来的には翻訳できるくらいのレベルになることも視野に入れています。

Q.翻訳者を目指している方に向けてのメッセージ・アドバイスをください。
自分の得意分野を確立する、ということは実は大切ですね。得意分野を作って自信が持てる翻訳ができるようになれば、それだけ翻訳会社からお仕事を頂けるようにもなるのではないでしょうか。また、先にもお話しましたが、やはり日頃から積極的に情報収集するという心掛けが大事です。興味のあること以外の分野でも、新聞やテレビなどから得る情報は翻訳する際にとても役に立ちますから。リサーチ力を養うことは大切だと思います。

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編集者後記:
 テンナイン翻訳部でも引っ張りだこの高島京子さん。今回は普段お住まいの台北から一時的にご帰国されました機会に、このインタビューを快くお引き受けくださいました。お願いするお仕事ではレイアウトまで完璧に統一された素晴らしい内容。以前から是非お会いしたいと思っていましたので、直接お話しができたことが本当に嬉しかったです。また、
ご本人は否定なさっていましたが、翻訳のお仕事のやり取りの随所からうかがえる几帳面さと、お仕事に対する責任感、語学への飽くなき探求の精神には、本当に"脱帽"です!



Vol.33 自分で見て聞いて判断することを大切に

【プロフィール】
河野光明さん Mitsuaki Kohno
大阪外国語大学英語科卒。卒業後、輸出関連の会社に就職する傍ら翻訳学校に通う。その後、海外向けの広告制作や出版、翻訳を手掛ける会社に就職。講談社70周年記念映画、「東京裁判」(小林正樹監督)の英語版制作に携わる。昭和62年には同社の翻訳・広告部門を継承し、翌年有限会社カテラを設立。その後、派遣翻訳者として大手法律事務所にて法律翻訳の実績を積み、現在は契約書の和文英訳を中心にフリーランスの翻訳者として活動中。

Q.語学に興味を持たれたきっかけについて教えてください。

中学時代、英語の先生の教え方がうまく、そのころから語学に興味を持ちました。
数学は得意では無いので、総合大学も受けました、が、まあ他に道が無かった、と言うか、、、。
(大阪外国語大学の入学試験は)英語が200点で、確かその他は、国語、世界史でしたが、英語の配分が高かったんです。

大学を卒業後、電線メーカーに就職しました。海外部で電線の輸出に関する業務です。アメリカやヨーロッパなど先進国は電力ケーブルや通信ケーブル網なども発達していますから、相手は発展途上国ですね。当時は中近東だとか東南アジア向けが主でした。海外工事で数ヶ月から数年かけて電線を敷設してから、現地の電力プラントや施設が稼働するまでサポートするわけです。そういった工事に関連する商談がありました。翻訳は殆ど関係なく、実際は輸出関連の業務で、見積りを作成するなど商社と協力しての仕事がメインでした。これこれこういう電線をいつまでに納品、など、進捗管理、コーディネーションをするような立場です。また、昔は通信手段と言えば、テレックスや、遠距離通話料金のかかる電話・ファクスでのやり取りでした。コンピューターすら使用していない時代ですからね。

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Q.翻訳をご職業にされようと思われたのはいつ頃でしょうか?

電線メーカーにいたとき、退職する半年か1年くらい前だったと思いますが、翻訳学校に通い始めたんです。急に思い立ったわけでは無く、やっぱり語学に興味があったんですね。それと、自分は組織の中で、うまく立ち回れる気がしなかったんです。大学時代に何か自分でやれる仕事がいいな、と思っていたところ、先輩が翻訳業のことを教えてくれ、そんな仕事もあるんだなぁ、と。それ以来ずっと翻訳業のことは頭の中にありました。将来的には翻訳者の道で独立していければいいなと思っていました。

最初の会社を辞めて、実は一度故郷の長崎に帰ったんです。そこで何かできないかな、と思ったのですが、そうしたところ、長崎で実際に翻訳をしている人がいて、翻訳の仕事をするなら都会へ出なさい、と言われました。地方ですと仕事が無いんですよね。今のようにメールもありませんでしたので。英語はタイプライターで、日本語は400字の原稿用紙に手書きで、実際に翻訳物を手持ちするわけです。タイプミスは修正液で直すため、同じところを何度も修正するとそこだけ修正液の重ね塗りで膨れたり、破れてしまうこともありました。宅急便もありませんでしたし、郵送で2~3日かかることもありますから。でも、納期は今と同じくらい厳しかったですね。翌日までに40枚の翻訳という仕事もありました。特に広告代理店の依頼などですよね。単価自体が悪くないだけに納期は厳しかったんですね。後年になってフロッピーで届けることもありました。この10年くらいのCP環境の進歩は素晴らしいです。在宅翻訳者さんは動き回ることをあまり好まない人も多いと思いますし、便利になりましたね。

Q.翻訳の仕事の面白さ、やり甲斐を感じる時は?又は大変さについては如何でしょうか?

契約書や法律についてであれば、広告の仕事に携わっていた際に、海外のタレント関連の仕事や、珍しいものですと、Jリーグ発足時の契約書関連の仕事がありました。契約書翻訳と言いますと、「型」のようなものがあるので、規則正しいところが自分に合っているな、と思いました。海外のサッカーリーグが既にありましたが、Jリーグ立ち上げ時に参考にしなければならない規約が沢山あり、弁護士の指導を受けて和訳をすることが主なものでしたが、まずは納期を守る、ということが一番大変なことでした。全体量から、1日にこれだけは最低限進めよう、という具合にペース設定しました。自分で仕事を受けるようになれば、自分の体調を管理することも重要ですよね。お客様には翻訳者の体調は関係ありませんから。幸い僕の場合は身体的な問題はありませんでしたが、今後年齢を重ねるわけですから管理には気を配ります。体力が弱い方にとっては厳しい仕事ですよね。また、何日間も仕事が無いときなどもありますから、それに耐えて新規開拓して行く気力なんかも必要です。受ける仕事の量についても、多少は自分にハッタリをかけて、多少多めでも受け、その後で何とか配分を考えてやり抜きます。

Q.契約書や法律翻訳をご専門にされていますが、その分野で大変なところ、または面白いところを教えてください。

契約書の翻訳の場合は、一度納品して終わり、ということではなく、ここがまずい、次はここがまずい、という具合に最終版が出るまでに改訂が入ることがありますから、そういった場合は期間が長くなり、相当な分量になりました。また、資料の性質上、後になって間違いがあるということは許されませんから、正確さが必要です。

契約書の翻訳には、明確にするために同義語を併記する表現(例えば、make and enter into(締結する)、alter, amend, modify or change(変更する)など)が多く存在しますね。ただ、最近はPlain Englishと言って、法律翻訳全体に、もっと簡単な表現にしていこう、という流れが出てきました。文の頭が長々と続き結論が後に来るような読みづらい契約書が多いのですが、This Agreement is~と、isを最初に持ってくるなど、あくまで分かりやすいものを作成しよう、ということです。契約書なので、内容を落としてはいけないですが、表現をシンプルにする、という流れには大賛成ですね。Plain Englishに関する本もたくさん出ていますよ。

契約書翻訳は、ある意味一般のビジネス翻訳よりパターン化されている部分が多いので、型さえ習得すれば、慣れてくるととっつき易いかもしれません。2年くらい学ぶと大体はこなせるようになるとも言われています。僕の場合は翻訳の基礎を翻訳学校で学んだことがありますが、殆ど現場で翻訳をこなし、あとは独学なんです。また、契約書の翻訳で英語ネイティブが問題になるのは、日本語原文の読解力ですよね。日本人は英語力なんですが、、、ハハハ。通常の英訳ならネイティブには敵いませんが、法律翻訳について必要なのは表現の巧みさよりも原文の読解力と正確に伝える英語力が大切なのです。そういう意味では、法律の勉強こそ必要ですが、日本人でも十分やれる分野だと思って契約書を選びました。以前法律事務所で弁護士さんにも確認しました。やはり内容を正確に読解し、正確に伝えることが一番重要だ、という認識で間違いありませんでした。

いずれにしても、仕事にする、という意味では楽しいだけでは翻訳はできませんね。翻訳で生活してゆく、ということは相当に厳しいことですから。派遣翻訳者として法律事務所に行ったときも、話の経緯の分らないメール文書などを訳すわけですから、主語さえも分らず、最初はチンプンカンプンでした。


プロはここが違う河野光明さん2.jpgQ.もし翻訳者になっていなかったら?

希望としては外へ出て活躍できるような仕事が本当は好きなんですよね。
このことになると熱くなってくるんですが、国防、防衛に関係する仕事、例えば自衛隊ですとか、海上保安庁ですとか、最近特に興味が強くなってきましたね。昔からそういった話を聞いたりするのが好きだったんです。対外的な問題で日本政府があまりにも腰砕けなものですから! 「義憤」にかられることが多いですね(笑)。まあ、今からなれるわけではありませんから。または、動物園の飼育員ですかね。動物が大好きなんですよね。今はマンション住まいなのでメダカくらいしか飼えませんが、昔は犬も猫も飼っていました。心がほっとするんです。

最初に就職するときには、何をしたいか、なんて分からなかったですね。一般企業に普通に就職して、というのが僕の時代は普通のことでしたから。今思えば、もっと自分の考えをしっかり持って、思った道にパッと入っておけばよかったな、という思いがあります。早い段階で自分はこうなりたいんだ、という思いを持つことが大事です。

Q.ご趣味は?

散歩しながらいろいろ見て歩くことです。昔、大阪から長崎までを歩いてみたこともありました。最近は街道を歩くのが好きなんです。この道を武田信玄や上杉謙信の大軍勢が通ったのか、とか想像しながら歩くんです。府中の方には大国魂神社というところがあるんですが、神社での剣の奉納試合に出るために、新撰組の土方歳三だとか沖田総司だとかがこの道を通りましたよ、などと書かれているのを見ると、もう感激ですね。最近は機会が無いのですが、一度に大体10km~20kmは歩きます。江戸時代の人など、1日に10里(40km)位は歩いたようですから、現代人とは体力、精神力が違っていただろうな、と思います。

読書も趣味です。ノンフィクション、伝記、歴史が好きですね。海外のものより日本のもの、特に最近は戦後について書かれたものを読みます。最近、自分で史実を理解しようともせずに、マスコミなどに洗脳されて日本人が自虐史観を持つような流れにあることがどうも気になるんです。渡部昇一さんなど英文学者ですが、物凄く正史に造詣が深いですね。あとは落合信彦さんなどは強烈ですよね。読書は仕事の合間や電車での移動時間など少しでも時間を見つけて息抜きにしています。契約書翻訳が固いので、本当はフィクションなども読んで幅を広げたいとは思っていますが、人生の残り時間が少なくなってきましたから、、、(笑)。若い方は小説なども読んで幅を広げられた方が良いと思います。バランスですね。

Q.空手を40年以上続けていらっしゃる、ということですが。

長崎で始めましたが、すぐれた師に巡り合えたと思っています。また、世界チャンピオンだった人がフィットネスクラブで子供たちを集めて空手教室を展開しており、講師として教えていたこともあります。今ももちろん定期的に空手をやっていますが、これは、趣味というよりも、もう習慣のようなもので、楽しんでやる、というのとはちょっと違うんです。人生の一部、とでも言いましょうか。

Q.今後の目標などはありますか?

まずは翻訳を業として固めたいですね。仕事には、時期によってばらつきがあります。先ずは、コンスタントに仕事を確保して「売れっ子」になることです。
契約書メインでやりたいですが、貿易の仕事もしていましたので、商用通信(コレポン)などもありますが、大体どこも社内で処理され、外に出てくるケースは少ないですね。
 あとは翻訳者の地位向上です。翻訳や通訳者は(言語変換)マシンのように見られることもあります。また、翻訳者自身も反省すべき点はありますが、処遇が改善されると素質ある人も出てきて、品質面でクレームが絶えない業界のレベルアップにつながると思います。


プロはここが違う河野光明さん3.jpgQ.翻訳者を目指している方、また、若者に向けてのメッセージ・アドバイスをください。

若くて頭が柔軟なうちから、如何に多くを読み、書き、話し、聞く、ということが大切だと思います。できるだけたくさんインプットして、それを自然とアウトプットできるようになるまで訓練する。以前に出会った同時通訳者も同じ考え方でした。彼は若いのに凄いな、と思います。イギリス留学中に、とにかく物凄く英語の本を読んで、相手が日本人でも英語で話しかけたらしいです。自然と口を衝いて出てくるようになる程やってみる。日本にいるとそういった環境に身をおくことは難しいかもしれませんが。

また、翻訳者を目指されている方の中には、在宅の仕事はマイペースでいいな、と憧れている方もいらっしゃると思いますが、職業として翻訳の仕事をする、というのは並大抵のことではありません。営業努力も必要ですしね。そういう職業としての覚悟を持ち、自分の専門も決めることですね。何でもやる、ということは不可能ですし、逆に信用されません。専門分野を決め、絶えず勉強する姿勢が必要だと思います。

若い人(に限りませんが)に向けては、先ほどお話した戦後のことに関連しますが、マスコミが報道する偏向したニュース、反日思想などに煽られ、日本についておかしな自虐史観を持つようにはなってほしくないですね。今のマスコミは、新聞やTVなどおかしい報道やコメントが多いです。社説などはその新聞社の考え方が出ますから。また、政治家に見られますが、他国からの内政干渉に呼応して、ある部分だけを捉えて自国を悪く言う精神構造も理解できません。これでは、国民は国や政治に誇りを持てません。日本には武士道に基づく固有の立派な思想や伝統、習慣があるにも拘らず、古いとか、すぐに戦争に結び付けて否定してしまうことも愚かだと思います。良いものまで否定して国の根幹を無くしていくこと、日本が日本で無くなる、自分の国が自分の国で無くなる、などということがあってはいけないんです。考えると、「憤死」しそうになることがあります(笑)。ネットは悪い面もありますが、マスコミによる一方的な報道とは異なり、色々な人が多面的な意見を繰り広げることができるようになり、斬新な意見を発表したり目にしたり良い面もあります。偏向報道や思想に左右されることなく、先ず自分で調べ、考え、判断して行くようにしたいものです。

 

プロはここが違う河野光明さん4.jpg編集者後記:
空手歴40年、趣味は幕末~戦後のノンフィクションや伝記などの読書、ということだけあり、とても骨太なお話をお伺いすることができた、貴重なお時間でした。でも、お話しされていて随所にこぼれる、優しい、素敵な笑顔が印象的な河野さん。当日はインターンシップ生もインタビューに同席しましたが、若い彼女たちにも、河野さんのお話は本当にためになったはずです。私もあと10年くらい早くお会いしたかったです!


Vol.32 翻訳業はサービス業だと思います

関 美和さん Miwa Seki
1965年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。電通、スミスバーニー勤務の後、ハーバード・ビジネススクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める。現在はベビーシッターの会社のメイ・コーポレーション代表取締役。ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー誌などの翻訳者としても活躍中。


Q.経歴を拝見しましたが、関さんと英語の深いかかわりをまずは学生時代からお聞かせください。

― 福岡県の郊外で英語とは無縁の小学生時代を送りました。
中学校が私立のミッションスクールで郊外の学校にしては英語教育が充実していたのですが、その前から英語を話す外国人って格好いいな、という漠然とした憧れはありましたね。また、本を読むのが大好きでとにかくたくさん本を読んでいました。

大学は、慶應の文学部と法学部に合格したのですがなぜか文学部へ進学し、英語の勉強はきちんとやりました。でも、この時期はまだ英語と「深くかかわる」ことはあまり意識していませんでした。卒業後の進路についても大学院へ進学するか、アメリカに留学するか、などと漠然と考えるくらいで、最終的に電通へ入社しました。当時はバブル全盛期でしたが、四年制卒の女子の総合職の門戸は今ほど広くなく周囲の友人で外資系へ入社する人もたくさんいましたね。電通へ入社したものの、やはりもっと勉強してみたいという気持ちが強くなり勉強するならハーバードだ!と思い(笑)だから外資系企業へ転職しようと考えました。外資系企業に既に就職していた先輩の話しを聞いてますますその想いは強くなりましたね。

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Q.では、外資系企業へ転職をされてから英語と更に深くかかわっていかれたのですか。

― 外資系企業から声をかけていただき、そこへ転職して2年後にハーバード・ビジネススクールへ入学しました。ここで初めて英語での苦労を味わいましたね。読むのも聴くのも話すのも、とにかく苦労の連続でした。でも、せっかくハーバードに来たんだから!という想いと、10%は容赦なく落とされるという恐怖感(?)で寝る以外はとにかく勉強しました。すごく深いことを勉強しているわけではないんです。読んで理解するだけなんです。それだけなのに、本当に苦労しました。それにハーバードでは、授業中の発言が評価の8割を占めるので話すことを事前に準備して授業に臨んだりしていました。
1年目は授業以外に就職活動も始まります。私もソロモンブラザーズでインターンシップを経験し、モルガン・スタンレーとメリルからオファーをもらいました。最終的にはモルガン・スタンレーへの就職を決め、2年目からは英語の苦労も随分と減り充実した毎日を送りました。
1993年にモルガン・スタンレーNY勤務として入社し、そこではビジネススクール時代の大変さとは比べ物にならないくらいの大変さを味わいましたね。10数人いた同期生の中で日本人は私だけだったのですが外国人扱いもなく、いきなり実践の場に放り出された感じでした。当然ですが、周囲の真剣さの度合いが今までと全く違いました。そこではエクイティーファイナンス関連の仕事をさせてもらいました。といっても目論見書に間違いがないかをチェックして印刷所に持っていくようなことばかりやってましたけど。自分の勉強にはすごくなりましたが、果たして会社のためにはなっていたのかどうかは定かではないですね(笑)その後、東京転勤になり2年を過ごしました。

Q.モルガン入社後の2年間が英語に対しての大きな転機になったのですか?

― いえいえ。まだ先があります。今までの話しは夜明け前、朝の4時ぐらい(笑)。これから夜があけるところ。

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是非続けてください!

― では、お言葉に甘えて(笑)話が前後するのですが、ビジネススクールに行く前、まだ日本にいたころ、Michael Lewisの「Liar's Porker」という本を辞書なしですんなり読めたんです。これがすごく面白くて。その著者の本はだいたい読んでたんですが、「MONEY BALL」という新刊を6~7年前に読んで、ものすごい衝撃を受けました。ストーリーにほれ込んで、何度も読み返しました。その後、ゴールドマンサックスにいる友人からAllison Pearsonの「I don't know how she does it」という本がすごく面白いと勧められて読んでみたら、これがまた面白くて暗記するほど読みました。今でも憶えている表現がたくさんあります。ロンドンの投資顧問会社に勤務している2児の母親が主人公で、彼女が仕事と家庭の両立にドタバタするコメディー小説でしたが、当時の私も主人公と同じファンドマネージャーをしていたので自分と重ねて共感しながら読めたんです。それで唐突に「これを翻訳したい。私が翻訳しなきゃ誰がするの!?」と思い、この本を勧めてくれた友人が著者と知り合いだったこともあり、翻訳したい気持ちを手紙にして伝えたんです。そしたらなんと「出版権利はソニー出版へ売ったのでソニーへ連絡してください」と返事が来ました。早速ソニー出版に連絡をし、自分が何者であるかを説明し、翻訳したいと伝えました。

Q.ソニー出版へご自分でいきなり連絡をされたんですか?

― はい(笑)でももう翻訳も終わって、出版する運びになっていると言われましてその時「しまった!!これは1日も早く翻訳者にならなければ!」と思ったんです(笑)やっぱり翻訳の仕事をしていないとこんな話はこないと思い(笑)、まぁ当たり前なのですが。それが私が英語に「深くかかわる」「翻訳者になろう」と思った大きなきっかけだったんです。それからしばらくして仕事を辞めて翻訳に専念することにしました。仕事を辞める前に人づてで翻訳者としても有名な斎藤聖美さんに会っていただき自分の思いを伝えました。そうして斎藤さんに日経新聞出版社の方を紹介してもらいました。

Q.早速お仕事はきたのですか?

― いいえ(笑)そこから書籍翻訳のお仕事をいただいて出版までに2年かかりましたよ。

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Q.流れに乗ってここまで来たようにも思えますし、関さんの強い意志で色々なことをたぐりよせてこられたようにも思います。

― はい。また別の人づてでダイヤモンド社の方ともお会いさせていただきました。ただ、自分のことを紹介するだけよりはいいだろうと考えその時すごく面白いと思った本の要約を5~6枚にして読んでもらいました。その時、面白いと思っていただいたのかもしれません。それからしばらくしてダイヤモンド社からもお仕事をいただくようになりました。今も1冊書籍翻訳を手掛けています。年末に出版予定ですのでよろしくお願いします(笑)

Q.文芸翻訳にすごく興味をお持ちのようですね

― 翻訳者になりたいと思ったきっかけがさきほど話したMichael Lewisの「MONEY BALL」とAllison Pearsonの「I don't know how she does it」の2冊だったこと、子どもの頃からの憧れ、本が好き、などがあるのでやはり文芸翻訳をもっと手がけたいです。ただ、自分のバックグランドを考えるとビジネス書の依頼が多いのは仕方がないですね。
社会人になってまだ間もないころ、ちょっとした翻訳を頼まれると「みんなが読みやすいように、でも自分らしさを入れてみよう」や「みんなを飽きさせないようにしよう」ということを常に思いながら訳していました。そういう傾向が自分にはあるのだと思います。

Q.誰に教えられるともなくそう思いながら翻訳をする関さんにとって翻訳の魅力はどこにありますか

― やっぱり「ピタッ」とくる表現を思いついた時です。なかなか思いつかないんですけど。満足できる表現は全体の一割くらいです。せめて3割バッターくらいにはなりたいと思ってがんばっています。アメリカのテレビドラマを見ていても自分だったらこう表現するかな、とついつい思いながら見てしまいます(笑)

Q.関さんの今後の目標や夢を是非お聞かせください。

― かなり壮大な夢ですが、ロースクールに行って弁護士になろうと思っています。
前から興味があってきっかけは、、、、、やはり本ですね。リーガルスリラーが好きで裁判関係の本もたくさん読みました。また、法廷もののアメリカドラマも大好きです。法廷で弁護士をやってみたいんです(笑)日本で裁判員制度が始まったのも自分にとっては大きなきっかけです。(このインタビューの日がまさに第1回目の裁判員裁判の日でした)
「Ladies and Gentlemen of the Jury」という法廷での最終弁論の中でも名最終弁論といわれるものを集めた本を読んで非常に感動したことが弁護士になりたいと思った一番の理由です。あとは中坊公平弁護士の森永ヒ素ミルク事件の最終弁論を読んで感動したことも理由のひとつですね。
プロはここが違う第27回(4).jpg

Q.最後に関さんから翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。

― 翻訳業はサービス業だと思います。読者へのサービス精神、編集者へのサービス精神が大事です。 つい行きたくなるレストランがあるように、つい頼みたくなる翻訳者になるにはどうしたらいいかを自分なりに考えてみるといいと思います。 実践的なことで言えば、リーディングをたくさんすることです。すごく大変ですが、とにかくたくさんする。私自身は「早い、上手い、安い」、これを私は「吉野屋的」と呼んでいるのですが、を心がけてリーディングをしました。お金にならなくてもやってみるべきだと思っています。そのリーディングが自分の英語力を引き上げるだけではなく出版社への自分の売り込みにもなりますし、覚えてもらえるきっかけにもなったりと色々なことを引き寄せてくれるからです。是非、「早い、上手い、安い」を心がけてひとつでも多くのリーディングをやってみてください。

編集後記
翻訳には定評のある関さんにお会いするのは本当に楽しみだったのですが、私にとっては初めての翻訳者さんへのインタビューということもありかなり緊張して臨みました。が、そんな緊張感を感じる暇もないほどの華麗でぶっとびなエピソードのオンパレードでした。しかもそれを気取らず飾らず気負わずに、時には「夜明け前」「吉野家的」などの関語録も交えながら私にわかりやすいように語っていただいた姿は本当に格好良かったです。最後に翻訳者としてあるべき姿と弁護士になりたいという次なる目標を語られた時のきっぱりとした口調に関さんの「美学」を感じたような気がします。大いに刺激を受けました。本当にありがとうございます!


Vol.31 すべては"伝えること、つなげること"のために

第23回 枝廣 淳子 さん Junko Edahiro
『不都合な真実』の訳者であり、同時通訳者や環境ジャーナリストとしても広くご活躍の枝廣淳子さんのご登場です!超多忙のスケジュールの合間を縫ってインタビューに応じてくださった枝廣さんに、翻訳を始めたきっかけ、『不都合な真実』翻訳秘話、翻訳におけるビジョンなどを語っていただきました。4月16日に『あなたも翻訳家になれる!―エダヒロ式 [英語→日本語] 力の磨き方』を出版し、翻訳業界への貢献をさらに深める枝廣さんの、翻訳に対する想いを凝縮してお届けします!


プロフィール  枝廣 淳子 さん Junko Edahiro

東京大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。2年間の米国生活をきっかけに29才から英語の勉強をはじめ、同時通訳者・翻訳者・環境ジャーナリストとなる。環境問題に関する講演、執筆、翻訳等の活動を通じて「伝えること、つなげること」でうねりを広げつつ、行動変容と広げるしくみづくりを研究。世界と日本をつなげる役割としての翻訳者を育て、活躍の場を提供する取り組みも行っている。

Q.渡米をきっかけに本格的に英語の学習を始められ
  同時通訳者として活躍するに至られたと 伺っていますが、
  「翻訳」を仕事として意識されたのはいつ頃ですか?
  またそのきっかけは何でしたか?
 渡米後、通訳になるために勉強を始めましたが、しっかりとした訳文で通訳ができるようになるために、通訳学習の一環として翻訳の勉強を始めました。その頃は翻訳を仕事として意識してはいませんでしたが、翻訳の面白さは感じていました。帰国後、日本で通訳学校に通うために何かアルバイトをして学費を作ろうと思いました。しかし、帰国の3ヶ月後に2人目の子どもが生まれたので、家に居てもできる仕事がないかと考え、在宅翻訳を始めることになりました。
Q. はじめて翻訳の仕事をしたときのことを教えてください。
 新聞で翻訳者募集の求人広告を見つけ、履歴書を送りトライアルを受けました。ご夫妻でやっていらっしゃる小さな会社で、翻訳者を育てようという意識のある会社でした。トライアルも100点ではなかったと思いますが、可能性を感じて採用してくださったと思います。
最初の翻訳はアメリカかカナダの新聞記事の一部を翻訳するというものでした。ゲームソフトの翻訳もあり、「ドキューン」とか「ドバーン」などの効果音をたくさん訳したこともあります。ここでの翻訳の仕事でとてもありがたかったのは、必ず社長さんが私の翻訳に丁寧に赤を入れて戻してくださったことです。お金をいただきながら勉強をさせていただいているようでした。この頃は分野を問わずに仕事をさせていただきましたが、ここの社長さんから「自分の専門を見つけて本を翻訳するようになりなさい。お金になる翻訳は他にもあるけれど、それだけでは先に進めないよ。」と出版翻訳を強く勧められたことが、現在書籍翻訳に携わることにつながっていると思います。
Q. 翻訳の学習方法についてお聞かせください。
 もともと翻訳の学習はあくまで通訳の勉強の一方法という位置づけでした。通訳の場合は瞬時に言葉を選ばなければいけませんが、翻訳はより良い表現や言葉を見つけるために時間をかけることができますので、翻訳の仕事をするようになってボキャブラリーや表現力を磨いていくことが大切だと感じました。その時の助けになるように本を読んだり、社内の吊り広告などを見てよい表現などがあったら手帳に書き込んだりしています。通訳訓練としてのサイトラも翻訳の勉強に役立ちました。
Q. 翻訳という仕事の醍醐味とは何でしょうか。
  また、苦労や困難といった面で感じていらっしゃることはありますか?
 翻訳と通訳の向き不向きという点でいえば、翻訳は持久力、通訳は瞬発力がある人が向いているなどといいますが、私の場合はどちらも違う筋肉を使っているようで両方好きです。金銭的な面から通訳の仕事に集中した方がいいのでは、と言われることもありますが、翻訳でしか味わえない楽しさがあるのです。言葉を練り上げ、作り上げ、「これだ!」とひらめいた時の楽しさです。またビジネス翻訳と比べて出版翻訳では、翻訳が本として形に残り、多くの人に長期に渡りメッセージを伝えることができる、そんな広がりがあるのが書籍の翻訳の良いところです。時間がかかる仕事ではありますが、翻訳を辞めようと思ったことはありません。
1日中翻訳をすることにまったく苦はありませんが、とても気分がのって何時間でも翻訳し続けられるときと、扱っているテーマなどによってはなかなか気分がのらず、自分で自分を押していかないといけないときがあります。そういう時は「自分マネジメント」をしていきます。小さなゴールを作ってそれを一つずつつぶしていくことでリズムを作っていきます。翻訳には持久力、すなわち長時間の翻訳でパフォーマンスを落とさない力が大切です。
翻訳を教えている中でも感じますが、最初のところだけならプロの翻訳者とアマチュアはそれほどパフォーマンスが変わらないのですが、ある程度の分量になるとアマチュアはパフォーマンスががくっと落ちます。それを落とさないように自分を回していく仕組みが必要です。同時通訳の場合15分ほどしか続かない大変高い集中力を要しますが、翻訳でその集中力を使ってはとてももたないので、集中力の程度をぐっと下げ、十数時間続けられる集中力で翻訳に取り組みます。このように集中力のコントロールができることの一つには、大学(院)で心理学を勉強していたのでそのバックグラウンドがあると思います。常に自分を被験者のようにみて、どうしたら翻訳作業を継続できるだろうと自分の客観的に診断し、その時々で一番合ったやり方を探します。
通訳だと仕事が終われば「お疲れさま!」と打ち上げができますが、出版翻訳の場合、納品しても刊行されるまでにさらに数か月がかかり、完全な終わりがなかなか見えず、そのうちにまた別の翻訳が始まってしまうので、本になったから、みんなが褒めてくれるからといった外的なご褒美がなくとも自分で動けるような体にしておくことが大切ではと思います。
Q. アル・ゴア氏の著書『不都合な真実』の翻訳で
  印象的なエピソードをお聞かせください。
 最も大変だった翻訳といえばやはりこのゴアさんの本になります。もともとこの本には環境関連の集まりのためアメリカ出張に行った際に、代表的な環境活動家の方々に映画の方を勧められました。アル・ゴアさんが環境についてプレゼンしている映画だと聞いて、最初はどう考えても面白そうな映画ではないなと思いましたが、観た後にはとても感動して空港や映画館に平積みしてある原書を手にとって、誰が日本語に翻訳するのかな...と思っていました。
その後半年ほどたったある日、環境関係の知人からこの本の日本語翻訳者を探しているとメールがきたのです。映画に感動し内容にも感銘を受けていましたのでぜひやりたかったのですが、一番の問題はスケジュールでした。原書の文字量から3~4か月はかかると想定しましたが、最初の打ち合わせで25日間でやってほしいと言われました。数か月後にゴアさんが来日する際に日本語版を献本したいと。印刷や製本を逆算すると25日間しかないと。この25日間に海外出張が2回、国内の講演も複数あり、丸一日作業できる日は4日間しかなかったのです。普通では考えられない短納期ですが、もし私が翻訳をしなかったらこの本はどうなるのかを考えました。おそらくは複数の翻訳者が下訳をし、それをまとめるようなやり方になると思います。いろいろな人がばらばらのトーンで訳したものを集めただけになり、私の大好きなこの本が生きてこないだろうと。そこで私がやります!と返事をしました。
その後25日間は飛行機の中もホテルでもひたすら翻訳です。原書は大変厚みがあり重いので、一章ずつにページを引きちぎって持ち歩きました。翻訳自体は至福の時間でしたが、条約名や動植物、人物名など膨大なリサーチまで自分でこなすことはできません。そのため、翻訳仲間を募ってリサーチチームを作り、リサーチと翻訳を並行して進め、なんとか25日で翻訳を完成させました。
私の場合、翻訳は原書をサイトラして読みあげた日本語をレコーダーに入れ、テープ起こしをしてもらって抄訳原稿をつくる、という方法をとっています。翻訳作業で時間がとられるのは「目の移動」です。翻訳の仕事を始めたころ、まとまったボリュームの仕事でなかなか進まずに、自分の何が悪いのかやり方を観察してみると、タイピングと目の移動に時間がかかりその間は実際に翻訳をしていない無駄な時間だと思いました。ではそれをなくすにはどうしたらいいかと考えて、サイトラを録音するという方法に達しました。過去20冊以の訳書は全部サイトラで訳しています。過去10年以上にわたる経験と、半年前のアメリカ出張の際に原書に出会い、内容理解だけでなくこの本に対する熱い想いをすでに持っていたこと、環境分野であったこと、そしてチームの存在などがこの本を訳すにあたって非常に大きな助けになりました。
サイトラで翻訳している時に、ゴアさんの声で日本語訳がでてきて、私はそれを読みあげるだけでいい、というような不思議な感覚におちいりました。ゴアさんが自分にのりうつったみたいですね。その後ゴアさんと直接お会いしましたが、いい翻訳だと周囲から聞き、短い時間だったのに大変だったね、と言ってくれました。今年11月にゴアさんの新著『Our Choice』がアメリカで出版されますが、また日本語訳を担当させていただくことになっています。
Q. 環境問題、自己マネジメントなど多岐にわたる活動を展開される中で、
  翻訳業との両立をどのように図っていらっしゃいますか。
 全体の3割くらいを現在翻訳にあてています。海外・国内出張など多数あって、自宅でゆっくり翻訳はできません。一番翻訳が進むのは出張先のホテルです。ご飯も作らなくていいですし。翻訳以外にも様々な活動をしていますので、マルチキャリアともよく言われますが、自分の中ではやっていることは一つなのです。それは「伝えることとつなげること」です。
「伝える」は、日本国内では講演や執筆になりますし、世界と日本を「つなげる」ことでは翻訳や通訳、またNGOを立ち上げ日本の環境関連の情報を海外に発信する活動もやっています。自分のやりたいことと今の社会の動きをみて、どことどこをどういう形でつなげる仕事が必要なのだろうと考えて行動します。以前は環境への世界のすすんだ取り組みを日本に伝えようと日本語訳をずいぶん手がけましたが、今度は英訳、つまり日本のいいものを世界に伝える活動もしたいと思っています。
出版翻訳の点では、海外のものを日本で読んでもらえるレベルに訳せる人は少ないと思います。とくに環境分野に関心・知識があって翻訳ができる、という人は少ないです。以前、海外のよいものを日本に伝えようとしたときに、自分がボトルネックになっていたと感じた時期がありました。つまり、私が使える時間分しか海外のよいものを日本に紹介できないと。これを解消するには私以外の人が同じように翻訳ができるようになればいいと。そう思いついたのが2000年で、それ以来環境問題に関心と問題意識がありかつ翻訳ができる人を育てる活動を行っています。海外で面白い原書があったとき、自分が全部を読もうと思うとずいぶん先のことになってしまうので、チームの中でやってくれる人に頼みます。私の役割はよい情報を見つけるアンテナで、実際の作業はチームで行います。大事なのは、私が何冊翻訳をしたかということではなく、伝えたい情報を日本に伝えているか、ということです。その時その時で一番いい状態で翻訳をするようにしています。
Q. この度、『あなたも翻訳家になれる!』を出版なさいましたが、
  この著書を通して読者の方々に伝えたいことは何ですか。
  また、今後どのように翻訳の道を進んでいっていいのか分からない
  という悩める方々にアドバイスをお願いします。
 自分マネジメントなどのセミナーで「ビジョンを作る」という話をよくします。例えば翻訳を始めたばかりの方には「誤訳なく翻訳をする」ということがベーシックなビジョンになるかと思います。私自身も最初の頃はそうでした。登山に例えられますが、山を登っているときにあの頂が頂上かなと思って登ってみるとその先にもっと高い頂があって、さらに登り続ける感じです。最初は赤(赤字チェック)が入らない翻訳をするというビジョンを掲げ、だんだん赤は減ってきたけれどもでも自分の訳文は堅いな、と感じ、次のビジョンは「読みやすい訳文をつくる」になります。このように進んでいった結果、今は私自身が翻訳をしなくてもいいから、翻訳ができる体制を作りたいということが次のビジョンになっています。これは最初から思っていたことではなく、いくつも山を乗り越えていく中で見えてきたものです。翻訳者を目指している方が、始める前か、スタートしたばかりか、ある程度翻訳をしてきた方なのか、それぞれのステージによって目指さなければならないことがあるのだと思います。小さなビジョンを確実にこなすことなく、遠くのビジョンばかりを見ようと思ってもそれは絵に描いた餅に過ぎません。目の前にある山に近づいていけばかならず次の山、ビジョンが見えてきます。
よく私が言っていることですが、私が今やっていることは、一生をかけてやりたいことの3%くらいで、10年前でも3%くらいしかできていないと言っていたと思います。それはやればやるだけやりたいことが増えてくるからです。きっと死ぬときも3%と言って死ぬと思います(笑)。登山に例えれば、頂上まできたと言って山登りが終わるとは思わず、いつまでたっても先に山があるのが楽しいし、歩んでいくことが人生だと思います。
もう一つのアドバイスは、今見えている山に向かって進む際の進み方についてです。やみくもに進むべきではないということです。例えば、自分の翻訳に添削がついて戻ってきたとします。こういう風に訳せばいいのかと学べるはずですが、それと同時に自分の勉強法や翻訳作業自体も見直すことが必要です。学校の課題やエージェントの仕事をこなすことはもちろん大事ですが、どれだけいい質の翻訳をつくるかだけではなく、どういうやり方で翻訳を仕上げているか、やり方そのものを工夫できないのか、他の人はどうやっているのだろうか、質を落とさず時間を短縮する方法はないか、など常に方法を試行錯誤しながら今の課題に取り組んでいくことが大切です。これをやっている翻訳者の卵とやっていない卵ではまったく進歩が違います。勉強法そのものを意識する、ということをアドバイスしたいと思います。
『あなたも翻訳家になれる!』では勉強法のコツやどうやって仕事につなげていけばよいのか、などを紹介しています。本の出版と同時に、メールでも講座を開きます。本を読んでやってみたいと思った人がメール講座で実践できるという形です。こうして翻訳者を目指す方々の裾野を広げて、ここから上がってきた翻訳者をひっぱりあげて実際に活躍してもらえる体制も別に作っています。また、一番上のグループでもうちょっとレベルアップすれば独り立ちできるというレベルの方々を対象とした翻訳道場という講座も用意しています。翻訳者の裾野を広げる本と、実践的な学習ができるメール講座と、翻訳道場、自主勉強の場があり、よい人材が現れたら私たちのチームに入ってもらって一緒に翻訳をやりましょう、とやっとここまで全体のシステムができたかなという感じです。もし私がいなくなってもどんどん翻訳者が育つような仕組みを作っていかないと、日本と世界の隔たりを埋めていくことはなかなかできないのではないかと思っています。
【枝廣さんの著書】
あなたも翻訳家になれる!エダヒロ式 [英語→日本語]力の磨き方
出版社:ダイヤモンド社
発売日:2009年4月16日

編集後記
 小さな山をひとつずつ越えて、目指す頂にたどり着いたら、次に目指したい山が見えている...。個人的に登山をしますが、この例え話が一番心に響きました。翻訳者だけではなく前に向かって進もうとしているすべての人にこのメッセージを受けとってほしいと思います。まずは今目の前にある山を登ろう!必ず次の山(ビジョン)が見えてきます。そしてその時の登り方・進み方を意識することが大切なんですね。本当に心に残るお話をありがとうございました。




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