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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.30 出会った!ニュージーランド翻訳生活

第 18 回  小西映子さん Eiko Konishi
年に1回の帰国の合間を縫ってインタビューに応じてくださったニュージーランド(NZ)在住の英日翻訳者小西映子さんをご紹介します。社会人になるまで関西に暮らし、実は海外生活にも翻訳にそれほど関心がなかったと語る小西さんが、NZで翻訳業を始めたきっかけとは? 9年目を迎えるNZ生活の中で、翻訳を通じた将来の目標をも見つけられたようです。


プロフィール  小西映子さん Eiko Konishi

 神戸大学文学部(ドイツ文学専攻)卒業後、メーカーの広報部で10年間勤務。その間結婚・出産。2001年、ご主人の仕事の都合によりNZ・オークランドに移住。しばらく専業主婦をした後、2004年に翻訳と出会う。2005年からフリーランス翻訳者として本格始動。「通訳・翻訳者リレーブログ」では「みなみ」のハンドルネームでNZの生活や翻訳事情を紹介。

Q. 大学ではドイツ文学専攻だったのですね。
 実はドイツ文学を選んだ理由はこれといってありませんでした。当時は自宅から通える大学で、理系科目は苦手だから文学部が一番いいだろうと。そして大学に入ると英語を学ぶことはほぼ当たりまえだと思ったので、せっかくだから英語以外の外国語を学ぼうと。じゃあなぜドイツ語?とあらためて聞かれると、やはり「なんとなく」としか答えられないのですが(笑)。
Q. 卒業後の就職先ではドイツ語を使うお仕事だったのですか?

写真 いえ、ドイツ語はまったく関係がありませんでした。大学の卒論テーマにリルケの作品を選んだのですが、これがまた難しくて。テーマを決めたのはいいものの、何をどう書いていけばいいのか、途方にくれました。誰もいない冬休みのキャンパスに指導教官から呼び出され、どうなっているんだ?と心配をかけてしまいました。卒業はしたいとなんとか論文は書きあげましたが、教授との最後の面接で、「きみは文学には向いてない」とはっきり言われてしまいました。文学として作品に向き合っていなかったのだろうと、今となっては思います。将来の仕事についても、自分が何をやりたいのか、何を目指したいのか、ちっとも分かっていませんでした。ちょうどあの頃はバブルの頃でしたから売り手市場だったと思うのですが、もう受ける会社に片っ端から落ちまして......。周りはどんどん内定を取っているのに、私だけ落ちまくっていて焦りましたね。その中で、社内報や広報用ビデオ作成の職種で募集があり、運良く内定をいただきこの会社に入社することになりました。ここで10年間、社内広報から社外広報・IRまで、広報に関する様々な業務の経験を積むことができました。

Q. 翻訳との出会いはここでのお仕事だったのですか?
 私が翻訳業を始めたきっかけは、この広報の仕事とはまったく関係がないんです。ただ、広報業務の中では英語の資料を扱う機会がしばしばありました。IR関連文書や海外向けプレゼン資料は英語ですから、そういった資料の英訳を依頼する側として翻訳エージェントとやりとりをしていました。今とはまったく逆の立場ですね。当時は翻訳物に触れていながらも、まったく翻訳というものに興味を持ちませんでした。ただ、仕上がってきた英訳をチェックしていて、ここの原文の意図がきちんと理解されていないな、と思うときはありました。隔靴掻痒(かっかそうよう)というのでしょうか。おかげで、発注側の思いはよく理解できるので、この時の経験が翻訳者としての今の自分に生きていると思います。
Q. そうなのですね。10年間の会社勤めで他にも翻訳業に生きていると思うことはありますか?
 すべてです!「翻訳者として」以前に「社会人として」大切なことをすべてここで教えていただきました。お恥ずかしいのですが、入社当時は社会人としての意識がまったくなっていませんでした。入社後すぐに国内出張があったのですが、予定の飛行機に乗り遅れてしまい、飛行機に乗り込んでいた先輩に機内電話をして「間に合わなかったので次の便で行きます」と数時間後のフライトに乗ったりして。よく見捨てられなかったものです。こんな調子でしたから、この10年間で社会人としてのマナーなどを身につけさせてもらって本当に感謝しています。ビジネス文書の書き方も鍛えられましたし、プレスリリースの作成方法やIR関連の知識を得たことや、当時は苦手だったIR用のプレゼン資料作りの経験もすべて生かされています。
Q. なるほど。では、NZ移住のきっかけは?
 夫がNZで働くことになり、私も退職をして一家でオークランドに移りました。ここに来るまでNZのことなど何も知らない状態だったので、家族も私も現地の生活に馴染むのがまず大変でした。当時3歳の娘は通学先の幼稚園で、みんなが自分の分からない言葉を話すと毎日泣いていました。よく海外生活は大人よりも子どもの方が馴染むのが早いと聞きますが、一概には言えないのですね。3歳だと男の子はまだ言葉によるやりとりが不要の遊び方かもしれませんが、女の子はもう言葉でのコミュニケーションが重要になり始めていたようです。そんな娘も昨年無事に小学校を卒業しました。彼女なりに壁を乗り越えたのだろうなと頼もしく思います。
Q. 翻訳の仕事はどのように始められたのですか?
写真  移住後しばらくは専業主婦をしており、特に働くことは考えていませんでした。ただ今後のために大学に通ってNZの教員免許を取ろうと考え、まずは入学に必要なIELTSの点数を取得するところから始めました。しかし、これから大学にアプライをするという時期に夫が自分で会社を立ち上げることになり、私の大学入学は一旦白紙になってしまったんです。これからどうしようかと思っていた時に、翻訳者である現地の知り合いが翻訳をやってみないかと声をかけてくださいました。今思えば無謀でしたが、翻訳に対するプロフェッショナルな意識がなかったものですから、法律に係わるその内容をポケット辞書とアルクの英辞郎だけで翻訳してしまったんです。でも、その後特にクレームが出るわけでもなく、1か月に1回のペースでその知人から仕事を請け負う形で翻訳を始めました。NZで自分のスキルを生かせるうえに、娘が学校を終えて15時に帰ってくるときに自宅にいてあげられることが魅力でした。そこで「よし、本格的に翻訳を仕事にしよう」と。どうしたら翻訳者になれるかとその知人に聞くと、トライアルを受けることを教えてくれました。自分が翻訳についてまったく知識がないことは分かっていましたので、日本の会社の通信教育でビジネス英語の翻訳講座を半年間受けました。NZではNZの翻訳資格を持っているか翻訳協会のメンバーになっていないと、正規の翻訳者として認められません。そこでネットで日本の翻訳会社をサーチして、10社ほどトライアルを受けました。そのうちの5社からお仕事をいただくことになりまして、現在もお付き合いをさせていただいています。
翻訳の仕事を始めて良かったことや、失敗談などはありますか?
 翻訳を通して未知の世界を知るきっかけを与えてもらっているので、知りたがりな私にはとてもありがたい仕事です。翻訳とはある単語を違う言語の単語に置き換える作業と単純に思われがちですが、私の頭の中では、2つの言語が互いに行き来して、その内容が頭の中でぐるぐる回って、ぽんっ!と訳が飛び出してくる感じなんです。こういう作業はまだまだ機械では上手く処理されないことだと思いますし、翻訳という仕事の面白さだと感じています。
一番の失敗談は、キャパシティコントロールができていなかったことです。翻訳の仕事を受け始めた頃、同じ日が納期の仕事を5件受けてしまったことがありました。とにかく依頼が来るのが嬉しかったですし、舞い上がってしまって。自分なりに一生懸命にやりましたがやはり質が悪く、1社の翻訳会社からクレームを受けました。「いつもの翻訳の質ではない。今後の依頼はないかもしれない。」と言われましたが、指摘通りのミスでしたので反省するしかありません。また、よりによってこの納期の日に必死で作業をしている時に、知人が遠方から来ていたお母様を連れて、突然、遊びに来くれたんです。本来なら喜ぶべきサプライズですが、自分は髪を振り乱してパソコンに向かっていましたので、「ごめんなさい!」と訪問を断ってしまって......。本当にその日のことは忘れられません。翻訳者としてスケジュールや品質管理への意識が至らなかったことが恥ずかしい限りです。二度とこんなことをするまいと心に誓いました。
Q. その後、翻訳に際して心がけていることはありますか?
写真  やはり、時間管理は今年も課題です。家族との時間も大切にしたいし、日中はついのんびりしてしまうので、仕事が夜型になってしまう傾向にあります。睡眠不足が続くと、どうしても次の日に響いて仕事がはかどりません。また私は納品前に3回チェックを入れています。和訳の場合ですと、1回目は英語と日本語を対比して漏れがないかどうか、2回目は英語側から日本語にチェックして誤訳などがないか、そして3回目は日本語だけを読んで読みやすい文章になっているかどうか。納期まであまり時間がないときでもちょっと掃除をしたり、ご飯を作ったりとインターバルを入れて、可能な限り翻訳を寝かせながらチェックをします。もっと短い時間、少ない見直し回数で仕上げることができたらそれに越したことはありませんが、今の自分の実力ではまだ必要なプロセスです。
また、翻訳に際してはそのソース/ターゲット言語どちらにしても文化や考え方、日常的な習慣などの背景知識が必要になることが多いです。そのため、ネットのニュースなどで常に日本事情をアップデートすることを心がけています。年に1回のペースで日本に帰ると、言葉が変わっているなと感じます。カタカナ語がずいぶん増えているだけでなく、本来の単語とは違った発音や使い方をされたりもします。また、例えば今なら「婚活」といった、見慣れない造語、略語があっという間に浸透します。翻訳者はその業界で現在通用している言葉を常に使っていくべきだと思いますので、言葉の変化には敏感になります。
Q. 英語力の向上という点では、NZに暮らしていることはメリットでしょうか?
 確かに日々生の英語に囲まれて生活していますが、「翻訳力」の上達は別問題です。私はNZに来てから「翻訳」という仕事を初めて意識しましたが、翻訳の勉強に関しては日本の環境の方が整っていると思います。少なくともNZに限って言うと、翻訳を学ぶといえば大学進学が主ですが、日本なら例えば週に1回、仕事帰りに翻訳のクラスに通うというオプションもあり、専門分野の種類も豊富です。翻訳関連の参考書や書籍を手に入れるにしてもやはり日本が便利です。これから翻訳者を目指す方には「日本にいるから英語が上達しない」と考えるより、「日本は勉強の機会に恵まれている」と自信を持ってこの道を目指してほしいとお伝えしたいです。
Q. もしNZに来なかったら、翻訳を仕事にすることはなかったでしょうか。
 そうですね、もしNZに来なかったらやっていなかったかもしれません。翻訳という仕事に興味を持つきっかけがなかったかもしれないので。NZへの移住は、今思えば自分を見つめ直す良い機会でした。10年間の広報の仕事を通して、私はばりばりのビジネスウーマンだと勘違いしていました。ところがNZでは仕事もないですし、アジアからやってきた外国人に過ぎません。娘とプレイグループにいって体操をしていたりすると、前なら「顧客満足とは」とか、「Eコマースにおける今後のビジネススタイルは」とかを論じていたのになぁ、となんだか情けなくなったりしていました。当時はこの「なんでもない自分」に気づかされてつらい気持ちになりましたが、今では貴重な経験だったと思えるようになりました。 NZというと、人々はおおらかでフレンドリーというイメージがあると思うのですが、実際には人種的な偏見や差別があります。ある日お店に買い物に行くと、通りすがりの車から突然生卵を投げつけられたこともありました。もちろんNZのすべての人が差別をするわけではなく、ごく一部ですし、日本にだって差別や偏見は存在します。ただ、そういったマイノリティにたまたま日本では属していなかったので、日本にいたままであれば、人種差別を"実感"することはなかったでしょう。NZにきてから、様々な価値観、考え方に出会い、世界が広がりました。こういう多様な世界や文化を肌で知っていくことはすべて翻訳の中で生かされてくると思っています。
Q. 今後の目標や将来のプランを教えてください。

 目下のプランとしては、NZの大学で1年間、翻訳の理論と実践を学び、翻訳のディプロマ取得を目指します。日英翻訳のスキルアップや、資格を取得することでNZの翻訳エージェントとの仕事の可能性を期待しています。
写真また、これは先の目標ですが、NZにいる難民の家族に英語を教える、ということを考えています。翻訳を始める前には、娘の通う小学校でボランティアとして、英語を母国語としない子供たちに英語を教える手伝いをしていました。NZの教員資格を取得しようと思ったのもこのためです。オークランドにはアフガニスタンやパキスタン、アフリカ諸国などからの難民の方が多くいます。子どもたちは地元の学校に通っていますが、英語が話せない子がほとんどです。支援ボランティアもよく募集しています。日本にいては難民の人たちの暮らしや様子はなかなか実感できないのではないでしょうか。私は自分の経験から英語を学ぶ難しさを知っていますから、今このNZにいて何か役に立てればと思っています。今後、翻訳というルートから難民支援活動に参加できるかもしれません。これは、翻訳のスキルアップの次に抱いている、私の今後の目標です。

【小西さんお薦めの参考書籍】
『英語類義語活用辞典 』
(ちくま学芸文庫)
「類義語・同意語・反意語の正しい使い分けが、豊富な例文から理解できる定評ある辞典。思わぬ誤解や失礼をしないための使用例が、卓越した日本語と英語の語感をもつ著者により解説される」という、英語翻訳に携わる方には必携の書。

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編集後記
大きな輝く瞳でとても快活にお話をされる小西さんを見て、広報のお仕事をされていらっしゃった頃のキャリアウーマン姿が想像できました。世界の文化的多様性や問題点などに意識が向いているのは海外生活からだけではなく「翻訳」に出会ったこともきっかけになっているというのが、まさに翻訳の職業的魅力だと思いました。難民支援をしていきたいという小西さんの目標、ぜひ実現してほしいです!



Vol.29 想い続けた日本で見つけた翻訳生活

第13回 田本 キャシーさん Catherine Judith Tamoto
日英翻訳者として大阪を拠点に活躍中の田本キャシーさんをご紹介します。10年前、初めて暮らすことになった日本は大分県の山の中。人口3500人の小さな町が今も「日本の原点」と語るキャシーさん。イギリスでの日本への想い、翻訳業開始秘話、エージェントとの付き合いから英訳翻訳志望者へのメッセージ、そして2つの母国をもつ子どもたちへの想いまで、内容盛りだくさんのインタビューをお届けします。


プロフィール  田本 キャシーさん Catherine Judith Tamoto

イギリス出身。シェフィールド大学で日本語と経営学を専攻した後、1998年JETプログラム(国際交流員)で来日。大分県朝地町(現豊後大野市)で3年間国際交流員の仕事をしたのち、石垣島へ。2001年フリーランス翻訳業開始。5年間の石垣島生活ののちに大阪滞在、1年間の香港滞在を経て、現在大阪市在住。特に契約書など法律関係の文書を得意とし、翻訳の質とスピードには定評がある。


Q. 日本語・日本に興味を持ったきっかけは?
 15歳くらいの時に、イギリスで日本文化を紹介するフェスティバルが開催されて、学校や生活の様子を紹介したテレビ番組が放映されていました。日本の生徒はみんな髪の毛の長さを同じにしなきゃいけない、といったことが紹介されていて、"ちょっと変わった面白い国"という印象を持ちました。その頃は自分の将来の進路を考える時期で、同じイギリス人でフランス語などヨーロッパ言語を話せる人は多くとも、日本語を話す人はとても少なく、当時日系企業の進出が目覚しかったこともあって、大学では「経営学+日本語」を学ぼうと考えました。私が大学3年生で日本語漬けになっている頃に、これからは中国語だ!といわれ始めましたが、やはり中国よりも日本に興味を持っている気持ちには変わりはありませんでした。
Q. 日本語を学び始めたのは大学に入ってから?
 高校に入ってから、地元の教育委員会が週1回開催していた日本語会話のクラスに参加したことが日本語学習の始まりです。生徒はビジネスマンやパートナーが日本人といった大人ばかりで子どもは私だけでした。高校の近くにある日本の短大のキャンパスがあって、日本人学生との交流会があったのですが、どうも日本人の"ノリ"が悪くて......。
  また、高校の国語の授業で各自テーマを決めて1~2分のスピーチをする授業があり、当然私は日本をテーマに選びましたが、クラスの誰も興味を持った様子はなく......。孤独に日本語を勉強して、ひとり日本に想いを馳せていました。
  大学で外国語を専攻する場合、高校での選択科目が決まっていて、私の学校の場合にはフランス語でしたが、フランス語は必要最低限の勉強しかしていなかったんです。そしたらある日、その先生から「フランス語もあまり勉強しないんだから、日本語なんか絶対挫折する。」と言われて!悔しくて「ムカツクー」と思って!!意地でも日本語を勉強しようと思いました。
  イギリスでも数少ない日本語専攻のある大学に入学しましたが、入学前までにひらがなとカタカナを覚えなければいけませんでした。でも大学に入ったとたん、漢字が出てきて!2000字近くの常用漢字を覚えなければいけないので、1年生の頃はもう必死でした。同級生には香港出身の人が多く、同じ漢字圏出身のアドバンテージを羨ましく思いました。入学時70人ほどいたクラスが卒業時には30人くらいになるほどついていくのは大変でしたが、卒業する頃にはだいたいの漢字の読み書きはできるようになりました。今日本に住んで10年ほど経ちますが、漢字の読み書きは当時の方が得意だったかもしれません。日本人の中でもパソコンがないと漢字が書けない人がいるのと似たような状況です(笑)。
Q. 大学卒業後の進路は?
 もっと日本語を勉強したくて、2年くらいは日本で暮らしたいと思い、卒業後すぐに国際交流員(JET)として日本に来ました。私が派遣されたのは、大分県の朝地町という人口3500人くらいの小さな町です。この町は有名な彫刻家である朝倉文夫氏の出身地で、朝倉文夫記念館での通訳・翻訳の仕事や、2年に1回開催されるアジア彫刻展の翻訳や韓国・中国、フィリピン、マレーシアから彫刻家の通訳など、国際交流のお手伝いをしました。
  当初、福岡市を希望していたので、まさかこんな小さな町に行くとは想像していなかったんです。でも今となっては私の中の「日本」は今でもあの町です。町の人が集まってバレーボールをしたり、自家製の野菜を分けあったりと、田舎の人は毎日忙しくしていますがつながりが深くて、私をこの町の一部として受け入れてくださったことがすごく嬉しかったんです。
  自らイベントを企画することも多く、一番大きかったのはイギリス研修の企画。10人ほどの町民を毎年イギリスに連れて行きました。バスの手配からスケジュール作成、観光案内なども全部自分でやります。実家近くの家庭でホームステイを手配し、日本の方々にイギリス家庭を知ってもらいました。とても仕事にやりがいがありましたし、もっと日本語を勉強したいという気持ちもあって当初2年の予定を3年に延長して活動を続けました。
Q. 国際交流員の仕事を終えられた後は?
 イギリスへの帰国を考えたこともありましたが、国際交流員の期間が終わる頃に石垣島出身の男性と結婚することになり、日本に残ることになりました。毎年石垣島ではトライアスロンの国際大会が行われており、JETのスタッフがボランティア通訳として石垣島に行き、私もその一人でした。そこで主人と出会って結婚、子どもが生まれる頃に主人の実家の石垣島で暮らし始めました。そこで石垣で私ができる仕事として翻訳業を思いつきました。大分でも翻訳をしていましたし、大学時代も翻訳(対訳)といつも接している状態でしたので、このキャリアにたどりつくのは自然な流れでした。
  また、イギリスにいる私の両親も実は翻訳業をしていたんです。母はスペイン語・フランス語の翻訳者でしたし、父はBBC Monitoring Service で翻訳・編集の仕事をしていました。父は退職前にこの会社のスタイルガイドをまとめる仕事をして、私にもそれを譲ってくれたりしました。翻訳業の長所・短所を知っている両親だから、今の私の仕事を理解してくれています。私は翻訳者としてのDNAを二人から授かったんだな、と思います。
Q. テンナインとの出会いはその頃ですね?
 翻訳業を始める時、ある翻訳専門誌に載っていた全国エージェント紹介ページの一番上から、つまり北海道のエージェントから順にコンタクトを取っていきました。そのうち仕事の量が増えてきたのでしばらくトライアルは受けずにいましたが、さらに幅を広げてもっと面白い仕事もしてみたいなと思い、今度は東京にあるエージェントにコンタクトを取ろうと。でも東京にはエージェントが多くて数ページにも渡っていたので、ぱっと開いてえいっ!と指を指したところにコンタクトを取ろうと決めました。そこがたまたまテンナインだったんです!
  トライアルを受けたエージェント数はもう覚えていませんが、実際に仕事をしたエージェントは10社くらいでしょうか。登録後、忘れたころに依頼の電話をくださるところもあれば、トライアルを出したその日にすぐ依頼を受けたところもあって。比較的スムーズにフリーランス業の波に乗れたと思います。トライアルはエージェントによりますが、何を求めているのかがわからないので、やはり難しいですね。今、あるエージェントのトライアルチェックを担当していますが、トライアルをうまく使っているかどうか、エージェントによっても様々だと思います。
Q. エージェントとの付き合いで思うこと、
  これから翻訳者を目指す方へのアドバイスがあればお願いします。

 以前あるエージェントが業務の窓口を上海に移したため、不慣れなスタッフが電話をかけてくることがありました。その頃ちょうど2人目の子どもが生まれた頃で自分にも余裕がなかったせいか、長い電話やこちらの都合を理解してくれないなどの対応の悪さに、正直不満を感じてお付き合いをやめようと思いました。あとは翻訳料金が折り合わないことが理由になることもありました。
  エージェントとの出会いには運があると思います。今は基本的にネットから応募することが多く、顔を合わせずに仕事を始めることになるので、もしそのエージェントと上手く仕事が続かなければ運が悪かったと思って気持ちを切り替えた方がいいと思います。登録しても仕事の依頼が来なかった場合などもいさぎよく諦めて、1つのエージェントからの仕事を待たずにどんどん他にチャレンジして仕事を増やしていくことが大切です。英語で"get your foot in the door"といいますが、とっかかりをつかむことは難しいし大変です。エージェントの募集条件にはよく翻訳経験年数が入っていますが、初めて翻訳業に挑む人にはこの壁は高く、それにこだわっていては仕事を始めることはできないと思います。

Q. 翻訳業はどこででもできることが魅力ですね。
 そうですね。石垣で5年過ごしたあと、大阪に引っ越しました。そこでも翻訳をしていましたし、その後、主人が香港に1年間転勤になったときも翻訳業を続けました。イギリスの実家に帰ったときにも仕事を受けています。
  また、在宅での仕事のメリットは、集中できることです。きっといろんな人が一緒に仕事をするオフィスでは無理ですね。また、ちょっと休憩したいとか、はまっている昼ドラは絶対見逃したくないとか(笑)、自分のペースや都合で仕事が調整できます。特売品の買出しにも行けますし!子どもたちが病気のときも面倒を見てあげられます。
  デメリットはやはり人間関係が希薄になることですね。1日電話がなかったら、家族以外誰とも話さないことになります。子どもを保育園に迎えに行くと、つい他のお母さんたちと長話をしてしまうことがあります。小学校1年生の娘の学校行事には、できるだけ参加するようにしています。この前小学校の運動会がありお弁当を作っていったのですが、外国人のお弁当ってどんなのだろう?とみんなに注目されました!やはり周りからよく見られるので、気恥ずかしさを克服するために、プライドを持って出かけるようにしています。
Q. キャシーさんは法律文書の翻訳が得意ですね。
 それだけを専門にしているわけではないですが、契約書などはある一定の書式があり、言葉に感情が入っていないので、機械的に訳せてスピードは速いです。確かに日本語の契約書には冗長な言い回しが多いなとは思いますが、それも慣れです。これは私の勝手な解釈なのですが、日本で成立した契約書の英訳の場合には、"for information"としての役目を果たすこと、すなわち内容に齟齬がないことを最低限の目標としています。
  実は、この前イギリスに帰った時に遺言書を作ったんです。弁護士に正式なフォーマットで作成してもらったのですが、その英語はとても難しくて、はっきりいって自分で全部書けと言われても無理だと思います。イギリスの法律にのっとって作成する英文契約書にはラテン語がたくさんでてきますし、英語ネイティブだから理解できるという範囲は超えています。その後、日本でも弁護士に頼んで日本式の遺言書を作ったのですが、この日本語が意外とあっさりしていて、自分でも書けたのに!と思いました。
  逆に観光パンフレットや新聞記事などは、奥行きのある表現が多く、地名や歴史的な事実などに出てくる固有名詞も含めて、英訳は難しく時間がかかります。
  でも、頼まれた仕事を断るのは苦手で......。個人的にも頼まれごとをすると断れなくて、"No"と言えない性格です。
Q. これからの予定や将来の夢などはありますか?
 今後の予定として翻訳業での法人化を計画しています。また、翻訳業はずっと続けていきたいと思っていますが、いつか旅行企画の仕事もできたらいいなと思っています。夏休みにイギリスに帰るときに、旅行の企画・手配・観光案内をしたりとか。大分でのあの経験がずっと心に残っているのですね。
  仕事以外では、料理教室に通ったり、あと、子どもたちを日本各地に連れて行ってあげたいですね。子どもには2つの母国があり、どちらの言葉をメインにするかも考えるところです。子どもとは基本的に英語で話しますが、娘が3~4歳の頃に、「英語は話したくない!」と言い出したことがあって......。周りから特別扱いされるのがいやだったんでしょう。私は、今は子どもたちに日本語をしっかり習得してもらって、英語はその次でもいいと思っています。どちらか一つの言語をネイティブとして身につけないと、どちらの言葉も中途半端になるのではないかと思います。言葉だけでなく、文化もどちらに属するのか。イギリスには移民が持ち込んださまざまな文化が混ざり合っていて、イギリス独自のこれ!という文化があるとはあまり感じていません。一方、日本は完全に他の世界と違って、味があって、個性がある。その日本の文化をちゃんと身につけて欲しい。イギリスのことは後でいいと思っています。とはいえ、実は家ではほぼ英語で接しています。日本語をメインに習得してほしいですが、英語もやはりもう一つの自分の言語として忘れてほしくはないですね。私が家で漢字の入った原稿を見ていると、「マミー、漢字わかるの?」と娘が聞いてきます。そんな時は「んー、なんとなくね。」ととぼけるんです。でないと、日本語だけのコミュニケーションが始まってしまいますから。
Q. 最後に、日本語ネイティブで英訳をしたい方への
  アドバイスがあればお願いします。
 基本的にやめた方がいいと思いますが(笑)。非ネイティブ言語への翻訳は大変ですよね。
  私はサスペンスドラマでかなり日本語を覚えました。今も夜9時からのドラマなどはよく見ています。意味がよく分からなくても、どういうシーンで使われているかを知れば、だいたい応用できるようになります。あと、なぜか日本の番組は字幕が多くて、それが結構参考になります。しゃべっている言葉がそのまま字幕で表示されるので、耳から入ってきた言葉が自分の理解の通りかを確認できます。英語を習得したい人は、それの逆で、洋画を音声も字幕も英語で観ることも勉強になると思います。
  あと、自分が好きな分野や内容で自分が訳したい(ターゲット)言語に触れることです。私は占いに興味があり、細木数子さんの本も読みます。英訳希望の方なら英語でさまざまな文書に触れてみてください。原文の言葉(ソース)に対する理解力も必要ですが、ターゲット言語が上手く書けなければいい訳文はできません。これは、英訳をやっている英語ネイティブの私にも言えることです。ネットのニュースや検索は、日本語だけでなく英語でも見ることがあります。長く日本に住むと、英語力をキープしていく努力も必要になります。
  以前、先輩翻訳者に「翻訳者になる条件の一つは、ターゲット言語を書くことが好きなこと」と言われたことがありますが、これは今、私が皆さんにアドバイスできることの一つです。

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編集後記
 キャシーさんとは約1年半前、テンナイン社員旅行で香港に行ったときにお会いして以来の再会でした。15歳の時に「ちょっと面白い国」と興味を持った日本にすっかり馴染んでいらっしゃいます。話すスピードも速いキャシーさんですが、仕事のスピードも超高速!私たちも良き翻訳エージェントであるよう頑張りますので、どうぞこれからもよろしくお願いします!いつか、キャシーさん企画で社員旅行はイギリス......に行けるでしょうか、工藤社長!?



Vol.28 自己投資をして納得できる仕事を

第 8回 藤本 倫子さん  Tomoko Fujimoto
今年4月に本格的に翻訳者の道を歩み始めた藤本さんにご登場いただきます。学生時代から翻訳に興味を持っていたという藤本さんが、十数年の時を経てアメリカで翻訳業を始めるまでのヒストリーを中心にお話をお聞きしました。これから翻訳者を目指すみなさんにきっと共感していただけるインタビューです。


プロフィール  藤本 倫子さん Tomoko Fujimoto

関西外国語大学卒業後、大阪の貿易会社でバイリンガルアシスタントを経験。アメリカ人のご主人と結婚後、1998年オレゴン州に移住。地元企業やオレゴン大学でのアドミニストレーション業務に従事。2007年アーカンソー州に転居。4月フリーランス翻訳業を開始。


Q. 語学に興味をもったきっかけは?
小学校4年生のときに自宅から歩いて30秒くらいのところに英語塾ができて、近所の子供たちがみんな行っているからと母に勧められ、週1回通うことになりました。ここではABCの書き取りや簡単な単語のスペルなどを習い、おかげで中学に入ってからの英語の授業は楽でした。理数系が駄目だった分、英語は得意科目だと思いこんでしまいました。その流れで高校は英語教育が盛んな私学を選んだのですが、そこでは英語ができる子がたくさんいて、自分の英語力は大したことはなかったんだとちょっと落ち込みました。将来的に英語を使った仕事をしたいと思っていたので、大学では「ちゃんと英語が話せるようになること」を目標に実践的に英語を学べる学科に進学しました。米国の大学との交換留学制度があるのは知っていましたが留学先を選べないシステムで、アメリカよりもイギリスが好きだったこともあり、結局留学をすることはありませんでした。
Q. 将来の仕事として翻訳業を考えていた?
はい、英語を使った仕事の一つとして翻訳に興味を持っていました。大学の時に文芸翻訳の講座に通ったこともありますがとても難しいと感じました。グループで集まって順番に訳文を発表していくのですが、自分の訳文を発表するのがだんだん苦痛になってしまって...。クラスの他の方が上手ですし、年齢も上の方が多く、なんだかその雰囲気に圧倒されてしまったというか、自分のできなさを感じてしまいました。この時には翻訳を仕事にするのは無理だと思い、貿易会社で英文事務の仕事をしようと考えました。大学では船荷書類の作成など実践的な授業があり、もし将来翻訳の仕事ができるようになった時に貿易の仕組みなど知っていたら便利かな...とも考えて受講しました。
Q. 最初の就職は?
食器の輸入会社に無事就職し、ここでバイリンガルアシスタントとしてコレポン作成や書類のチェックなどをしたほか、簡単な翻訳作業もありました。その中で、自分が担当する輸入元から送られてきた食器のカタログを国内でのセールス用に翻訳するという業務があり、これがすごく楽しかったんです。個人的に食器が好きでしたし、こういう風に言ったら売れるのでは、といった感じでビジネスに貢献できるように考えて翻訳作業をすることにはやりがいがありました。でも、仕事自体はあまり忙しくなくて、上司がいないと若い女の子3人でお話しているようなのんびりしたOL生活でした。また、ここでは輸入元のメーカー店主が来日の際には通訳をしなければならず、会議で逐次通訳をすることがありました。通訳の勉強はしたことがなかったのですが、要点は納期と値段の交渉だと思い、それだけはしっかり伝わるようにと心がけました。実際、この経験で通訳業の大変さを思い知らされました。この会社で3年勤めた後、念願のイギリスに短期留学をして、また日本に戻り、今度は船積会社でバイリンガルアシスタントの仕事につきました。
Q. その後アメリカで暮らすことになったのですね?
結婚がきっかけです。アメリカ人の夫は当時JETプログラムを通じ大阪の高校で英語を教えていました。私の会社の同僚の女性がやはりJETで来ていたアメリカ人男性と交際していたので、その男性のご両親がNYから来て友人みんなも呼んで一緒に焼肉を食べようという話になったとき、私も誘われました。せっかく焼肉をおごってもらえるし、また会議で通訳をする予定があったので、ネイティブと話してスピーキングの練習もせなあかんということで(笑)。そこでその男性に誘われて来ていた夫と知り合いになりました。夫は大学院に進んで日本の戦国史を学ぶつもりでいたので、その前に日本語の習得を目的に日本に来ていたようです。付き合いが始まって2年くらいが経ったときに主人のプログラム期間が終了して、オレゴン大学の修士課程に進むことになりました。その時に一緒にアメリカに来ないかと言われまして...。また学生に戻る人との結婚は正直どうなるのかなと不安でしたが、まあ2年間ならなんとかなるかなと思いました。嫌いじゃないので別れる理由もありませんし!その後主人が博士課程まで進むとは思っていませんでした。
渡米後、自分が働かなくてはと思い仕事を探しましたが、推薦状もないですし、アメリカでの就業経験もないので仕事はなかなか見つからず、面接にも呼んでもらえないような状況でした。本当は主人が通うオレゴン大学の事務のポジションを希望していたのですが、この仕事は福利厚生がいいので人気があり、まずは取ってもらえるところならどこでもいいと。ようやく地元のある会社で事務職が見つかりました。スタッフもいい方ばかりで、仕事もそれほど忙しくなくとてもよい環境でした。ただ、日本ではできているつもりだった英会話は当然レベルが違い、周囲のしゃべるスピードが速くて頭が痛くなることがしょっちゅうでした。特に日本とのビジネスはなく翻訳の機会もありませんでしたが、ネイティブに囲まれる中で英語力は伸びました。この会社に2年ほど勤めた後、希望だったオレゴン大学の事務職で採用されることが決まりました。現在住んでいるアーカンソー州に移るまで約7年間オフィススペシャリストとして学籍課で働きました。ここでも翻訳にかかわる仕事はほとんどありませんでした。
Q. 翻訳業へのシフトはどのように?
去年の夏に主人が博士課程を修了し、アーカンソー中央大学で教えることになりまして、アーカンソー州に引っ越してきました。最初はこの大学で事務職に就こうかと思いましたが、オレゴンと比べてお給料や保険などの待遇はかなり下がり、同じような仕事でも環境が違うことに気付きました。就職の面接に呼ばれましたが、待遇の悪さに正直がっかりし、もう受からなくてもいいかも、と消極的なことまで考える始末で...。今後主人が教鞭をとる大学が変わればまた引っ越す可能性もありましたし、働き方をあらためて考えるようになりました。
ある日Yahoo!(英語版)ニュースを見ていたら、「やりたくない仕事を続けていると、性格まで皮肉になってしまう。自己投資をして好きな仕事を手にいれ、もっとHAPPYに人生を送ろう」というヘッドラインが目に留まりました(そのヘッドラインをクリックすると「もうかる仕事」のランキングといった内容で、特に翻訳業には触れられていなかったのですが)。この言葉が自分の心にとても響いて、ずっと働き続けるつもりなら自己投資してでも納得できる仕事を探したほうが良いのでは、と。これまでは主人が学生で私が働いて家計を助けていたので、次は私の番だと思いました。
Q. 「納得できる仕事」が翻訳業になるのですね。
はい。翻訳でしたら主人がどこに移ってもできる仕事ですし、遡れば学生の頃から興味を抱いていたことなので、「やりたくない仕事で性格まで皮肉になる」こともないですし、いつか安定した収入が得られるようになればいいなと。十数年越しに自分がしたかったことの第一歩を踏み出せた感じです。投資としては、現在日本の翻訳学校の通信講座を受講しています。大学生の時に通った翻訳講座では英語自体も良く分かっていなかったのですが、今は英語の問題というよりもぴったりくる日本語表現を見つけていくことに難しさを感じています。
在宅翻訳者になろうと思い立ってからインターネットを中心に情報を集め始めました。テンナインのことはそんな時に"ハイ・キャリア"を通じて知りました。それまでは仕事をもらう前に翻訳トライアルを受けないといけないということさえも知らない状態でした。また、翻訳関連の情報誌を買い、エージェント情報の欄を見ていたのですが、テンナイン・コミュニケーションという会社は「一緒にチャレンジしたいという意欲的な通訳者・翻訳者を求めている」と書いてあったことがとても印象に残って、この会社は完璧な方だけを採用するのではないんだ、一緒に上を目指すやる気がある人も募集しているのだと思い、応募することに決めました。
無事翻訳トライアルにも合格して、お仕事をいただくことができましたが、実はその雑誌には、トライアルに合格してもすぐに仕事が依頼されることは少ない、といった記事もあったので、最初にお仕事をいただいた時には嬉しかったですね。
Q. フリーランス翻訳者の第一歩を踏み出して、今後の展望は?
まずはいただいた仕事をきちんとこなして、徐々に仕事が増えていくように努力したいと思います。当面の目標は、同じクライアント様からリピートをいただけるように、質の高さをキープしていくことです。私自身にとっても用語や知識の蓄積になりますし、まずはここから目指そうと思っています。まだ翻訳業を開始して日が浅いですので、納品ごとに「これで良かったのだろうか...」と完全に安心することはありません。先日自分が翻訳した記事がお客様のHPに掲載されているのを見て、自分の仕事が形になっていることに喜びを感じました。
今5歳の娘の子育てをしていますので、在宅で仕事ができることはありがたい選択肢です。そのうち、どんどん仕事が増えてきて、子育てに支障があるのでは?と心配になるくらい仕事のオファーをいただけるようになりたいと思います。
Q. 新しい環境での生活と新しい仕事が始まったわけですね。
西海岸で約9年暮らしていたので、南部の雰囲気にあまり馴染めず、英語もイントネーションや発音など違うところもあって、これまではアーカンソーに居心地の良さを感じてはいませんでした。でも在宅で仕事ができるようになって、自分の居場所ができたような気がしています。娘にとっては私が外に働きに行くことが今までは当然だったので、最近は家にいる私に甘えてくるようになっています。「仕事中は静かに遊んでいてくれたら、ママは外に働きに行かなくてもいいんだよ」と話すと、静かにして協力してくれますので助かっています。
また、周辺に良いレストランがないこともあり、夫婦で手作り料理にはまっているのですが、スープストックを作ったり、ナンを焼いたり、下ごしらえに時間がかかることが家で仕事をしているとできますので、小さな幸せを感じます。家事や子育てとの両立という点では今のスタイルはとてもいいと思います。
きっと日本にいたら英語を使う仕事の選択肢がたくさんあるのだと思いますが、アメリカでも大都市以外では、日本語を生かせる仕事となると、その数が限られていると思います。日本語を教える仕事や日本とのビジネスをしている企業なども場所や数に限りがあるでしょう。きっとどんなに英語が上達しても母国語である日本語を生かせない仕事よりは、自分の能力を生かしてできる仕事をしたいな、と。今まではそうできなかったことで感じていたストレスがあったのかなと思いました。先ほどお話したYahoo!ニュースのヘッドラインが、すっと自分の心に入ってきたときが、ある意味転機だったのかもしれません。

編集後記
奈良のご実家に帰省中の藤本さんがお母様・お譲ちゃんと東京に旅行されると耳にし、インタビューにご協力いただきました。テンナインがフリーランス翻訳業のスタートという藤本さん、テンナインの成長とともに藤本さんのキャリアも高まっていくよう、一緒に頑張っていきましょう! 一緒にオフィスに来ていただいたお母様、彩紗ちゃんもありがとうございました。3人の家族写真、とっても素敵です。



Vol.27 90歳でも翻訳を!

第 7回 真弓 道代さん  Michiyo Mayumi
今回ご紹介する真弓道代さんは、日本人のご両親の元、生まれてから27年間を北米で過ごした日英翻訳者です。「言葉は環境の産物」というように、英語圏での生活から英語をネイティブ言語として日本語も流暢に操る真弓さんが、日本で翻訳業を始めたきっかけは?5歳と7歳のやんちゃな男の子のお母さんでもある真弓さんに、初めての翻訳の仕事や、リフレッシュ術、英訳者を目指す方へのアドバイスなどをお聞きしました。


プロフィール  真弓 道代さん Michiyo Mayumi

アメリカ生まれ。カナダで教育を受ける。結婚を機に9年前に来日。英会話インストラクターを経て、フリーランスで翻訳を開始。個人伝記やエッセイ等、文芸作品のほか、ビジネス全般の英訳も行う。育児・家事もこなしながら仕事にも力を入れる2児の母。


Q. アメリカ生まれのカナダ育ちとお聞きしました。
はい、両親はともに日本人です。そのため家庭での言語は日本語で、特に母が厳しく、幼稚園まではほぼ日本語だけしか話しませんでした。小学校は地元の学校に通いましたので英語環境になり、だんだん日本語がおかしくなっていきました。私を含め4人兄弟なのですが兄弟間の会話は英語で、一方両親特に母親とは必ず日本語、というバイリンガル環境でした。今思えば日本人のアイデンティティを持つ身としてこうして日本語を話せるのも、母の厳しいしつけのおかげと感謝しています。

Q. カナダから日本に移り住んだきっかけは?
結婚して日本にきました。旅行程度で日本に来ることはありましたが、初めて「住む」ことになりました。主人との出会いは、私が大学1年生でアルバイトをしていた土産物屋に、ワーキングホリデーでカナダに来た彼が偶然アルバイトとして入ることになり知り合いました。彼はワーホリが終わると日本に帰り、その後は手紙やメールでのやりとりでしたが、その間実際に会ったのは数えるくらいです。お互いにカナダと日本でそれぞれ仕事をして好きなことをしていましたが、そのうち自然に結婚しようという話になって...。この人とだったら世界のどこででも住めるかな、と。日本に行くことは正直考えていなかったのですが、27歳で結婚して初めて日本で暮らすことになりました。ちょうど9年前の話ですね。
Q. 日本に来てから翻訳の仕事を?
日本に来てからはまず都内でビジネスマンを対象にした英会話講師兼事務の仕事に就きました。新聞記事などを教材に用いたディベート練習などを通し、英語でのビジネス会話力を身につけてもらうことが目標です。その後妊娠を機に退職し、自宅で主に主婦の方を中心とした英会話教室を開きました。その後、翻訳の仕事にシフトしていくことになるのですが、まだキャリアとしては英語を教える仕事の方が長いですね。
Q. 翻訳に興味をもったきっかけは?
父が科学者(退職後の現在は在宅翻訳者として活躍)で、仕事の一環で翻訳をすることがあり、当時大学生だった私が時々手伝うことがありました。とても難しかったのですが翻訳の楽しさを知ったのはこのときです。専門性の高いものでなければ下訳をしたり、父とページを分担して自分も訳したり、調べ物を手伝ったり。父が最終的にチェックをして仕上げました。英語から日本語への翻訳は私にとってはネイティブではない言語への変換になりますので、ハードルが高く自分には難しいと思いました。英語環境で育ってきたので英語に訳す方がニュアンスを捉えた言葉が自然とでてきます。たとえば今でも喫茶店のメニューなど日本語・英語が併記されていると自然と英語の方に目がいきます。
Q. 一番最初の翻訳の仕事は?
自宅で英会話教室を始めてからしばらくして、ゴルフ場を経営している友人にゴルフの本を一冊訳して欲しいと頼まれました。スイングのテクニックなどの内容で、出版目的ではなく個人的に内容を知りたいということだったようです。これが英語から日本語の翻訳だったんです。依頼を受けた直後に夏の休暇で1カ月ほどカナダに帰る機会があり、父と一緒に翻訳をしました。それまでゴルフを経験したこともなくまったく知識のない分野でしたし、和訳でしたから父の手伝いがないと本当に難しかったですね。100ページ弱くらいの本で、翻訳料として20万円いただきました。初めての報酬を得た仕事です。嬉しかったですね。大変でしたけど1冊訳し終えて、翻訳をやっていこうという気持ちになりました。
これをきっかけに、英会話を教えながら、ネットで翻訳会社を調べて数社翻訳トライアルを受けたりレジュメを送ったりしました。あるエージェントのトライアルでは、論文の抜粋を英訳するというもので、合格後その論文全部を翻訳する仕事をいただきました。120ページくらいの内容ですが、とてもやりがいがあり、これが英訳では初めてのペイドの仕事となりました。また、翻訳者情報を登録できるサイトにレジュメを載せたりして、少しずつお問い合わせをいただくようになりました。
Q. コンスタントに仕事が入ってくるようになったのですね。
はい、現在はエージェント3社からコンスタントにお仕事をいただいています。最初のうちは英会話教室と並行して在宅翻訳の仕事をしていましたが、だんだん翻訳の方が忙しくなり、2年くらい前に翻訳一本に切り替えました。5歳と7歳の男の子の子育てとうまく両立できるように仕事量を調整しながらしています。1日の仕事時間としては、子供や主人を朝送り出してから、9時から14時まではびっしり仕事を入れています。子どもが学校から帰ってきてから寝るまでは家庭のことに専念します。その後、子供が寝てから20時半くらいから1時くらいまで翻訳をする時もあります。
翻訳を始めたころは問い合わせをいただいた仕事は全部受けていました。正直、翻訳が楽しかったせいか、以前はやりすぎでした。出産後1ヶ月くらいで仕事を再開していましたし。時間がなくて子どもの世話がおろそかになることもありました。今はそのバランスが取れるようになりました。性格的に家でのんびりしようとは思わずに、育児も仕事もなんでもしたいので、きっと90歳くらいまで長生きしてもまだ翻訳をしているような気がします。
また、年数が経つにつれて、内容的に自分に合っている仕事をいただけるようになりました。今の自分の環境にちょうど良いお仕事をいただけるようになるまで2~3年はかかったと思います。

Q. 仕事の気分転換はどのようにしていますか?
ずっとパソコンに向かっていると体がつらくなるので、ジムで週1回ワークアウトをしていますが、以前そこでやりすぎて腰を痛めたことがあって...。逆にパソコンにずっと座っているのがつらくなったりして!でも体を動かすと気分転換できますね。
また、地元の市に「日本人男性と結婚している外国人女性」のネットワークがあります。月に1回くらい集まって情報交換やおしゃべりをして気分転換しています。登録メンバーは30人くらいいますが、毎月の集まりには10人前後くらいが参加します。集合場所は各メンバーの家が持ち回りで、みんなで飲み物や料理を持ち寄ってポッドラックパーティ形式です。メンバーは主に英語圏出身、または英語を話す女性たちが集まり、海外で出版された本や雑誌を交換したり、日本での生活について互いに相談しあったりして、本当に有意義で楽しい時間を過ごしています。翻訳業をしているメンバーは実は私だけなのですが、このネットワークは私にとってとても大切なものです。
Q. 日本の生活で今でも戸惑うことはありますか?
自分が日本の学校に通っていなかったので、正直子どもの学校のことでは戸惑うことがありますね。分からないことはネットワークのメンバーに聞いたりして、ある意味learning experienceになっています。先日下の子が通う幼稚園で筑波山に1泊2日の小旅行がありました。先生の引率でロープウェイに乗り頂上付近を散策して、夜は麓の旅館に泊まるという内容です。日本の幼稚園はこんな経験をさせてくれるんだと正直驚きました。これからも子どもを通じて日本を知る機会がどんどん増えていくと思います。
子どもの勉強も大変だと思います。日本語はひらがなの他にカタカナや漢字がありますし!アルファベット26文字だけですから...。
自分の子どもには特に英語を教えていませんが、家では私がつい "Sit down"とか "Come here!"といった簡単な呼びかけを英語でしてしまうので、その辺りのことは理解しているようです。お母さんはカナダの人だと認識しているみたいです。時々、日本語がおかしいとは言われます。例えば「○○レンジャー」というヒーローものの発音が、私だと"ranger"(rの発音)ですが、子どもには「違うよ、"レ"ンジャー(lの発音)だよ!」と言われたりして...。子供には違和感があるみたいですね。私にとってはカタカナの発音こそ難しいですね。
Q. 在宅翻訳をする上で何か心がけていることは?
当然のことですが納期を守ることです。過去にキャパシティコントロールができず、その上子どもが急病になったときにはパニックになりました。それから本当に納期を守れるかどうかを見極めて仕事を引き受けるようにしています。また、自分だけでなく子ども自身の健康管理をしていくことでそういう非常事態を減らせるので、子どもにちゃんと食べさせて健康でいられるよう心がけています。
また、パソコンの管理も今は大切ですね。先日、超大容量データを扱っていてパソコンが動かなくなってしまい、インターネットカフェにかけこんだことがありました。こういった環境整備はフリーランス翻訳者には当たり前のことでしょうね。
Q. 翻訳業のメリットまたは大変だと思うことは?
やはり情報を通じた世界の広がりですね。普段だったら自分からは手をつけないような内容に触れられることがあります。最初にやったゴルフの翻訳などはまさにそうですね。いい経験でした。フリーランスになって2年ぐらい経ってからあるアンソロジー集の英語版プロジェクトに参加する機会がありました。私以外にも数人の英訳者が参加しましたが皆さんの実力が圧倒的に素晴らしく、とても刺激を受けた貴重な経験となりました。また、この英訳本がアマゾンなどで売られていて、自分の仕事が形になった喜びを味わえますね。
大変なこととしては、私にとってはまだ日本語のイディオムが難しいことがあります。いわゆる原文理解の問題です。しかし今ではネット上でかなり調べられますし、翻訳者同士が質問・回答したりするサイトなどもありますので、今後こういった問題は解決されていくのかもしれません。私にとっては、日本語の会話の方がまだ困りますね。
Q. 翻訳者(英訳)を目指す方へのアドバイスをお願いします。
私の勉強法は本や新聞をたくさん読むことです。特にネットニュースは日英両方なるべく読んでいますね。「News On Japan」 というサイトでは、日本に関連するニュースが英語で掲載されており、時事ニュースをキャッチアップしていくともに、英語での表現も得ることができます。私には特に専門分野があるわけではありませんので、もし専門知識を翻訳に生かしたいという方でしたら、その分野の英語をどんどん読んでいくことは効果的だと思いますし、自分が興味を持っている分野でトライアルやコンテストなどに応募してみると色々な道が開かれていきますので、是非挑戦してみることをお勧めします。

編集後記
英語ネイティブの真弓さん、インタビュー中で時折でてくる英語の発音がステキでした。聞き取れずに何度か聞き直してしまいました...。「○○レンジャー」の話も面白い!息子さんもそのうち、お母さんの発音かっこいい!と思うようになると思います。実は、私と最寄り駅が同じ真弓さん、ぜひ街で見かけたらお声掛けください!


Vol.26 英語が好き

第 6回 櫻田 由紀さん  Yuki Sakurada
今回ご登場のフリーランス翻訳者櫻田由紀さんは、在宅翻訳の前のお仕事がフランチャイズチェーン店経営だったという、ユニークなキャリアの持ち主。英語との出会いは中学1年生と決して早いスタートではなかったようです。「今やりたいことをやろう」というシンプルな思いで「好き」を仕事にしてしまった櫻田さんの自然体インタビューです。


プロフィール  櫻田 由紀さん Yuki Sakurada

関西外語大学外国語学部卒業、交換留学で米国大学でも学位取得。社内翻訳者としてキャリアを積む中、ワーキングホリデーでオーストラリアに滞在。結婚・出産にて一時子育てに専念。高齢者専門宅配業のFCチェーン店でのオーナー経験後、本格的にフリーランスの翻訳業を開始。子供との時間を大切にする1児の母。

Q. 語学に興味をもったきっかけは?
中学1年生で初めて英語を学び始めましたので、ごく一般的なスタートだったと思います。しかし1学期の途中から体調を崩して半年ほど入院をすることになり、英語の基礎のところで授業を受けられない状態になりました。その時に担当医の先生が、これでは勉強が遅れるから入院中自分で勉強を進めてごらんと言ってくださり、自分で計画を立てて教科書やワークブックを勉強しました。退院して学校に復帰するとすぐに期末テストというタイミングだったのですが、そこで英語のテストでクラス1位を取ってしまいました!それで「私、英語できるかしら?!」と英語に対して良いイメージができてしまって。それが今につながる英語のきっかけといえるかもしれません。今在宅で翻訳をしていますが、自分のペースでやっていくことも昔から性にあっていたのかもしれません。
その中学の英語の教科書に通訳の仕事について書いてあって、当時は漠然と通訳に憧れました。しかし、だんだんそれが難しい仕事であることが分かり、まずは企業に就職して英語を使える仕事をしようと。その先の仕事として通訳のことも考えていました。大学では実践的な英語を学べる英米語学科に進学しました。
Q. その後アメリカの大学に進学しますね。
この大学を希望した理由の一つでもあるのですが、日本の大学とアメリカの大学で単位互換制度があり、日本で3年生の夏を終えた後、サウスカロライナの大学に2年間留学しました。このアメリカの大学は日本人が一人もいなくて、田舎で車もなかったので遊びに行くといえば友達にちょこちょこついていくくらいで...。でも宿題が多くとにかく勉強が大変で、本当は遊びにいくどころではなかったのです。まずは卒業することを目標に2年間やり通しました。無事学位を取得した後、日本の大学に戻って不足単位分を履修し、日本の大学でも学位を無事取得することができました。
Q. 卒業後、いよいよ英語を使った仕事に?
最初の会社は入社後2か月くらいしか勤めませんでした。その後英語関係の仕事をしたくて次の企業に移り、ここで翻訳の仕事に携わることになりました。営業活動レポートの日英・英日翻訳の仕事です。上司の方がとても親切で、特に翻訳についてはいろいろと教えてくださいましたのでとてもいい環境で仕事をすることができました。
今の在宅翻訳と比べてみると、インハウスでは共に働いている仲間がいるので、自分だけの世界に閉じこもることがないというのが大きなメリットだと思います。分らない時には上司や社内の人に聞けましたので安心でした。これは私の場合なのですが、仕事のない時の時間の使い方で困ることがありました。この時には1週間スパンでの仕事でしたので、月曜日から取り掛かった仕事が大抵金曜日のお昼くらいには終わってしまって。他業務はさせてもらえなかったので、なんとなくぼんやりするしかなく、まだインターネットも社内で自由に使える時代ではなかったので、正直困りました。
Q. 次の転職の前には、オーストラリアに行かれていますね。
ワーキングホリデーです。なぜだか行きたくなったんです、その時オーストラリアに。違うところが見たいという思いだけでした。シドニーやエアーズロック、パースでガイドや簡単な通訳・翻訳をしていました。結局1年半滞在して日本に帰国し、またインハウス翻訳の仕事につきました。ここはISOやIECに関連する団体で主に英語でのコレスポンデンス業務やビジネス文書(マニュアル、議事録など)の翻訳業務がメインでした。アテンド通訳や会議での逐次通訳もここで初めて経験しました。実際に通訳の勉強はしたことはなく、通訳の仕事がある前の日の晩はプレッシャーで眠れなくて...。ここで通訳・翻訳を両方やらせていただいて、自分にはじっくり取り組める翻訳の方が向いていると思いました。通訳のように、その一瞬一瞬で最高のパフォーマンスを出すという仕事よりは、自分の納得のいくところまで取り組んで納品できる仕事の方が性格的に合っていると思いました。
Q. その後、在宅翻訳にシフトするのですか?
結婚を機に先の団体を退職しまして、その後前職での元同僚が勤める会社から直接翻訳のお仕事をいただきました。これが在宅翻訳での最初の仕事になりましたが、その元同僚の異動に伴いこの仕事も終わってしました。その後、数社のエージェントの翻訳トライアルを受けたのですが、ことごとく落ちてしまいまして...。厳しいフィードバックが返ってきたこともあり、フリーランスとして翻訳をするにはまだ実力不足なんだと思い、その後翻訳を仕事にすることはしばらく考えず、家庭に入って子育てに専念する期間が1年以上続きました。そのうちに子供も少し大きくなって、また仕事をしたい、何か新しいこともしてみたいといろいろと情報を集めているうちに、フランチャイズで独立・開業にチャレンジしてみようというアイデアにたどり着きました。高齢者専門の宅配弁当サービスのお店です。説明会を聞きに行って「よし、やろう!」ということになりました。私がオーナーとしてお店をやることになったんです。主人は1年間会社を休職して立ち上げを手伝ってくれましたが、ある程度軌道に乗ってからは従業員を雇い、自分で経営に携わりました。
Q. ずいぶん思い切った転換ですね!翻訳のことはもう諦めたのでしょうか?
確かにトライアルに落ちたことは悔しかったですし、やはり心の片隅には英語をやりたいという気持ちがずっとありました。でも、フランチャイズ運営のような新しいチャレンジはきっと若いうちじゃないと体力的にできないと思って...、それで今だと。従業員もいて人材管理にも気を遣いましたし、この事業に費やした2年半は本当に勉強になり充実していました。この頃の経験が今の翻訳業にダイレクトに活かされていることはないかもしれませんが、最終責任者としてクレームに対応したり、飛び込み営業なども経験したので、怖いものがなくなったような気がします。以前は心配性だったのですが、計画性を持つことと同時に、一見無理に思えることも考えてできると判断すれば、どんどん前に進めるようになりました。
Q. 店を終えられた後、翻訳の仕事にまたチャレンジしてみようと?
はい、お店を他のオーナーに譲ることになり、この頃にテンナインを知りました。以前の翻訳トライアルから数年のブランクがあり少し不安でしたが、以前に受けたところは電機・通信・機械などテクニカルな専門性の高い分野が多くて、今思えば分野違いを無視して受けていたような気がします。幸い数社トライアルに合格しお仕事をいただくようになりましたが、実際自分にはそれほど専門分野と呼べるものがないので、今法律関係の翻訳を勉強しながら専門分野を持てるよう努力しています。特に法律に興味を持っていたわけでもないのですが、翻訳講座を調べている中である先生(翻訳家)を知り、たまたま選べる講座が法律関係だったというだけなんです。でもやってみるとパズルみたいで、難解な文が解けたときには爽快です。長い目でみて自分の専門分野になればいいなと思っています。
Q. 在宅翻訳者になって良かったことは何ですか?
働くスタイルを自分で選べることですね。これが一番です。また会社勤めに戻りたいかと聞かれると、正直迷いますね。小学4年の娘がいますが、フリーランスですと子供の学校行事に合わせてあげられますし、在宅ですから子供が帰ってきたときに「お帰り」「ただいま」の会話ができることがいいですね。今日は階段を上がってくる足音がゆっくりだな...とか。なるべくそういう成長をそばで見ていてあげたいと思っています。
あとは一社に属しているよりも圧倒的に様々な内容や分野の情報に触れることができるのは魅力です。ずっと英語が好きだったので、1日中英語と対峙していても苦ではないですし。今勉強している法律翻訳講座では大量の法令文を読みます。きっと英日・日英どちらでもそうだと思いますが、「覚える」というよりは「表現が自然と出てくる」までとにかく文章を読み込んで体に染み込ませることは有効な学習方法ではないかと思います。現在、翻訳チェッカーの仕事もしていますが、チェック作業をし終えた後で翻訳に取り掛かると、言葉のアウトプットが非常にスムーズなんです。きっと英語漬けになって、脳が自然と翻訳モードになっているのかもしれません。
Q. これから翻訳者を目指す方へのアドバイスをお願いします。
私の場合、ただ英語と本が好きだったことが翻訳業への道を開いてくれたと思っています。大学生の時、近くの図書館にアガサ・クリスティの原書が揃っていて、夏休みには1日中読んでいました。実際に理解していたかというと完全には理解できず、かなり抜けた状態で読み進めいてくのですが、読み終えるころに話がなんとなく分かってきて、それが楽しくて嬉しくてずっと読んでいました。結局一夏で30冊近く原書を読みました。
また、高校生の頃にはFEN(極東放送、現AFN)のラジオを1日中流していました。何を言っているのかは分らなかったのですが、ずっと耳から入ってくる状態がまた心地よくて。たぶん、「翻訳・通訳」の仕事が好きというよりは「英語」が好きなのだと思います。英語を使える仕事で、こつこつ調べながら本をたくさん読むような感覚でできる仕事、となるとちょうど翻訳の仕事がぴったりはまったのだと思います。
また、私が家で仕事をする中で唯一決めているルールが17~21時はパソコンを閉じておく、ということです。この時間は子供と過ごす時間です。急な仕事が入ってしまうこともありますが、基本的にはこの時間を確保できるように、他の時間で効率よく仕事を溜めないで片づけるようにしています。子供が急に熱を出すこともありますし、在宅だからといってだらだら仕事をすることはできないですね。
在宅ですと家にこもりがちになってストレスが溜まるという話も聞きますが、私の場合は子供と夜に話をするだけでもストレスはなくなりますね。あと、いつも行く近所の喫茶店でコーヒーを飲みながら周囲の会話に耳を傾けてみたりとか、ゆっくり本を読んだりとか。それだけで気分転換になります。そう、あとは週に1回、コーラスサークルで歌っています。大きな声を出してストレス発散!やっぱりこういうバランスがどこかで必要かもしれませんね。
【櫻田さんお奨めの翻訳参考本】
『日本語の作文技術』
(本多勝一 著、出版社: 朝日文庫)
櫻田さんコメント:句読点の打ち方、節の並べ方ひとつで文章や読み易さが変わってきます。翻訳された日本語をいかに読みやすくするかという点でこの本はとても役に立ちます。今私がバイブルにしている本です。


編集後記
とにかく明るくて笑顔が素敵な方でした!「好きを仕事にする」は誰もが憧れるものですが、あまり力みすぎては前に進まないのかもしれないですね。「ただ好きだから」がずっと続いて、いろんなことやって、そして今がある。近所の素敵なお姉さんに楽しくお話をお聞きしたようなインタビューでした。こんなお姉さん、欲しかったなぁ!




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