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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.25 山が教えてくれたこと

第 5回 中島 聡子さん  Satoko Nakajima
いつもはモスクワで活躍中の中島さんに帰国中を狙ってインタビュー!日本の湿気と暑さに既にお疲れ気味でしたが、心のうちに秘めた情熱とその行動力に圧倒されたインタビューです。銀行員時代、山登り、コロンビア大学院留学、途上国支援活動、そして翻訳から見えてくるもの。聞き尽くせない中島さんのお話を凝縮してお届けします!


プロフィール  中島 聡子さん  Satoko Nakajima

米系銀行で13年間勤務後、コロンビア大学国際関係大学院で開発学を学ぶ。学生結婚したご主人とともに日本に戻り発展途上国支援の仕事に携わる。その間に長女出産。2006年4月にモスクワ移住、フリーランス翻訳業を開始。『通訳・翻訳者リレーブログ』にて"さるるん@ロシア"のハンドルネームで毎週火曜日担当。


Q. 語学に興味を持ったきっかけは?
母方の祖父が英語教師で、自分が初孫だったこともありかわいがってもらい、小学3年から英語を教えてもらいました。祖父はいわゆる"慶応ボーイ"でしたが、そこは明治生まれ。"because"は"なんとなれば"だと教えられました!その頃から漠然と自分は英語を使った仕事をしていくんだろうな、と思っていました。進学先の津田塾大学で専攻したのはアメリカの地域研究です。当時はアメリカで起きたことが10年後に日本で起きると言われていたので、日本の将来を知りたいという気持ちで勉強しました。
Q. 卒業後初めてのお仕事は外資系銀行でしたね。金融関係に興味を持っていたのですか?
私が大学を卒業した頃は、女性が男性と同等に仕事ができるのは外資系企業だけと言われていました。多様な日本企業を支える立場にある銀行で、英語を使って国際的な舞台で仕事をすることに魅力を感じました。
Q. 現在は金融・会計を中心に翻訳をされていらっしゃいますが、翻訳に生かされる基礎がここで築かれたのですか?
そうですね。所属は貿易関連の部署でしたが、貿易を通して国と国とのつながりや世界の中での日本というものを確認することができましたし、外国為替や銀行の商品についての基礎知識はここで得られました。リスクマネジメント関連の知識として財務諸表など企業判断に関する書類の見方を学んだり、監査に対応する機会がありましたので、今の翻訳業に役立っていると思います。また、入社後10年で課長職に昇進しました。その時にマネジメントとはどういうことかを学び、部課長レベルのミーティングで戦略的な話に加わる機会があったことが、後に他の仕事でマネジメントに携わる際の基礎になりました。翻訳で議事録などを訳す際にもイメージがつかみやすいですね。社内文書が全て英語だったので、英文のビジネス文書にも慣れました。
Q. その後アメリカの大学院に留学したきっかけは?
銀行員時代、山登りが好きで年間100日くらい山に登っていた時期がありました。土日も長期休暇もほぼ山にいた感じですね。主に北アルプスなど日本の山に登っていたのですが、山仲間に「ネパールに行かなくては!」と薦められ、ヒマラヤトレッキングに行ったんです。ここで見たものは、ネパールの人びとが家族をとても大事にしていて、昔の日本のような温かさを残していることでした。一方で生活は貧しく、彼我の差を感じました。この時をきっかけに途上国の問題に関心を持つようになりいろいろ調べるうちに、自分が関わっている貿易(フリートレード)の構造が途上国の貧しさと無縁ではないという思いにいたりました。これからは途上国支援に携わろうと決め、開発について総合的に学ぶためにコロンビア大学の大学院に留学しました。
Q. NYでの留学生活はどうでしたか?
留学先の国際関係大学院は世界中から人が集まってくるところでそこが魅力でした。アフリカや南米出身の女性たちがとてもアグレッシブで圧倒されました。『ニューヨーク・タイムズ』を購読していましたが、さすが米国は世界の警察と言われるだけのことはあり、世界中の動きを取り上げているところが日本の新聞雑誌にはない点でした。日本のメディアによる海外のニュース報道があまりにも限定的だと気づかされました。ちょうど留学した頃は冷戦終結から数年という時期で、これからの世界は日米欧の三極化だと楽観的に考えていました。日本がアジアや世界の中でも中心的な役割を担っていくと期待していたのですが、外から日本を見ると日本にはリーダーシップを取ろうという気概がないと思えてきましたし、アメリカの目も既に日本ではなく中国に向いており、愕然としました。海外で暮らすと、日本がよく見えるようになる気がします。
Q. ご主人との出会いもこのNYだったのですね。
はい。私が開発専攻で主人が環境政策専攻。アメリカの外交政策のゼミで出会いました。主人はロシア人です。私の育った北海道では冷戦時代にはソ連の存在はリアルな脅威だったので、主人と初めて会ったときもロシア人ってどういう人間なんだろうととても興味があって、私から話しかけたような気がします。徐々に話をするうちにお互いを理解していったのだと思います。主人からのプロポーズはこの留学中、今はなきワールドトレードセンターの屋上でした。ちょうど卒業の時期が近づいていた頃で、もしこのまま卒業して離れ離れになったら二度と会えないと思い、プロポーズを受けてから2週間も経たないで書類を整えて結婚しました。その時互いの親には写真しか見せていませんでしたが! そして、二人で日本に戻ってきました。
Q. すごい行動力!ところで"翻訳"との出会いはいつ頃だったのでしょうか?
職業にするかどうかは別として、大学時代から翻訳自体に興味があり、中田耕治先生(翻訳家、作家、評論家、元女子美大教授)の文芸翻訳の講座を受けたことがあります。その授業で自分の訳文を発表する機会があったのですが、当時はまだ人生経験が浅くいわゆる男女の機微を理解できなかったため、「それはそういうことではないよ!」と周りから爆笑されたりして・・・。銀行員時代には、ボランティアとしてフォスターペアレントとチャイルド間の手紙を百通以上翻訳した経験があります。留学後は仕事の一環で翻訳をする機会も少なからずありましたが、収入を得た初めての翻訳という点では、NGO団体に勤めていた頃、主人の英訳の下訳をしたことが最初といえるかもしれません。フリーランスとして翻訳業に専念し始めたのは、モスクワに引っ越してからです。
Q. フリーランサーとして翻訳業を始めたのは背水の陣だともお聞きしました。
確かに最初はそういう意識がありました。子どももいますし、ロシア語は簡単な日常会話程度のレベルです。現地の会社で働くにも難しさを感じましたので、在宅で翻訳の仕事ができるということはありがたい選択肢でした。翻訳という仕事を通じ、様々なビジネスを下支えしているような気持ちになります。翻訳を通じ世界の中の日本を、しかも日本の外から見ることができます。そういう風に世界や日本に関わる仕事がしたいとずっと思ってきましたし、ビジネス翻訳の仕事を始め、仕事を通して世界の動きを知るという感覚がよみがえってきています。
Q. これまでの失敗談はありますか?
今もそうなのですがまだ自分は若葉マークなので、適量が分からないときがあります。原稿を見たときに必要翻訳時間が正確に把握できず、結果的にとてもぎりぎりのスケジュールで作業をすることもあります。立て込んでいる時期は、起きている時間は家事をするか仕事をするかで、一日中翻訳している気がします。主人に夕食の準備をしてもらったり、土日は家が静かな環境になるようにと子どもを外へ連れ出してもらったり、何かと協力してもらっています。
Q. 仕事で大切にしていることはありますか?
人生で大切だと思うことは、山から学んだことが多いです。パーティを組んで山に入り、ザイルをつないで登る時には仲間との信頼関係は絶対です。そういう意味ではテンナインとはパーティを組んでいる気持ちになっています。
以前一人がベテランで三人が冬山初心者という四人のパーティで雪山に登ったことがあります。麓から見上げると美しい雪煙ですが、その中は強風で体が吹き飛ばされそうな世界です。滑落の危険のある場所でザイルを出したのですが、私ともう一人がパニック状態だったのか、ハーネスにザイルを通す方法を思い出せなくなったのです。先行した二人を散々待たせてしまいました。手が覚えていたブーリン結びで直接ザイルを体に結び付けて進みました。二人は「早く来いよ!」と思っていたはずですが、寒い中何も言わずに待っていてくれて、その時にパーティを組んで自分の持分をしっかりと果たさないと仲間まで巻き添えになってしまう、この人たちを死なせてしまうんだと思いました。自分の持分を果たすことが仲間を生かすことだと強烈に感じました。その後仕事をする時にもチームで仕事をする時には、他の仲間を倒れさせないためにも自分ががんばる、という意識は心の底にあります。
Q. 将来の目標やプランはありますか?
とってもかわいいロシア土産!
今は、日本とロシアの二つの祖国を持つ我が子に日本をどう継承していくかということが自分にとって大きなテーマです。そう思うと、やはり現在日本が危機的な状況にあることを考えずにはいられません。日本のために何かをしていこうと思いますが、翻訳をしながら日本のビジネスの後押しをし、そこから私もいろいろと学んで、日本のあり方を考えられるかもしれない。そういった意味では今の自分に合ったことをさせてもらっています。
また日本に帰ってきて、翻訳の仕事をそのまま続けるかどうかは正直わかりません。もし何か活動の場所が見つかれば、何をするかはわからないですね(笑)。でもどこかで一生活動家でいたいのかもしれません。



編集後記
常に世界の中の日本を意識し、そのために何か役に立つことをしていきたいと語る中島さんの心に熱い炎が静かに燃えさかっているのが見えました。今後翻訳の枠を飛び越えて活躍の場を広げてほしいと思います。中島さんの口からこぼれるちょっとした言葉がとてもユニークで、全部をご紹介できないのが残念です。皆さん、『リレーブログ』も要チェック!山の話やモスクワの話ももっと聞きたかったです。



Vol.24 ジグソーパズルを組み立てるような面白さがあります

第 4 回 Ng Soh King ンー・ソーキンさん
香港から1週間の日本帰国の合間を縫ってインタビューに応じてくださった日英翻訳者のソーキンさんをお迎えします。言語学の博士号を取得し、翻訳の仕事をしながらも、つい言語学的な視点で原稿を読んでしまうというソーキンさん。そんなソーキンさんが、外国語として最初に日本語に興味を持った理由や、ご主人との出会い、翻訳の楽しさなどを語ってくださいました。


プロフィール  ンー・ソーキン(黄淑琴)さん Ng Soh King

シンガポール出身。シンガポール大学で日本語を専攻した後、ハワイ、日本、オーストラリアの大学に通い言語学博士号を取得。その間、シンガポール大学の教壇に経ち、日本語や翻訳を教える。2005年よりフリーランス翻訳者として活躍。幅広い分野の翻訳をこなすが、今後、金融・医薬分野での翻訳に力を入れていきたいと希望。香港在住。


Q. 日本語に興味を持ったきっかけは?
ちょうど私が中学3年生くらいのころ、シンガポールに日本のポップカルチャーがどんどん入ってきていました。NHKの紅白歌合戦が放送されたり、山口百恵さんが主演していた『赤い疑惑』というドラマを見たりして、すごく日本の文化に惹かれました。テレビで初めて山口百恵さんが歌っているのを見てとても憧れましたし、松田聖子さんや河合奈保子さんといったアイドルがシンガポールでも大人気でした。高校卒業後の進路を考える際に、何か外国語を勉強したいという思いがあったのですが、勉強するなら日本語、とシンガポール大学の日本研究学科に進学することに決めました。
大学4年生になる前に、日本政府文部科学省の奨学金を得て名古屋大学に約1年間留学しました。学生寮にはいろんな国の人が集まっていて、毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。その頃はまだ会話力も十分ではなく、授業で習った言い回しをその日のうちに実践で使ってみる、という繰り返しで、テキストどおりのしゃべり方をちょっとからかわれたりしながらも、本当に楽しく充実した留学生活を送りました。
Q. その後、ハワイで言語学の勉強を始めるのですね。
シンガポールの大学を卒業してから、2年間ほど同大学で日本語クラスの常勤教員として勤務し、その後、ハワイ大学の修士課程で言語学を専攻しました。シンガポール大学のときにも言語学のクラスがあり、そこでもっと言葉の理論や体系を深く学びたいと思ったからです。奨学金を得られる、という理由もあってハワイ大学を選んだのですが、当時の私には初めて西洋世界に飛び込んだという感じで、こんなに遠くに来てしまったとホームシックになりました。勉強が忙しかったこともあってあまり遊んだりもせず、今となってはもっとハワイを満喫すればよかったな、なんて思います。
修士号を取得してシンガポールに帰り、また母校で教壇に立ちました。実際に、私の社会経験といえば、大学の教壇に立つこと以外には、シンガポールにある日系企業で1ヶ月間だけ雑務のアルバイトをした経験だけです。ですから、今フリーランス翻訳者として仕事をしている中でも、一般企業など組織の中に入って仕事をする経験があれば、知識や視野の広がりが持てるだろうな、と時々思うことがあります。
Q. そして、今度はオーストラリアへ・・・。
実は、修士が終わってからも博士号を取得するためハワイ大学に半年くらい残っていたのですが、やはりシンガポールに戻りたい気持ちがあって、途中で辞めて帰ってきてしまったという経緯があります。ハワイで言語学を一緒に学んだクラスメートの一人が実は夫でして・・・。私がシンガポールに戻ってから半年後に彼もシンガポールにやってきて、私の母校で就職しました。そして結婚したのですが、私も当時母校で教えていたので、また夫婦で同じところに通うことになったんです。でもその後、私が博士号を取得するためにまた留学先を探し始めて、アメリカ以外(ホームシックでつらかった思い出が・・・)という選択肢の中から、メルボルンの大学を選びました。結婚してから1年半くらい経っていましたが、夫を置いての留学です。留学期間は4年半くらいでしたが、長期の休みには夫のところに帰って一緒に過ごしたので、ずっと離ればなれということではなかったですね。
その間、夫の勤め先がシンガポールの時もあれば、夫の母国である日本に戻っている時もあって、なんだか夫婦であちこち移動している感じでしたね。夫も研究者ですし、お互いの学問的関心を尊重し合えますので、この留学生活はとても順調に進み、無事博士号を取得できました。
Q. 翻訳に興味をもったきっかけはなんですか?
これだというきっかけはあまり思いつきません。大学で日本語を学ぶ際に用いた教材には対訳付きが多く、日英翻訳のコースも履修しましたので、翻訳というものへの意識が芽生え始めたのはその頃かと思います。学生時代に友人2人と共同で、800ページほどのコンピュータマニュアルを英訳したことがあります。仕事としての翻訳経験はこれが最初といえるでしょうか。また、母校で日英翻訳の講座を担当したこともありました。いつも英語と日本語が横にならんで私の身近にあったのだな、と今振り返ってあらためて思います。大学での勉強を一通り終えた後に翻訳業を始めたことはそれほど飛躍した結果ではないと思います。
途中で大学で働いたりもしましたが、学生として勉強していた期間が長かったため、本格的に働き始めたのはほんの数年前からになります。もしフリーランス翻訳者でなかったら、大学で翻訳や言語学を教えるという選択肢もあったかもしれませんが、結婚もしていましたし、夫の仕事で住む国も代わったりしていましたので、在宅でできる仕事を選びました。実はあまり積極的な性格ではないので、最初は友人から頼まれたものをちょこちょこ翻訳している程度でしたが、ちゃんとプロとして仕事をする環境にしようと思い、エージェントに登録することを考えました。その時ネットでいろいろ探している中で、テンナインさんの『ハイ・キャリア』のサイトを見つけました。そこである社内翻訳者さんのインタビュー記事を読んで印象に残ったので、テンナインさんの翻訳トライアルを受けることにしました。そこから翻訳業の本格的なスタートとなりました。
Q. 私たちもソーキンさんと出会えてよかったです!ところで、翻訳業をしていて良かったことはなんですか?
翻訳の仕事は本当に楽しいです。社会人としての実際的な経験がほとんどないため、翻訳という仕事を通して様々な世界の情報を知り、擬似的な社会体験ができる、ということはメリットです。私が何年間も「言語」に関わってきた理由は、純粋に言葉を考えることが本当に好きだからなんです。小説を読んでいるときも、書き手のくせや表現を一字一句じっくり分析して、この人はこういう人なのかな、と想像を働かせていたりします。この英語表現は日本語だとこういうのかな、と考えることもしばしばです。いわゆる対照言語学的視点で読んでいるのです。ですから翻訳をしている時にも、このような読み方をしてしまうので良くないですよね。一字一句じっくり原稿を読んでいるのですから・・・。速読法に魅力まで感じてしまいます。速読ができれば、もっと翻訳のスピードもあがりますし!自分の興味のあることをそのまま仕事にしているような感じですが、仕事と趣味は分けなければいけないとも思います。最も翻訳が楽しいと思うことは、翻訳の作業工程にあります。翻訳の原稿はジグソーパズルのようなものです。原文の日本語をいったん一つ一つのピースに崩して、そのピースを英語にして組み立て直していきながら、同じ絵を作りあげる、という感じです。こういう工程を経ることで、私自身にとって最も理解できる言語でその絵(原稿)を理解できることになります。翻訳が楽しいのは、このプロセスです。
Q. 今後のキャリアプランは?
今、夫の仕事の都合で香港に暮らしています。1年半くらいになりますが、香港の社会や人々をもっと知りたいと思っています。在宅で仕事をしていると、やはり他人との接触が希薄になりますし、いつかは香港を離れる日が来ることを考えると、このまま香港を良く知らずに日本に帰ってしまうのはもったいないと思います。
また、このことはまだ漠然とした考えなのですが、大学で翻訳を教える仕事にも惹かれています。これはフリーランスでの翻訳をしていなかったら気づかなかったことかもしれませんが、翻訳には必ず締め切りがあり、特に翻訳作業時間が短い場合だと、どうしても時間がきたらその完成度に納得がいかなくとも諦めなければいけません。きっと翻訳者のみなさんはそういうジレンマと戦っていらっしゃいますよね。教育の場ですと、仲間の先生や生徒たちと議論をしたり意見を交換したりして、可能性を探る時間があると思います。それが私には魅力的なことです。また、フリーランスという形態はメリットもあるのですが、いつ仕事が入ってくるのかわからなくて、いつでも依頼待ちの態勢になってしまうところや、在宅で一人で仕事をしているので、翻訳で迷った時にちょっと相談する相手がそばにいない、翻訳を始めてしまうとその時間も実はない、という点はつらいところですね。
ただ、キャリアプランとしてそんなに先のことまでは考えていないんです。60歳になってもまだ翻訳をしているかというと・・・、どうでしょうか。きっと翻訳は続けていると思います。できればいつか出版翻訳をしてみたいです。日本語で書かれているものを英語圏の読者に紹介するのが夢ですね。いろいろな国で暮らしてきましたが、将来的には故郷のシンガポールに帰りたいですね。「郷に入ったら郷に従え」の精神であちこちで暮らしましたが、やはり落ち着くのはホームタウンです。夫は日本人なので、日本に帰りたいといいますし、まだこの先どうなるかはわかりません。
とりあえず今2人で合意していることは、老後は半年間ずつお互いの国で暮らそう、ということだけですね。
【ソーキンさんお奨めの翻訳参考本】
『Can Theory Help Translations? 』
(Andrew Chesterman 著, Emma Wagner(著)、出版社: St Jerome Pub (2001年11月))
英語。翻訳理論の教授とプロの翻訳者が、翻訳者が抱える問題点や翻訳の質、倫理、方法論など様々な観点から翻訳の理論と実践について意見を交わした書簡を本にまとめたもの。
※ソーキンさんはちょうどこの本を読んでいる最中とのこと。翻訳エージェントの方にも参考になります、と薦めていただきました。


『技術翻訳のチェックポイント』
(ケビン モリセイ (著), 日立テクニカルコミュニケーションズ (編集), Kevin Morrissey (原著), 日立製作所ソフトウェア事業部)
技術英文の翻訳実務に携わっている人のために、構成からメリハリの付け方、箇条書きの使い方、操作手順の書き方などまで、テクニカル文書の書き方の原則を解説。練習問題も掲載。英文併記。
※日英バイリンガルなのがとても役に立つ、と話していらっしゃいました。これから技術翻訳を目指される方にお奨めです、とのご紹介です。


編集後記
ソーキンさんはとても純粋で、ひたむきで、奥床しい方でした。実は、インタビューの1/3くらいは、ハワイで出会ったご主人との馴れ初め話で盛り上がってしまいました(私が無理やり質問していたような・・・)。ここでご紹介できないのが残念です!翻訳原稿をついじっくり読んでしまう、というソーキンさん、翻訳の確かな質はそこに秘密があるのでしょうか。これからもお世話になります!



Vol.23 たどり着いた在宅翻訳 子どもと同じ空間にいる安心感

第3回は、金融分野を中心にフリーランスで活躍する堆 史乃さんへのインタビューです。小学2年生のお子さんとの時間を大切にしたい、と在宅翻訳者の道を選んだ堆さん。留学、"金融"との出会いと翻訳業の始まり、そして子育てと仕事の両立についてなど、飾らない言葉で語ってくださいました。

プロフィール  堆 史乃さん Shino Akutsu

英文学科卒業後、営業職を経て、アメリカの大学で経営学を学ぶ。帰国後、外資系証券会社2社に計12年間勤務。その後、在宅翻訳者に転身。金融特に債券関連の翻訳を中心に活躍。通訳の勉強も続けるなど、知的好奇心を満たしながらスキルアップへの意欲を欠かさない一児の母。
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Q. 翻訳を始めたきっかけは?
「翻訳」を仕事として考え始めたのは、子育てのために勤めていた会社を退職したことがきっかけです。現在、小学2年生の息子がいます。最初のうちは保育園に子どもを預けて会社勤めをしていましたが、やはり息子と一緒にいる時間を長くとりたいと思い、幼稚園にあがるのを機に退職をしました。子供が小学校へあがるころには何か仕事を始めようと思い週に何日か外にでることも考えましたが、それも実際は難しく少しずつ在宅で翻訳の仕事をしようと思うようになりました。
会社勤めを辞めるまで、証券会社2社に計12年間勤めましたが、金融業界に身をおいてある程度の専門知識や業界経験を身につけていることや自分の英語力を生かせるということで少しずつその方向性に傾いていったのだと思います。
Q. それまでの会社勤めの中で、翻訳に関わることが多かったのですか?
英語を日常的に使ってはいましたが、営業職でしたので翻訳そのものに関わっていたわけではありません。ただそれほど規模の大きな会社ではなかったので、基本的に多くのファンクションを自分でこなすことが求められ、内部使用のものは大抵自分で訳したり英語を書いたりしましたが、オフィシャルなものや量が多いものは翻訳を外注していました。上がってくる翻訳を見ると素晴らしい出来栄えのものもあれば、全面的に直す必要のあるものもあり、「これだったら私でもできるな・・・」と思ったことも正直ありました。ただ今自分が翻訳業を始めたことで、限られた時間と情報の中で、高品質の翻訳を提供することがどれほど大変なことかを、身をもって思い知らされています。
Q. 翻訳業のスタートは順調でしたか?
まずは翻訳エージェント数社のトライアルを受けましたが、その時まで翻訳業界についての知識などはほとんどなかったので、エージェントからの反応は一つ一つが新鮮でした。あるエージェントからのフィードバックでは、きれいで読みやすい日本語だけれど意訳気味なので一字一句忠実に訳してほしいと言われ、次のトライアルで忠実さを重視したところ、もっと読みやすくすっきりとした日本語で仕上げてほしかった、と言われました。そのさじ加減が今でも難しいところです。初めは一カ月に1、2件程度の翻訳依頼でしたが、できるだけ丁寧に仕上げる様心がけたところ依頼が少しずつ増えていきました。翻訳の内容ももちろんですが、誤字脱字を含めたケアレスミスはエージェントの信頼を失う最も大きな要素のひとつだと思っています。 また依頼があまり多くなかった時期には通訳の短期コースにも通いました。通訳の勉強も宿題と予習・復習で大変でしたが勉強するうちに面白くなっていきました。現在も通訳学校に週2回通っています。まだ通訳というスキルを習得できるか全く分からない状態ですが、翻訳をする上でも通訳学校で学んだことが活かされますし、自分にとって良い刺激になっています。
Q. 留学、そして「金融」との出会いはどのようなものでしたか?
社会人になり数年してから、アメリカの大学に留学しました。その当時はまだ「金融」という分野に強い興味を抱いていたわけではありませんでした。しかしそのころ父親が証券会社に勤めていたこともあり話を少しずつ聞くうちに漠然と卒業後は金融へという思いを持っていたのかもしれません。大学では経営学を学びました。全く下地のなかった私にとってその内容はとても新鮮でした。世界中から学生が集まるなかでビジネス戦略の討論などができたことは今でも私の財産であると思っています。この留学を通じて英語を自分のものにしたいという思いはあったので、今の翻訳業の下地となる語学力がここで培われたことになると思います。
2年間の留学生活を終え、外資系の証券会社に就職しました。金融経験のない私にとって就職活動は容易なものではありませんでしたが、私を採用し、一から育ててくれたその会社の上司には今でも心から感謝しています。あの方たちがいなければ今の私はありませんから。
Q. そしていよいよ金融の世界に・・・
日経新聞で金融用語や表現をかかさずチェック
就職してから数年間は必死で、時間を忘れるほど勉強しました。そして勉強をすればするほど面白くなっていったのには不思議です。金融に関する用語は日々変わっていきますし、勉強をしてもこれで終わりということはありませんでした。その後転職した先も証券会社ですが、2社を通じて主に債券に関わる仕事でした。
「金融」といってもその範囲は非常に広く金融業界で働いている方々がそれぞれ専門とする分野はさらに狭いものだと思います。例えば私の場合ですと、債券の中でもクレジットデリバティブといった分野を主に担当していたため、株式については専門ではない、というイメージを持ってしまいます。翻訳者として専門分野は?と尋ねられれば金融です、と一般的には答えますが、これまで頂いた翻訳依頼の中で、自分の専門分野と呼べるものに出会うことは本当に数えるほどしかありません。ですから金融業界での経験は確かに今の仕事に十分生かされていると思いますが、それに甘んじず日々勉強を重ねる必要があることを実感しています。
Q. 金融専門の翻訳者を目指している方へのアドバイスをお願いします。
翻訳の参考に使っている書籍・電子辞書
アドバイス、といえるほどのことは申し上げられませんが、きっと翻訳者を目指している方でしたら、学校などで翻訳の勉強をされていらっしゃるでしょうし、特に金融に特化した翻訳の講座を受けたりなどされていると思います。私も通信教育で金融専門の講座を受けました。そこでは、広く金融・経済について学ぶことができ、私のように債券のある部分でのみ実務を積んだ人間にとっては総合的に金融知識を翻訳という視点から学ぶことができる良い機会でした。翻訳文書の内容によっては現場を経験したことがないとわからないことや浮かんでこない表現などがあるかもしれませんが、一般的な内容にとどまるものであれば、金融業界での経験がない方でも学習を積むことで対応できるようになるのではないかと思います。また、エコノミストが書く英語は平易ではなく、凝った表現が使われることがあり、訳していて悩むことが多いものです。しかし今はインターネットでありとあらゆることが調べられますから、業界経験がないことをそれほどハンデと感じなくてもよいのかもしれませんね。今通っている通訳学校の先生が、「この分野では天才はいない、努力した人だけが上へあがっていく」とおっしゃっていました。翻訳も同じだと思います。英語が分からない時には、ネイティブや帰国子女の方をうらやましく思いがちですが、金融業界の経験がなくとも努力でものにできる部分は多いと思います。
Q. 最後に、子育てをしながら翻訳業を始めたい方にメッセージをお願いします。
初めは子供が小学校に上がるころから少しずつ外で働こうという考えを持っていましたが、結局子どものために家にいることを選びました。低学年のうちは帰宅時間が早いですし習い事の送り迎えなどもあり実際のところ難しかったということもあります。自宅で長時間パソコンに向かう仕事はそれなりに大変で自己管理も求められます。それでも子どもが学校から帰ってきたときに家で迎えてあげられることや、学校の行事や予定に自分の仕事のスケジュールを合わせられることは大きなメリットだと思います。また、仕事中は子供と一緒に遊んだり勉強を見てあげたりすることはできなくても同じ屋根の下にいるという安心感を私も子どもも持っています。また忙しいときには夫に家事をお願いするなどしてやりくりしています。夫がどれほど翻訳という仕事を理解しているのかわかりませんが、それなりによく手伝ってくれていると思います。そういう面では助かっていますね。主婦の方ですと、子育ても家事も完璧にこなしたい、と思う方もいらっしゃると思いますが、やはりある部分で手抜きも仕方がないかと思います。
また不定期ですが、テニスをしています。太陽の下で体を動かして汗をかくことが気分転換になります。在宅翻訳者の方々はそれぞれ気分転換で工夫をされていらっしゃるでしょうね。

編集後記
今回は会社を飛び出して、美味しいお茶をいただきながらのインタビューでした。そのせいか時間が経つのを忘れてしまうほど、堆さんと話し込んでしまいました。週2回の通学やテニス、お子さんとの時間、主婦としての仕事・・・、実際には時間に追われる毎日のようです。それでも疲れたご様子もなくさわやかに明瞭な言葉で思いを語ってくださった堆さんに憧れてしまいました。私もいつかは子育て+仕事の両立、実現したいな!



Vol.22 私は、大都市のフリーランス消防士です

第2回は、医薬翻訳者のベン・デイビスさんへのインタビューです。「魚」がつく漢字を全て覚えたというユニークな日本語勉強法から、フリーランス翻訳者としての独立秘話、医薬を専門に選んだ理由、そしてフリーランス翻訳者を目指す方々への貴重な4ポイントアドバイスも!含蓄に富んだベンさんの「翻訳者論」、必読です!

プロフィール  ベン・デイビスさん Ben Davis

英国出身。イギリスの大学を卒業後、JETプログラムで青森へ。弘前高校で英語指導助手、青森市で国際交流員を勤め、日本語を習得する。都内の複数の会社で社内翻訳者としてキャリアを積んだ後、2006年5月、さざなみ翻訳を創業(2007年9月法人化)。趣味はスキーなどウィンタースポーツ。時々「東京砂漠」を脱出して、自然の空気を吸ってリフレッシュする。


Q:来日のきっかけは?
大学2年の時に日本語を勉強し始めました。それまでにドイツ語やフランス語を勉強しましたが、今度はアジアの言語を勉強したいと思い、当時のアジア情勢を考えたときに、日本語を学んでおけば何かと役に立つのではと考えたことが理由です。専攻は数学でしたので、ある意味日本語は趣味で始めたようなものです。大学で日本語クラスを取りましたが、最初は30人いた学生が、最後には自分とマレーシアからの留学生の2人しか残りませんでした。また、その頃に観光で来日し、3週間電車で日本全国を回ったことで、日本に住んでみたいという気持ちが強くなりました。卒業後すぐにJETプログラム(語学指導等を行う外国語青年招致事業)で日本に行くことに決めました。私は暑がりの上、ウィンタースポーツが好きなので、東北・北海道への赴任を希望し、外国語指導助手として弘前市の高校に派遣されました。
Q:青森での生活を教えてください。
学校での勤務は午後4時に終わるため、仕事以外に使える時間がとにかくたくさんありました。友人と出かけることもありましたが、それでも有り余る時間を日本語の勉強に費やしました。ただテキストをやるだけでは退屈なので、日本の歌を覚えたり、寿司屋の湯呑みに書かれている「魚辺」の漢字や、「骨」の名前(大腿骨、肋骨、鎖骨など)を全部覚えたり、面白く勉強できるように工夫しました。派遣された高校は進学校で、英会話よりも受験英語を教えていましたが、ある日、問題集にある日本語を英語に訳してほしいと頼まれたことがありました。当時は自分の日本語力にまだ不安があったのですが、やってみると思ったよりできてしまったんです。これが最初の翻訳体験だったのかもしれません。そこからだんだん翻訳に興味が向いていきました。高校では2年間教え、次に青森市の国際交流委員の仕事に就きました。ここで各種文書の翻訳や、イベントの企画・運営を任されました。青森の子どもたちを対象に外国文化に触れるイベントなどを企画し、地元の新聞やテレビにも取り上げられ、とても楽しくやりがいがありました。
Q:その後、東京に移りましたね。
国際交流委員の任期が終わり、一旦帰国して次の仕事を考えました。その間知人を訪ねて1ヶ月半ほどアメリカに滞在しましたが、その時に気づいたんです。日本を恋しく思っている自分に!日本人は集団主義だとも言われますが、私は決してそれが悪いとは思いません。「和」を乱さないように気遣い合うことは利点だとも思います。アメリカで自己主張の激しい人々を目の当たりにして、自分には日本の雰囲気が合っているなと思い、再就職先を日本で探し、東京のコンサルタント会社に就職することになりました。これまでに培ったスキルや知識を生かせる場所もやはり日本にあると思ったのです。現在私は医薬翻訳を専門としていますが、このコンサルタント会社で多くの製薬会社の関係者と会う機会があったこともきっかけの1つかもしれません。しかし、ここではあまり翻訳業務がなかったことや、青森でのイベント運営などの経験も生かしたいと思い、医薬品専門の広告代理店に転職しました。ここでは、医学・マーケティング関連の文書の翻訳を任されたほか、日本内外での国際医学会議の企画・運営なども担当しました。様々な経験を積んでいく中で、ますます翻訳業に集中したいと思うようになり、IR支援会社を経て、翻訳会社に転職しました。ここでは100%翻訳に携われましたし、何より翻訳を社内業務の一環ではなくビジネスとして扱うことに大変刺激を受けました。翻訳ビジネスのノウハウを学ぶことができたのです。
Q:ご自分の会社を立ち上げることになったのは?
広大な大地を眼下に、富良野のパウダースノーを満喫!
よくフリーランスと社内翻訳者の違いが話題になりますが、自分の場合、独立することで「自由」を得ることが1つの目的でした。例えば、「時間・場所」の自由。会社勤めだと長い休みを取ることもできませんが、自分の会社でしたら、どこで休むのもどこで仕事をすることも自由です。昨年は北海道でマンスリーアパートを借りて、2ヵ月半ほど滞在しました。パソコンなど翻訳必需品も持参していつも通り仕事をしましたが、土日はスキーやスケートを満喫しました。次に、「仕事」の自由。一会社員の立場では、改善点や新規提案のアイデアがあっても全てが形になるものではありません。自分が考える翻訳サービスのあり方や翻訳ビジネスの方法を、自分が経営者になることで実践できることがフリーランスとして会社を立ち上げた理由の1つです。「専門性」の自由もあります。社内翻訳の場合には、文書の種類や内容など自由に選択できるものではありません。医薬翻訳を専門としてやっていこうと思った時に、もっとその専門性を磨き、質の良い翻訳サービスを提供できるようになるためには、やはりフリーランスになる必要があると感じました。
Q:もちろん良いことばかりではないですよね?
「自由」という話をしましたが、会社経営は気楽な家業ではもちろんありません。私のセールスポイントは「柔軟性」と「専門性」です。柔軟性とはお客様のためです。一度に複数の案件を抱えることもありますが、できるだけお客様の希望や納期を守るために、早朝や深夜に及んで仕事をすることもあります。短納期の案件にもできるだけ対応したいと思っています。それができる翻訳者はそう多くはないと思いますし、自分の会社だからこそこのような柔軟性が発揮できるのです。専門分野を持って翻訳の質を上げていくこともお客様のためです。実際の翻訳作業の中では、用語や背景を調べるために大きな時間を取られ、報酬との割りが合わなくなってしまうことも正直ありますが、それは全て次のサービスにつながるプロセスです。ある意味、「時間」は自由になるものでもありますが、いつも時間に追われている感覚はあります。
Q:医薬を専門に選んだ理由は?
もともと理数系でしたので、何を専門分野にしようかと考えたときに、IT、機械、特許、経済、医薬といった分野が浮かびました。しかし、ITや機械関係はまったくだめなんです。興味が持てません。その分野の本などを読んでいても30秒も持たないんです!経済と医薬が候補に残ったときに、お金のことよりも健康の方に自分の興味が向くことに気づきました。日本に来てから「骨」の名前を全部覚えたこともそのせいでしょうか・・・。とにかく、体や病気がどうなっているのかを知ることは自分の知的好奇心を大いに満たしました。コンサル会社や広告代理店で製薬業界に触れ知識が深まったことも理由の1つです。よく医薬は難しい、という声を聞きますが、確かにその通りです。最初からするすると日本語も英語も医薬用語を理解できたわけではありません。でも、「継続は力なり」です。どの職種でも同じです。意志さえあれば成し遂げられます。自分が医薬専門翻訳者として学習を続ける中でこの言葉が真実であったことを、今日は強調したいと思います。
Q:フリーランス翻訳者を目指す方にアドバイスをお願いします。
フリーランス翻訳者は「消防士」だと思っています。私は大都市のフリーランス消防士です。火事はいつ起こるかわからないし、同時にいくつもの火災が発生する場合もあります。複数の案件を同時に抱えながら専門性を持って迅速に対応することが求められる翻訳者はとても消防士と似ています。そんなフリーランス翻訳者を目指される皆さんに、4つのことをお伝えしたいと思います。
まず1つはフリーランスのデメリットを克服することです。フリーランスだと住む場所も仕事をする時間も自分で決められますが、その分他者との接触が希薄になってしまうのが現状です。自分独自の考え方や方法に固執してしまい、ますます外の世界との連帯感が薄れてきてしまいます。そのため、勉強会やセミナーなどに積極的に参加して、できるだけ他の翻訳者との交流を持つことをお勧めします。私は日本翻訳者協会(JAT)の会員ですが、JATがなければこうして翻訳を仕事にしていくことや会社を立ち上げることは難しかったかもしれません。ここで出会った様々な人から、会社設立にあたっての事務的な手続きから営業方法、時間管理、翻訳のスキルなど、ありとあらゆることを学びました。本当に感謝しています。また、翻訳者だけではなく、まったく別の業界や業種の人たちとの交流も貴重な機会です。「仕事につながること」が全てではありません。「お互いに役に立てること」が交流の意義だと思います。
2つ目は、専門分野を持つことです。何でも翻訳しようとすると効率が悪くなります。経験の蓄積が思うほど効果的でもありません。「多芸は無芸」という言葉が示すとおりです。専門性を選ぶ際には、できれば世の中の需要よりも自分の興味があることを専門にできれば良いと思います。「仕事・勉強が面白い ⇒ 継続できる ⇒ 専門性の向上が早い ⇒ 評価があがる&仕事のスピードがあがる」という流れが生まれます。極端に狭い分野でない限り自分の好きな分野を選ぶことで、興味はないが需要が多い分野の翻訳をするよりも、結果的には収入増につながると思います。やりがいや社会のためになること、といった視点で選ぶことも重要だと思います。
3つ目は健康面です。じっとパソコンの前に座って作業をするので、当然運動不足や食事の偏りに気をつけることも大切ですが、精神面での健康が重要です。過去に、忙しすぎて17日間人間的な接触を持てなかったことがありました。その間、スーパーやクリーニング店などに行きましたので、人には会いますが心からの会話をする機会ではありません。あの時は本当にどうかなってしまうのでは、と思いました。それ以降、どんなに忙しくても友人と会って話をしたり、月に1回は地方に小旅行に出かけてリフレッシュすることを心がけています。
最後の点は、「基本」さえできていればOKということです。基本とは、翻訳者の場合、納期を守ること、質を維持することです。あらためて言うことでもありませんが、でも実際にはこれができていない翻訳者が世の中にはいます。基本を忘れないことが一番大切です。
Q:これからの夢は?
独立してからもうすぐ2年が経ちます。5年後は六本木ヒルズ(に事務所を構える)、10年後は温泉事業(温泉・化粧品事業を始めた翻訳会社がありますよね)を立ち上げること!というのは半分冗談ですが、自分の会社を持つ身としていつもビジョンを持って進んでいきたいと思います。また、翻訳を教えることもそうですし、フリーランス翻訳者になりたい人へのアドバイスや会社立ち上げのノウハウの伝授など、これまでに培ってきたスキルや経験を生かして翻訳業界に貢献できればと希望しています。医科大学で非常勤講師として医学英語を教えたいとも思っています。これまで自分を助けてくださった方々・業界に対し、微力ながらも貢献することで恩返しをしていきたいと思っています。

編集後記
「微力ながらも恩返しをしたい」というベンさんの言葉にとても感動しました。日本語や健康に対する興味をきっかけに医薬専門の日英翻訳者としてのキャリアにたどり着いたベンさん。これからも「大都会の消防士」として、翻訳の火を消し続けてください!お話を伺いながら、つい、銀色のヘルメットや防火スーツを着ているベンさんを想像してしまいました・・・。そしてインタビュー当日はベンさん30歳の誕生日!おめでとうございます!!
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Vol.21 翻訳はアート観賞と似ています

第1回の今回は、フリーランス日英翻訳者のキャロライン・エルダーさんへのインタビューです。日本と海外を行き来した学生時代の話や、外資系企業でのマーケティング・PR部門での仕事。これからのチャレンジであるアートビジネスへの想い、そしてキャロラインさんにとって翻訳とは?これから大きな可能性を感じるインタビューです!

プロフィール  キャロライン・美夏子・エルダーさん Caroline Mikako Elder
日本・アメリカ・オーストラリアで学生時代を過ごす。ペンシルベニア大学・一橋大学で学び、日本で外資系ブランド企業に就職。その後、外資系広告代理店に転職。2007年から翻訳者としても活躍。アートマネジメントを学ぶため2008年秋に渡米の予定。将来的には、アートマネジメントの仕事をしながら翻訳・通訳業にも携わりたいと希望している。

Q:日本と海外、どちらの生活が長いですか?
生まれは横浜ですが、アメリカ人の父の仕事の関係で、小さい頃はアメリカ(テキサス州ヒューストン)やオーストラリア(パース)で過ごしました。パースは小学校1年から3年までで、残念ながらあまりその時のことを覚えていません。4年生で再びヒューストンに行き、5年生で日本に戻ってきました。母は日本人ですが、家の中ではほぼ英語。それまでの教育も英語環境だったので、日本に帰ってきてからまず日本語ができなくて苦労しました。ヒューストンで日本語補習校に通っていましたが、当時は、自分の見た目が現地の子どもたちと違うことに少しコンプレックスを持っていて、日本語を必死で勉強しようという気は起きませんでした。帰国後はインターナショナルスクールに通いましたが、友達との何気ない会話にも日本語で困ることがあり、日本のドラマを何度も見たり、日本語の歌の歌詞に母がローマ字を振ってくれたのを必死に覚えたりして、日本語を勉強しました。中3でまたヒューストンへ戻り、高3でまた日本に帰ってきて卒業、とほぼ3年のスパンで日本とアメリカを行き来する学生時代でした。
Q:アメリカの大学に進みましたね。
今ではアメリカで暮らすと何か追い立てられるような、自分がいつもがんばらなければいけないような気持ちになって、日本で暮らす方が気持ちが落ち着くのですが、当時は大学は当然アメリカでと考えていました。でもテキサスからは離れたくて、ボストンやワシントンなど東海岸の方で大学を探し、インターナショナルビジネスが学べるペンシルベニア大学を選びました。金融と日本文学を専攻しましたが、専攻する言語が話されている国への留学が必須だったため、大学3年の1年間、一橋大学で勉強しました。その頃に日本の会社でインターンシップを経験し、大学卒業後は日本で働く気持ちが固まってきました。
Q:実際の就職はどうでしたか?
一橋大学に通っていた時、ある就職セミナーに行きました。テーマが「モエエシャンドンのブランディング」。美味しいシャンパンが飲めるかな、くらいの軽いノリで参加したのですが、そこで、マーケティングやブランディングがとても面白そうなものだと気づきました。海外ブランドのお店が続々とオープンしている頃でしたし、外資系ブランドが日本で独特の存在感を持っていることにも興味を惹かれました。大学の仲間は、金融関連での就職が多かったのですが、自分は何か違うことをやりたいと思っていました。高校でフランス語・スペイン語を学んでいたことや日英バイリンガルであることも生かせて、大学で学んだ金融の知識も生かせる仕事をしたいと思っており、結局そのセミナーで出会った、化粧品事業を行なう外資系会社に就職することになりました。
Q:翻訳との出会いはその会社ですか?
この最初の会社での出会いは、通訳の方が先です。マーケティングアシスタントとして、日常的に英語・日本語を使っていましたが、フランスからメーキャップアーティストをイベントに招いたときに、アテンド通訳のほか、メーキャップショーの舞台の上で通訳をする機会がありました。今思えば、通訳をしている!という気持ちはなく、業務の一環と思っていただけなのですが、普段の仕事で英語を使う時とは違い、お客様とアーティストの架け橋になれることにとても充実感を感じました。アーティストの方からの通訳依頼を再度受けた時は嬉しかったですね。書く方では、英語でプレゼン資料を作成したり、海外で書かれた文書を日本語に訳す際のドラフト作成くらいでした。その後、転職先の広告会社で、広報部に配属されましたが、そこで会社概要やプレスリリース、ニュースレターなどの翻訳作業が業務に入ってきました。専属翻訳者というわけではなかったため、イベント企画・運営など様々な業務の中に翻訳があり、大きな翻訳プロジェクトは外注をして、上がってきたものをチェックするという程度でした。しかし、外注したものをチェックしていくうちに、自分もプロの翻訳者としてチャレンジしてみたくなったんです。
Q:それで翻訳業にチャレンジしてみようと思ったのですね?
はい。就職を考えた時もそうでしたが、今乗っているレールとはちょっとはずれていること、今の自分にはないことに興味や関心が惹かれるのだと思います。好奇心だけではなく、きっと小さいころからあちこち引っ越して、一箇所にとどまることに落ち着かないのかもしれません。翻訳という仕事をプロとしてやってみたいと思い始めた頃、ある社内通訳者からテンナインさんを紹介され、今こうして翻訳業を始めるに至っています。日中は仕事があるので夜や休日の作業が中心ですが、翻訳が楽しいので充実しています。
Q:翻訳者としてはまだ日が浅いですが、翻訳の面白さ&大変さは?
実はクリエイティブなことがあまり得意ではありません。絵を描いたり、写真を撮ったりすることはとても下手で苦手です。でも、翻訳の場合はゼロから作るのではなく、今あるものをまず自分の中に取り込み、解釈をし、違う形(言語)にして外に出す "変換"という作業です。そこに面白さがあります。10人訳者がいれば10通りの翻訳ができる。原文に引っ張られることなく、読む相手の顔をまず思い浮かべて、自然な文章だと思ってもらえるように変換していく。自分の中だけでのやりとりですが、ここが楽しいところでもあり、苦労するところでもあります。
Q:9月からまたアメリカに戻るそうですね?
はい。3月末にそれまで勤めていた会社を辞めました。アートビジネスを学ぶために、フィラデルフィアの大学院に行きます。もちろん、翻訳の仕事は続けていきます。
Q:アートビジネスに興味を持ったきっかけは?
先ほどクリエイティブなことは苦手と話しましたが、苦手な分、その世界がどうなっているのだろう、ということに関心がありました。ないものねだり的な感覚なのかもしれません。絵を観たりすることは好きで、海外に行くと必ずギャラリーなどをまわっています。最初の仕事でのアーティストとの出会いもきっかけでしたし、ブランディングやマーケティングの経験、PRの仕事も経験し、翻訳も始めていく中で、何かを極めたいと思うようになりました。今までの自分の経験が余すことなく生かされる仕事です。そんな時に「アートマネジメント」という仕事があることを知りました。作る側ではなく、サポートする側です。資格取得も考え、リサーチしていくうちに美術検定なるものがあることを知りました。この資格を取ろうと昨年の春くらいから勉強を始めて秋に受験しましたが、その過程でもアートビジネスへの想いが深まっていきました。近年、アートビジネス業界が脚光を浴びるようになってきましたが、まだまだ日本と海外のアーティスト間の交流、作品の紹介といったルートは細く、国境を越えたアートの交流はまだ少ないのが現状です。これからの時代にできる何か新しいチャレンジ、それがアートマネジメントという仕事として、自分の中にぴったりとはまりました。
Q:アートビジネスと翻訳とのつながりは?
私の中では切り離されたものではありません。アートビジネスにおいては、翻訳や通訳という作業も必要になってきます。アーティストの作品を国境を越えて紹介し、その活動をサポートするためには、当然言葉を含む文化的な壁を越えることが必要になってきます。アーティストは作品作りに集中し、私は自分が培ってきた経験・スキルすべてを使ってサポートをする。今、こうして翻訳の仕事をしていることもその仕事に生きるし、逆にそこでの経験や知識が翻訳の中で生きてくると思います。アート関連の翻訳にももちろん興味がありますが、いろいろな内容の翻訳をやっていきたいです。自分の場合、興味の範囲が広すぎて、何かに絞った方がいいのかもしれません。欲張りですね。将来的に翻訳や通訳の仕事もどんどんしていきたいと思っています。
Q:翻訳者を目指す方へのメッセージをお願いします。
特に英訳を希望する日本語ネイティブの方には、ジャンルを絞らず、または好きなジャンルでいいので、どんどん英語を読むことをお勧めします。翻訳者としては、ある程度のライティングスキルも必要になると思いますが、書く練習ではなく、目からその表現を自然に吸収できると思います。私は特に翻訳の勉強をしたわけではありませんが、必死に日本語を勉強した時のことを思い起こすと、とにかく音を聞いたり、文字を読んだり、自然と体にすりこんでいたような気がします。日常生活の中に自然に英語を取り入れて生活することもいいですね。
Q:アートは難しい、と思う方にも何かアドバイスを。
よく美術鑑賞の方法がわからない、という声を耳にしますが、私も分かりません。以前は、分からないから避けていました。でも、一定の鑑賞方法なんてないことが分かりました。自分が気持ちいいと思う見方でいいんです。これは好き、これは嫌い、でもいいと思います。そういう答えがないことに魅力を感じられるのではないでしょうか。ある意味、翻訳という仕事も決まった答えがないものを自分で感じて考えて見つけていく・・・、こういうところが似ていて面白いのかもしれません。

編集後記
アート観賞と翻訳、一見何の関連もないようなことですが、自分というフィルターを通して作品/原文を解釈していく、という過程が似ているという言葉に納得しました。私も絵画の鑑賞の仕方が分からず、美術館から足が遠ざかっていたのですが、これを期にアートの世界に触れてみたいと思います。そうやって自分が感じることに向き合う作業が、翻訳にも生きてくるだろうな、と思いました。キャロラインさんの益々の活躍をお祈りします!
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