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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.20 私らしくあれ

[プロフィール]
熊谷玲美さん
Remi Kumagai
北海道大学理学部地球物理学科卒業。東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻修士課程修了後、政府系特殊法人に勤務。科学技術文献データベース作成、海外機関との交渉、現地調査を行う。在職中より翻訳の勉強を開始、2007年1月よりフリーランス英日翻訳者として独立。これから、益々の活躍が期待される。

からたちの花をひかりとしなのかな      

   
               かりん
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(熊谷さん注釈:この句の季語は「からたちの花」。からたちの花の白は、他のどんな花よりも清々しい純白で、信濃にやっと訪れた春の光そのもの、という句です。)


語学に興味を持ったきっかけは?
特別大きなきっかけはありませんが、小さい頃から英語には興味を持っていました。テレビや映画で見る海外の様子に憧れていて、その入り口が英語だったのかなと思います。中学からは英語の授業があると聞き、待ちきれなくて、親に英語教材を買ってもらったこともありました(笑)。それ以降は、授業に加えて、毎朝NHKラジオで勉強しました。早起きは苦手なはずなのに、英語となると別だったようです。高校に入ると、文法が面白くなってきて、いつも英語で点数を稼いでいました。英語サークルにも入っており、何となくその頃から、将来は英語を使って仕事をしたいなと考えていました。
大学では、物理地球学を専攻されたようですが?
当初は、外国語学部を目指していましたが、高校に帰国子女の友人がいて、「こんなに上手な人がいるんだなぁ......」とびっくりしました。英語だけでいえば、すごい人はたくさんいるんじゃないかとも思いました、それで諦めたわけではありませんが、英語だけではなく、「英語プラス何か」があるといいのでは、と考えたことを覚えています。
 もともと、英語と同じぐらい科学が好きでした。その中でも、地球や天文学に興味がありました。目で見て分かる、ダイナミックで美しい現象が好きで、何かそれに関係することを勉強してみたいなと。北海道に住んでいたので、特別なことをしなくても、身近に自然があったことも一つの理由です。英語は継続して勉強し、大学では地球物理学をやろうと決めました。
大学ご卒業後は、大学院に?
大学では、地震や火山について勉強しました。大学院での研究分野を考えていたときに、「自然現象で感動的なのは、火山とオーロラだ!」と先生が言うのを聞いて、自分で体感できるものを研究したかった私は、「オーロラの研究をやりたい!」と思ってしまいました(笑)。自分の目でオーロラを見てみたかったので、観測に行かせてくれる研究室を探し、ノルウェー領のスピッツヴェルゲン島に1ヶ月間滞在する機会を得ました。オーロラや気象など、北極の自然の研究が盛んなことから、世界中から研究者が集まっている北極圏の島です。コミュニケーションは、当然英語。思わぬ状況に戸惑いもありましたが、英語を勉強していてよかったなぁと思った瞬間でした。
ご就職先でも、英語を使う機会があったようですが?
大学院で研究者としての生活を垣間見て、自分のやりたいこととは違うなと思ったんです。自然現象を自分の目で見たいという気持ちはあるものの、その分野で最先端の研究をするために、毎日パソコン上のデータを眺めるのは、私の望むことではありませんでした。「データではなく、本物のオーロラを見ていたい」と思った時、自分のやりたいのは研究ではないんだと気づきました。
大学院修了後は、独立行政法人に入りました。海外パートナーとの渉外業務や、海外文献調査等で、英語を使うことがありました。それまで、英会話学校や大学で勉強は続けてきたものの、実際に仕事を通して英語を使うのは初めてです。英文メールの書き方も分からず、最初は相当ひどかったと思います。相手から来たメールの文章を見て、「なるほど、こういう言い方があるのか」と勉強していましたから(笑)。
翻訳の勉強をしようと思ったのは?
5年前ぐらいでしょうか。それまでは、単に「英語の仕事」だと思っていたんですが、よく考えてみたら、これって翻訳なのかなという仕事があって、何となく頭の片隅にひっかかっていました。だんだん意識するようになり、カルチャースクールで3ヶ月の講座を申し込んだんです。値段も安いし、文芸翻訳って何となく面白そうだなという単純な理由からです。結果的に、すごく楽しくて、翻訳って面白いのかも! と思いました。英語が好き、本が好き、文章を書くのが好き、日本語が好き、と考えた時に、いいんじゃない? って。
それからしばらくして、翻訳学校の門をたたきました。
独立したきっかけは?
翻訳学校に通い始めてからは、いつかは翻訳一本で食べていきたいなと思っていたものの、全く見通しは立っていませんでした。そのレベルに達していないことは、自分が一番よくわかっていましたから。かといって、このままずっと会社勤めをしていてもいいのかと迷っていた時期でもあります。少しずつエージェントのトライアルに合格するようになったとき、先生から「そろそろ仕事もしてみなさい。勉強も大事だけど、仕事から学ぶことは大いにある」と言われました。その言葉を聞いて、迷いがなくなりました。会社の仕事と並行して、少しずつ翻訳の仕事を請けるようになりました。2年前のことです。
 完全にフリーランスになったのは、今年の1月です。まだ、ほやほやですね。それまでは、時間の関係で、どうしても大きな仕事が請けられなかったり、お断りするケースが増えたりして、悔しい思いをしていました。会社での仕事と翻訳を天秤にかけたときに、翻訳に対する気持ちの方が勝ってしまったんです。もしかしたら、独立するなら今かもしれない! とひらめきました。振り返れば、思い切ったなぁと我ながら思いますが、後悔はしていません。フリーでいることの不安要素はたくさんありますが、会社勤めに不安要素が一つもないかと言われたら、決してそんなことはありません。仮に、60歳まで勤めた後、何をするのかと考えるとこわくなることもありました。フリーの仕事は、健康であれば、年齢関係なく続けられ、どんどん幅を広げていける気がするんです。メリットはたくさんある、そう思ったんです。何とかなるんじゃないかって。
通訳者になろうとは思いませんでしたか?
ちらっと考えましたが、もともと文法や、読み書きの方が好きなんです。会社員時代、通訳者さんのお仕事ぶりを見た時に、「すごい。こんなことはできない!」とも思いました(笑)。ゆっくり考えて出す方が向いているんだと思います。調べるのも好きなので。
翻訳の面白さは?
普通に生活していたら、絶対に触れる機会がなかっただろうな、という分野に触れられることです。例えば、ITマーケティング資料翻訳のお仕事を頂いたとき、自分ではこの分野は割と詳しいと思っていたのに、私が知っていたのはパソコンに関することだけでした。実際は、企業内のITシステムについての翻訳だったので、知らない用語が満載。この仕事をきっかけに、IT業界の方々が、普段どういう言葉を共通語として使っているかがわかって、大変勉強になりました。
この経験からも、なるべく幅を狭めないよう、積極的にいろんな仕事を請けるようにしています。
今だから話せる失敗談は?
ニュース翻訳の仕事を在宅で請けており、メッセンジャーソフトでやりとりしながら、翻訳して提出するという取り決めになっています。依頼がある日は、朝9時にスタンバイしていないといけません。その仕事を始めたばかりの頃、うっかり寝坊してしまい、クライアントからの電話で起きました。「熊谷さん、今メールで発注しましたが」と......。メッセンジャーなので、オフラインになっているとスタンバイしていないのがバレバレです(笑)。あんなにドキドキしたことはありません。どこかに出かけるのであれば、時間に余裕を持ってちゃんと起きるんですが、パソコンとベッドが同じ部屋にあるワンルームマンションでは、なかなか緊張感もありません。それ以来、寝坊はしていません!
印象に残ったできごとは?
3年前から、フォスタープラン協会という、国際NGOの翻訳ボランティアとして活動しています。学生の頃から、国際援助に興味があり、何かできないだろうかと思っていたところ、翻訳ボランティアという関わり方があることを知りました。私が担当しているのは、オフィシャルレポートの翻訳なのですが、誰かの役に立っているのかなと思うと嬉しいです。普段仕事で接しないような難しい内容もあるので、自分にとって勉強にもなります。
翻訳者としての強みは?
当たり前かもしれませんが、会社勤めをしていたことです。翻訳と直接関係なくとも、見えないところで役に立っていることがたくさんあります。フリーランスといっても、一人でやっているわけではありません。いつも、少しでも楽しく、気持ちよく仕事ができたらいいなと思っています。例えば、メール一つにしても、書き方によって随分印象が変わりますよね? 自分がもらって不快感を覚えないメールを送るよう心がけています。テンプレートをそのまま貼り付けたような文章は好きではありませんが、なれなれし過ぎてもいけません。以前から、割と気にしていましたが、以前勤めていたときには、こういった「ちょっとプラスアルファなこと」って、特に評価されないような気がしていました。でも、今はフリーランスですから。小さなことですが、伝わっているといいな、と思います。仕事とは全く関係のないことなのですが(笑)。
1月にフリーになってから、生活スタイルは変わりましたか?
大きく変わりました! 毎日が快適です。以前は、会社帰りに夜ご飯を買って帰るという生活で、料理なんてほとんどしなかったんですが、今は毎日作っています。楽しいです。自宅も、駅から近くありませんが、毎日通勤するわけではないので、問題にはなりません。もともと、フリーランスというスタイルにすごく憧れていたので、夢のようです。会社にいると、お天気がいいから外へ行こう、なんてできないじゃないですか? 太陽を見るのは、行き帰りだけ。フリーの場合は、仕事さえちゃんとしていれば、昼間に散歩に行くことも許されます。
なるべく、夜は早めに寝て、朝早く起きるよう心がけています。がんばりがきくのは朝なんです。納期が迫っていても、かならず寝るようにします。原稿も、寝かせた方がいいこともありますから(笑)。徹夜で翻訳するよりも、朝3時に起きてやった方が私にはいいようです。
ご趣味は?
多摩川の傍に住んでいるので、時間が空いた時は、散歩に行きます。自転車で出かけることもあります。ずっと家の中にいると太るので、なるべく外に出るよう心がけています。趣味は、俳句です。俳句の結社に入っていて、句会にも行っています。題材に自然が使われることが多いので、時間を見つけては、素材を探しに歩き回っています。もともと、知り合いに勧められたのがきっかけなんです。翻訳にも役立つよ、と言われて、面白そうだなと思いました。いろんな制約がある中で、これだ、という言葉を見つけていく作業が似ています。毎回締切り前は大変です(笑)。
集中力キープのためのタイマーと、俳句セット。
今後も翻訳者として?
はい。まだ始めたばかりで、仕事量にも変動がありますが、仕事の量が増えた時に、どれだけコントロールできるかが今後の課題ですね。趣味の時間も充実させつつ、うまく調整できたらいいなと思っています。先輩翻訳者に、「趣味も仕事の一つとして予定に組み込まないと、何もできないよ」と言われたことがあるんです。最初にそんなことを聞いたものですから(笑)、趣味もしっかり予定として入れてあります。
 現在、科学関係の出版翻訳コースを取っていて、授業のほかに、先生の下訳もさせてもらっています。いつか、自分の名前で翻訳本を出せたらいいなと思っています。そのためには、どの分野でも対応できるようにならないといけませんね。
もし、翻訳者になっていなかったら?
これまでの人生、その時その時にやれることを試してきたので、割と悔いは残っていないんです。翻訳者にもなったばかりですし。でも、もし他の人生を考えるのであれば、宇宙飛行士になりたかったです。いまだに、地元の美容師さんは、母親に会うたび「玲美ちゃんは、宇宙飛行士になったの?」と聞くらしいです(笑)。特に何かそのために勉強や行動をしたわけではなく、漠然と思っていただけだったのですが、憧れでした。逆に、それ以外のことであえば、もしよっぽどやりたかったら、今からでもやるかなと思うんです。すごく能天気ではありますが。
現在読書中
翻訳者を目指す方へのメッセージをお願いします。
私こそ、アドバイスを頂きたい立場ですが、仕事をしながら翻訳者を目指している人や、私のように英語が大学の専門ではなかった人には、いくつか経験から言えることがあるかもしれません。まずは、翻訳とは一見何の関係もなさそうに見えることでも、全て経験だと思ってください。どんな仕事でも、人から見ると、やったことのない経験になります。あとは、それをうまくPRすることだと思います。こんなの大したことないわ、と自分で決めてしまわないこと。履歴書にまとめていると、あ、私これもできるんだと自信になります。後から振り返ると、意外と役に立つことってたくさんあります。事実、私がそうだったので。何でも勉強だと思って、がんばってください。
会社員を辞めた今だからこそ、こんな風に考えられるようになってきたんだと思うんです。勤めていたときは、「なんでこんなことやってるんだろう。英語がやりたいのに」、と思ったこともありました。そんな時、年上の人に、「何だって勉強。どんな状況でも、そこから勉強しようと思えばできるんだから」と言われて、なるほどと思いました。実践できているかどうかは分からないんですが、そうありたいと思っています。
あとは、行動あるのみ、ですね!
編集後記
一言一言、言葉を大切に選びながらお話される様子から、熊谷さんのお人柄が伝わってきます。時々、はにかむような笑顔がとっても素敵で、私もふんわりした気持ちになりました。冒頭の俳句は、熊谷さん(俳号:かりん)によるもの。今日も太陽の下、川べりを散歩していらっしゃるのでしょうか。
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Vol.19 翻訳者は成果物が全て

[プロフィール]
Mari Hodgesさん
マリ・ホッジェス

米国カリフォルニア州出身。17歳の時に初来日、飛騨高山の高校にて1年間学ぶ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学部在学中、同志社大学に1年間留学。大学卒業後、在日・在米の日本企業にて通訳・翻訳者として勤務。現在はアルゼンチンに滞在し、フリーランス翻訳者として活躍中。

言葉に対する興味は昔から強かったのでしょうか?日本語を勉強しようと思ったきっかけは?
高校生の時は、ラテン語を勉強していました。ラテン語を学ぶと、英語の理解も深まりますし、スペイン語も少しは分かるようになるかなと思って。
ちょうどその頃、我が家では、アメリカに修学旅行でやってくる日本人学生をホームステイ先として受け入れていたんです。学生たちと仲良くなったことから、日本語を勉強してみようかなと思い、近くの大学で開講していた日本語講座を受けました。最初の授業のことは、今でも鮮明に覚えています。日本人の先生が、ミッキーマウスとミニーマウスの人形を持ってきて、「こんにちは」、「はじめまして、僕はミッキーです」と日本語で言ったんですよ。何のことやらさっぱり分からなくて、クラス中がパニック(笑)! 「英語じゃないから分からない!」と思いましたね。そしたら先生が、「もう一度やるから、よく聞いてください。ミッキーは何をしていますか? 」と言うんです。落ち着いて聞いたら、何となく挨拶のようなことを言っているのかなというのは分かりましたが。ここから私の日本語人生が始まったんです。
17歳の時に、初めて日本にいらっしゃったようですね。
ホームステイしていた日本の友人に会いたかったし、日本にも一度住んでみたいなと思っていたので、高校卒業後、ロータリークラブの奨学金を得て留学しました。留学先は、飛騨高山の高校です。1年間のプログラムでしたが、大変充実した毎日でした。日本に着いたばかりの頃は、それこそミッキーの挨拶ぐらいしかできませんでしたが(笑)、幸い担任の先生が英語のできる方だったので、毎日日本語の個人レッスンをお願いすることができました。自宅では参考書とにらめっこし、道を歩いていて耳に入ってきた不思議な言葉は必ずメモして先生に尋ねるようにしました。期間が1年間と限られていたので、とにかく「日本人になってみる」という思いで、いろんなことに取り組みました。お茶、お花、剣道そして柔道を習ったんですよ! 大変なこともありましたが、毎日が新しい発見の連続でした。
その後、大学時にも1年間日本に滞在したんですよ。
その頃は、日本語を使って仕事をしようとは思っていなかったんですか?
もともと日本語に興味を持ったのも、友達と仲よくなりたかったからなので、そこまで真剣に「仕事で日本語を生かそう!」とは考えていませんでした。大学生の頃、カリフォルニアではかなりの日本語ブームが起こり、大学の日本語クラスには、何百人という学生がいました! 学生の多くは経済学専攻で、日本語を勉強するのも将来のことを考えてのこと。でも、その頃の私は、ビジネスにはあまり興味がなく、単純にもっと日本語が話せるように、そしてもっと読み書きができるようになりたいと考えていました。
漠然と思い描いていた当時の夢は、企業にてカウンセリング的な仕事をすることです。人と人が一緒にうまく行動できるよう、何か手助けができればと思っていました。例えば、アメリカで働く日本人が、うまく皆と溶け込めるよう、またはアメリカ人がうまく日本社会に溶け込めるような環境づくりという感じでしょうか。
大学時に、NHKビデオ基礎英語にご出演されたと伺いましたが。
そうなんですよ(笑)。大学の先生の紹介だったのですが、アメリカで面接がありました。当時の私の日本語には飛騨弁が残っていたらしく、「こういう人がいたら面白いんじゃない? 」と番組制作側が思ったようです。スキットに出てくる文法を解説するのが私の役目でしたが、当時の私にはあの長い台詞を覚えるのは非常に難しかったです。それから、なんとも不思議な衣装をとっかえひっかえ着せられ妙な気分でした。その後、日本の書店でNHK教材のビデオパッケージに自分の顔が載っているのを見つけた時には、顔から火が出るほど恥ずかしかったです!もはや市場に出回っていないことを祈るばかりですが......(笑)。
大学ご卒業後の進路は?
東京で、日本の自動車メーカーに就職しました。マーケットリサーチが主な業務でしたが、日本語力を買われ、社内会議の通訳や翻訳も担当しました。これをきっかけに、何となく翻訳って面白いなと思い始めたんです。その後NYに引越し、日本の精密機器メーカーにて、会議での通訳や技術関係の翻訳を経験しました。その後、日本の新聞社に移ったのですが、ここでは人事担当として働くことができ、大学生の頃から思い描いてきた夢に近い仕事を経験できたことは大きな喜びでした。マネージャーは全て日本人でしたが、米国人社員もいたので、その間に立って仕事をするのは大変面白かったです。
その後、アルゼンチンに引っ越し、現在に至っています。
NYに引っ越した時、本当はフリーランスで翻訳をやろうかなとも思ったんです。ただ、サラリーマンの方がやっぱりお給料も保障されていて、環境も安定しているし、毎週きちんとお休みがあって、保険もカバーされているということを考えたときに、こわくなったんです。フリーになるということは、これまで当たり前のように感じていた環境がなくなるということですから。また、NYという新しい土地に対する不安もあり、まずは企業に勤めようと思ったわけです。それが変わったのは、アルゼンチンに引っ越してからでしょうか。きっかけは特にないのですが、ある時、何かがふっきれたというか。
通訳者になろうとは思いませんでしたか?
企業で働いていた時には会議通訳を多く経験しましたが、フリーランスになった今では、場所もアルゼンチンということもあってか、通訳の機会はそれほどありません。もし機会があれば、今後もやってみたいと思っています。ただ、性格的には翻訳の方が向いていると思います。通訳は、いろんな人に会うことができ、とても楽しい仕事ですが、個人的にはじっくり落ち着いて言葉を選んでいく方が好きです。
アルゼンチンに引っ越した理由は?
2001年にアルゼンチンに移りました。何度か旅行で訪れていて、とても気に入っていたことと、私自身ダンスが好きなので、それなら1年ぐらい住んでみるかと思ったわけです。といいつつ、もう5年になるんですが(笑)。最初の3年間は現地にある日系企業で働きました。日本語とスペイン語の翻訳もしていましたが、プロジェクト・マネジャーとしてメインの業務は別にありました。そうそう、仕事ではスペイン語を使うんですが、最初は悲鳴をあげたくなるぐらい分かりませんでした。事前に勉強はしていたものの、いざ着いてみると、現地の人の話すスピードにはついていけないし、スペイン語は国によって少し異なるので、何がなんだかさっぱりわかりませんでした。最初は週に3-4回個人レッスンを受けて、何とか日常生活を乗り切りました。午前中は皆の話していることも何とか分かるんですが、午後になると頭が疲れてきてもうダメ......(笑)。5年経つ今では、ほぼ問題なく話せるようにはなりましたが。行動的だと周りには言われるものの、単に何も考えていないだけなのかもしれません。自ら大変な道を選んでしまうようです。
お好きな分野は?
ビジネス関係、その中でも、人事・経営関係の翻訳は特に好きですね。社内規則や契約書の翻訳依頼があると、わくわくしてしまいます。
今だから話せる翻訳での失敗談は?
株主総会報告書を翻訳していた時のことです。エージェントからは、「このページだけ訳してください」と指定があったのですが、翻訳し始めたら夢中になって、すっかりそのページ指定を忘れて全部翻訳してしまいました。訳しながら、「この分量でこの納期なんてありえないじゃないの! 」と一人でつぶやいていましたが、本来は、全体の3分の1の量でよかったんですよね(笑)。納品後、エージェントから「申し訳ありませんが、頼んだのはこのページだけなので、お支払いもこの分だけになります」と電話が! 事実を知って、自分のことながら呆れました。依頼のメールはきちんと読まないといけませんね!
マリさんの強みは?
分野で言えば、人事・マネジメント関係が強いということ。興味を持っている、またその分野での実務経験があることから、言葉選びの感覚と資料の作り方は心得ています。
性格的には、細かいことにまでこだわるということでしょうか。プルーフリーディングの仕事を頂くこともありますが、翻訳された原稿の中には、とても成果物として出せないようなクオリティのものもあります。一体どうやってこれで翻訳者として仕事をしているのだろうと思ってしまいます。例えば、すごく簡単な仕事があったとして、すぐに翻訳が終わったとします。でも、もしその中に1箇所でも納得できない表現があったとしたら、私は一日かけてでも他にいい表現がないか考えます。決して効率的な仕事のやり方ではないかもしれませんが、一度頼まれた以上、いい加減な翻訳を提出することはできません。やっぱり、細かいところまで調べてこそプロだと思うんですよ。例えば、インターネットで調べて分からなければ、別の方法を考えるべきです。
 プルーフリーディングの仕事をするまでは、他の翻訳者が一体どのくらいのクオリティのものを出しているのかは分かりませんでした。もちろん、素晴らしい翻訳者はたくさんいますが、逆に愕然とするようなレベルの人も翻訳者として働いているのだなということが分かりました。大切なのは、訳した後に、全体を読んで自分でちゃんと理解できるかどうか。一箇所でもつまづくようなところがあれば、それは成果物としての基準を満たしていません。性格かもしれませんが、早めに納品した後に、「あ、あの言葉って」と気になったので、書き直して納品したこともあるんですよ(笑)。
今の1週間のスケジュールは?
毎週違うので、一概にこうですとは言えません。朝から翌朝まで翻訳していることもあれば、毎日6時間と決めているときもありますし、その時の仕事量にもよりますね。ただ、ずっとパソコンの前にいると疲れてくるので、多くても1日8時間にしようと努めています。身体も大事にしないといけませんからね。
仕事以外でも、できるだけいろんな活動をするよう心がけています。一人で家の中にいるのは、心身ともによくありませんし、翻訳をしていると時間の感覚も無くなってしまいがちです。ふと気づいたらご飯を食べていなかったり、身体の節々が痛かったり(笑)。会社勤めをしていた頃と違い、夜や週末に仕事をするのが当たり前になっています。そうそう、私は日本のエージェントから仕事を頂くことが多いので、時差を調節するために、夜から早朝にかけて仕事をし、昼間寝るという生活をすることもあります。
ご趣味は?
ダンスです。今はタンゴを習っています。その他に、自分でもダンスを教えているんですよ。ブラジルの踊りでズークというものです。それから、時間が空いたら友達と会ったり、飼っている2匹の犬と遊んだりしますね。
今後のキャリアプランは?
今の生活には大満足しているので、これからも翻訳者でいます!たまに、「次はどこに住もうか」と考えるんですが、ロンドンなんか面白いかもしれないと思っているところです。日本にもまた住みたいですね。たまに旅行や短期滞在で日本に行くと、あぁもっと長くいたいなぁと思ってしまいます。でも、フリーランスなら、パソコン環境さえあればどこにいても大丈夫ですよね。今はアルゼンチンでの生活が楽しいですし、将来自分がどこにいくかは全く考えていません。今のことしか考えていないんですよ。アルゼンチンの人には、いつも聞かれるんですけどね。「いつまでいるの? 」って(笑)。
翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
私も過去にアドバイスされたんですが、とにかくたくさん読み、たくさん書くことです。また、分からないことがあっても、まぁいいやとか、このくらいならいいだろうとは思わないこと。納得のいくまで努力してください。それがひいては自分にかえってきます。翻訳という仕事は、少し語学ができると簡単に請けてしまう人もいるかもしれませんが、気をつけて頂きたいと思います。もちろんお金を支払う人が決めればいいことなのですが、やっぱり「それなりの仕事」になってしまうのではないでしょうか。また、翻訳者になるのに、特に資格は必要ありませんよね。大学の頃、どうして日本語を専攻しないのかと聞かれたことがありましたが、私には「日本語ができるという証明書」は特に必要ありませんでした。もちろん、自己啓発のために資格を取るのは素晴らしいことだと思いますが、もしなくても、翻訳ができるかできないかは、成果物を見れば一目瞭然ですよね?
編集後記
地球の裏側、アルゼンチン在住翻訳者さんへのインタビューをお届けしました。時差をうまく利用して仕事ができるのも、在宅翻訳ならでは。「日本語ができるという証明書は必要なかった」との台詞には感動しましたが、その言葉の重みを一番知っているのもマリさんご本人なんだろうなと思いました。今頃アルゼンチンは何時でしょうか......?
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Vol.18 きっかけは身近なところに転がっている

[プロフィール]
小竹真理子さん
Mariko Kotake

経歴:慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、大手証券会社国際部に秘書として勤務。1988年より在宅翻訳を開始、機械関係を中心に、通訳者としても経験を積む。その後、オンサイト翻訳を経て、現在はフリーランス通訳・翻訳者として活躍中。その傍ら、某米国ベンチャー企業の東京事務局長も務め、子育てと共に多忙な毎日を送る。

英語との出会いは?
言葉に対する興味は、昔から強かったと思います。小学生ながら、机の上には必ず国語辞典を置いておかないと気がすまないような子供でした。新しい言葉に出会うと、「ねぇ、それどういう意味? 」と尋ねていましたが、親や学校の先生に聞いても満足のいく回答が得られない場合もあり、それなら自分で調べてみるかと。「分からない」ということが、ものすごく歯がゆかったんだと思います。
英語との初めての出会いは、テレビ番組「セサミストリート」です。初めて日本で放送を開始した時に、母親が見せてくれた番組なんですよ。画面に様々な三角形が次々と出てきて、'triangle'という音が聞こえてきたんです。「トライアングル......? じゃあ、音楽で使うあのちーんと鳴らす楽器も三角形だからtriangleというのか」と、外国語の音と物が初めて頭の中で合致した瞬間でした。そこから興味を持ちましたが、実際に英語の勉強を始めたのは中学校からです。成績がいいわけでもなく、発音も苦手でした。「あぁ、今日は当たらないといいなぁ」と毎回思っていたんですよ(笑)。
大学ご卒業後の進路は......?
法学部だったこともあり、大学ではそれほど英語そのものを勉強しませんでしたが、外国映画や洋書にどっぷり漬かっていました。映画に関しては、小学校の頃から毎日欠かさずテレビで洋画劇場を見ていました。今のように、ビデオやDVDが流通している時代ではないので、私にとっては非常に貴重な番組だったんです。洋書を読み出したのは、18歳頃からです。といっても、'Charlotte's Web'のような児童書で、本人は英語が出来るつもりでいるんですけど、実際はそうでもなかったという時代です(笑)。
卒業後は、証券会社に入りました。女性の総合職一期生のような時代だったので、四年制大卒女性の採用はほとんどなかったんです。何十社と受けても不採用の連続で、ある時もう履歴書に貼る写真が無くなってしまいました。仕方なく、その辺で適当に撮ったガハハ笑いのスナップ写真を貼り付けて送ったら、なんと採用! それが、証券会社でした。国際部担当役員の秘書だったので、英語の文書を読んだり、国際電話の対応をしたりと、少しではありましたが英語に接する機会はありました。
通訳・翻訳の仕事をするようになったきっかけは?
結婚して静岡に越したので仕事はやめましたが、何か自分で出来ないかと模索する日々が続きました。そんな時、登録していた派遣会社から連絡があり、「某大手企業の静岡工場で新プロジェクトが立ち上がるから、通訳として入りませんか? 」と言われたんです。耳を疑いましたね(笑)。要するに、東京から毎回高いお金を出して通訳を雇う余裕はないから、誰か静岡で英語が出来る人間はいないか? ということだったらしいのですが、当の本人はびっくり。
 最初は本当に分からないことだらけで、言っていることの半分も理解出来ませんでした。工場なので、エンジニアが何をやっているかは目で見れば分かります。でも、通訳が必要とされるのは、もっと細部についてなんです。専門的な化学用語に泣きましたが、ここで鍛えられたお陰で、その後は技術用語が苦にならなくなりました。いろんな人に助けられ、育てて頂いたと思っています。少し慣れてきたかなと思っていた頃、「オランダでプロジェクトが立ち上がるから、翻訳をやってくれないか」と頼まれました。普通であれば、こんな素人に専門的な翻訳を頼むはずがないのですが、たまたまいいタイミングだったんでしょうね。この偶然が重なったお陰で、今の私がいるんですよ。ここで学んだことは、今でも非常に役に立っていて、本当に貴重な経験をさせて頂いたと思っています。
それをきっかけに、この世界へ?
そうなんです。プロジェクト通訳の経験が目をひいたのか、その後は息つく暇もないぐらいに、いろんな仕事を紹介して頂きました。中でも某IT企業での仕事は非常に印象に残っています。オンサイト翻訳者として入りましたが、ちょうどPC98がヒットする直前で、マッキントッシュになるのか、ウィンドウズになるのか、そしてIBMまでOS開発にのりだしたりと、とても面白い時期でした。当時はまだワープロが優勢で、もちろん家庭にはパソコンなんて普及していませんし、マウスは研究対象の人しか使えなかったんです。そんな時に、いち早く最新機器に触れることが出来たことは私にとって大きな財産です。もちろん、最先端の機器を扱っているわけですから、文系畑の私にはちんぷんかんぷんなこともたくさんありました。そんな時は、周りのエンジニアの方に助けて頂き、代わりに私が彼らに英語での交渉術を伝授するなど、面白い関係が成り立っていました(笑)。振り返ってみると、当時は子供も小さく毎日バタバタしていましたが、刺激的な毎日でした。
その他に、印象に残っているお仕事は?
オペラの通訳です。未知の世界を垣間見ることができ、とても思い出深い仕事です。使う用語も新鮮で、例えば「金魚鉢」という言葉。舞台の向かいには、照明や音響を管理するオペレーティングルームがあり、そこを「金魚鉢」と呼びます。ある日、その金魚鉢に芸術家っぽい雰囲気の人がやってきたんです。一体この人は何をする人かしらと思っていたら、なんと「キュー」出しをする人だったんですよ。場面ごとの照明は、プログラムを組むのでボタン1つで切り替わりますが、舞台の進行スピードは当日の指揮者の振り方によって異なります。そのために、金魚鉢の中では指揮もできるような人がスコアブックを追い、キューを出すんです。こういう仕事もあるのか! と感激しました。また、リハーサルのためのピアノ伴奏者や、コーラスのみの指揮者がいることも初めて知りましたし、本番の指揮者は、最後のドレスリハーサルになって初めて現れるということは驚きでした。本当にいろんな人が関わって、一つの舞台が出来ているのだなぁと感動し、オペラがなぜあんなに高いのかということがようやく分かりました(笑)。
そうそう、この間私もキューを出したんですよ! ある大きなイベントで、外国人スピーチの際にスライドを使用したのですが、舞台裏のオペレータが英語が分からず、どのタイミングでスライドを替えていいのか分からないということで、私がスピーチ原稿を目で追い、キューを出すことに。楽しかったですが、そのスピーチには笑いを取るところがあり、タイミングを間違えると台無しになるので責任重大でした。
子育てと仕事の両立は?
まさにこれからキャリアを積もう! と思っていた矢先の妊娠でしたが、ここが踏ん張り時だと思いました。私が人に自慢できることがあるとしたら、「諦めないこと」でしょうか。ダメかもしれないとは思わないんです。例えば、子供が病気で預け先もないという時でも、「きっと誰かいるはずだ! 」と考えるんですよ。以前、どうしてもやりたかった仕事がありましたが、その仕事を請けてしまうと保育園のお迎えに間に合いません。でもどうしてもやりたい! そこで考えたのは、「近所の人にお金を払って預かってもらう」という荒業。そうと決まればやるしかないと、上の子供の小学校名簿を引っ張り出してきて、預けられそうな人に片っ端から電話をかけました。結果、2人のお母さんでシフトを組み、お迎えをして頂くことが出来ました。
私の場合、いつも直感で「大丈夫」と思うので、仕事が出来なくなるかもしれないと不安になったこともなく、遊びや楽しみも大事にしたいので、二人目の子供がお腹にいる時なんて会社を休んで海外旅行に出かけました。感じ方に個人差はあるかもしれませんが、子供は大きくなりますから、あぁもう大丈夫と思える時が必ずくると思います。それまでは仕事復帰の日を待ちつつ準備をするのもといいと思います。もう無理だ、とは思わずに長い眼で見るといいのではないでしょうか。
出産を決めた時に、「キャリアを無駄にするのか」と言われたこともありましたが、今ここで産まなければ絶対に後悔すると分かっていましたし、実際に産んでよかったと思っています。例えば、仕事を「正社員」というくくりで考えるのであれば、私は成功例ではないかもしれませんが、通訳・翻訳においては何よりも実績が物を言います。また、私の場合は出産によってキャリアに傷がついたということはなく、逆に仕事を呼んできてくれたような気がするんですよ。
子育てにおける、オンサイト・在宅、それぞれのメリットをお聞かせ下さい。
在宅のいいところは、常に緊張感があること。これがダメだったら、次はこないかもしれないと思っていつも仕事をしています。毎回分野も異なる上に、限られた時間で最大のパフォーマンスを出さないといけません。夜中に出来るということも、子育て中にはちょうどいいですよね。インハウスの場合は、保育園のお迎えがあるので、毎日午後5時には会社を出る必要があり、そこまでに必ず仕事を終わらせないといけないわけです。午後6-7時まで会社にいられる人には、そこまでの緊張感はありませんよね。終わらないと帰れない、でも子供は待っているということで、常に高い緊張感と集中力を保つことが出来たと思います。いずれにしても、限られた時間でやるからこそ、濃密な時間を過ごせるのではないでしょうか。
今後のキャリアプランは?
実は5年ぐらい前から、シリコンバレーにあるベンチャーキャピタルの東京連絡事務所を担当しています。だんだんネットワークも広がってきているので、将来何かここからつなげていければいいですね。私はIT専門の技術者ではありませんが、新しいビジネスに関われるのは、なんとも胸躍ることなんです。通訳・翻訳の仕事もこのまま続けていきたいので、ビジネスと両方で良い方向に進めていければいいなと思います。
ご趣味は?
映画、料理、そして食べることです。ジムにも通っています。体力はつけないといけませんからね!
もし通翻訳者になっていなかったら?
体力系の仕事をしていたような気がします。高いところが平気なので、とび職とかがいいかもしれません。そういえば、以前ある仕事を依頼されたのも、高いところがこわくなかったからなんです。他の通訳さんは、高いところに上って通訳するのがこわいがために、下から通訳していたらしいんですよ。私はそういうことが全く苦にならないので、重宝がられたようです。契約終了の時には、「もっといてくれる? 」と言われましたし、本当に何が幸いするか分からないですね。
これから目指している方へのアドバイスをお願いします。

通訳、翻訳という言葉に少しでも反応した時点で、もう道は開けていると思うんですよ。例えば、私が他の職業に食指が動かないのは、「出来ないから」ではなく、やっぱり何か理由があるからだと思います。ですので、通訳という言葉に「ぴきぴーん! 」と反応したということは、可能性があるということです。ただ、それを「出来る」というところまで持っていけるかどうかですよね。
これを読んでいる方の中で、何もしないうちから、あれこれ頭で思い悩んで、勝手に高い敷居を設けている人はいませんか? 通訳学校を卒業したからといって、仕事が来るわけではありません。ただ待っているだけでは、「あなたは通訳です」と太鼓判おして仕事をくれるところはありません。もちろん、最初は暗中模索かもしれませんが、見晴らしの良いところにたどり着くにはにどうしたらいいか、試行錯誤してみてください。勉強が足りない、英語力が足りないということから仕事を眺めると、とてつもなく遠いかもしれません。でも、今の自分の実力で何か出来ることはないだろうかと考えてみると、また見え方が変わるかもしれませんよ。もちろん、仕事をしていく中で痛烈に自分の力の無さを感じる時もあるかもしれませんが、その時はそこから勉強して、次こそはと思うんです。私は今もその繰り返しです。

編集後記

カッコイイお母さんです! 「諦めないことが自慢です」とおっしゃっていましたが、必ずや何か道はあると信じて進む姿勢は本当に素敵でした。努力と成功は比例するのですよね、私までも背中を押してもらった気がします。

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Vol.17 全ては自分のやる気次第

[プロフィール]
大場由美子さん
Yumiko Oba
経歴:大学卒業後、大手自動車会社入社、欧米の排ガス法規・安全法規調査及び認証を主な業務として行う。退職後、フリーランスにて翻訳を開始。その後、合計約7年半の米国生活を経て、日本帰国、本格的にフリーランス翻訳者として活動を始める。英日・日英ともに、そのクオリティには定評があり、最近は経営雑誌翻訳等を始め、幅広い分野にて活躍中。

もともと英語はお得意だったんですか・・・・・・?
中学、高校と思い返してみても、英語を集中して勉強した記憶はないんです。あくまでも、教科の一つとしてしか捉えていませんでしたので。大学では、社会学を専攻し、英語とはほぼ無縁の生活を送りました。就職活動間際に、資格欄が真っ白なのもどうかと思い、英検を受けたぐらいです。しかも2級(笑)。そして、これによって英語熱が上がることもなく、まさか自分が大学卒業後、どっぷり英語漬けになるとは、夢にも思ってはいませんでした。
大学卒業後は、自動車メーカーに就職されたようですね。
そうなんです。配属されてびっくり、英語が使えないと仕事が出来ないような部署だったんですよ。米国の排ガス法規動向調査、その認証のための書類作成が最初の仕事だったのですが、書類は全て英語!これまで、英語を使って仕事をするどころか、自分が英語を話すということ自体考えてもみなかったので、「これは大変なところに来てしまった」と焦りましたね。そして、あろうことか入社数日後、アメリカ法規の資料を翻訳してくださいと言われたときには、心臓が止まるかと思いました。とりあえず、辞書を片手に読み始めたものの、1行読むのに、6つも7つも分からない単語があるんです。そして、辞書をひいたところで、日本語にしても意味が分かりません。会議に行っても、一体何の話をしているかすら理解出来ませんでした。「二駆(にく)と四駆(よんく)が」と言われても、「どうしてお肉と車が一緒にでてくるんだろう」と思ったぐらいでしたから、私の自動車に関する知識もお粗末だったのですが。地獄のようでしたが、当時は「私は、キャリアウーマンになるんだから!」と鼻息も荒かったせいか、しばらくがんばってみることにしました。
片時も辞書を離さず、分からないことはすぐに質問するという毎日を1年ぐらい続けた結果、何となく知識もついてきたんです。そうなると、仕事も面白くなってきます。それからですね、この仕事が楽しくなったのは。そうそう、入社間もない頃に受けたTOEICは、630点だったんですが、退職時には820点でした。少しは伸びたのかな、と(笑)。
退職後、フリーランスで翻訳をするようになったのは?
ありがたいことに、勤めていた会社の方から、「自宅で翻訳をしてくれないか」と声をかけて頂きました。当時、翻訳者になりたいという気持ちは特にありませんでしたが、せっかく毎日家にいるのだから、挑戦してみようと思ったんです。そういうわけで、週に数回英会話学校に通いながら、空いた時間に自宅で翻訳をするという生活が始まりました。いざ、やってみると、これは自分の性に合っているなと思いました。元々、読書好きなこともありますが、じっくり考えて言葉を選ぶ面白さに惹かれました。また、翻訳する資料も、これまで自分がずっと関わってきた分野だったので、入りやすかったということもあるかもしれませんね。
1989年に、渡米されていらっしゃいますね。
夫の米国駐在に同行することになりました。VISAの関係で、仕事は出来なかったので、大学に通おうと思ったんです。でも、子供が生まれたので計画変更!、子育てに専念することになりました。4年後に帰国し、97年に再び渡米したのですが、ずっと消費ばかりしている生活にも疲れていた頃で、そろそろ何かやりたいなと思い始めたんです。息子の通う小学校で、ESLクラスのお手伝いなどをさせて頂きましたが、思いのほか楽しくて、あぁやっぱり私は何らかの形で、社会と関わっていたいと思いました。2001年に帰国することになり、日本での再出発を考えました。果たして、自分に何が出来るだろうと考えたときに、日本語と英語の世界をつなぐ仕事ができたらいいなと思いました。そして、以前やっていた翻訳のことが頭をよぎったんです。そこで、帰国後すぐに翻訳学校への入学を決めました。
そして、本格的に、フリーランス翻訳者としての活動を開始されたのですね。
再び、以前の会社から翻訳を依頼されたので、その仕事をしながら、並行して翻訳学校に通いました。翻訳の基礎をきちんと学びたい、そして、自動車だけでなく、もっと広い分野の翻訳をやってみたいと思ったんです。総合コースに入ったので、実務・文芸・映像と3つのジャンルを勉強することが出来ましたが、それぞれノウハウがあり、翻訳と一言で言っても全く別の仕事であることが分かりました。まず映像は私には向いていないと思いました。文芸は、ミステリー小説が好きなこともあって、「将来は、文芸翻訳者になれたらいいな」と密かな夢を抱いてクラスに挑みましたが、文芸翻訳に必要な日本語の表現力が私には足りないんだと痛感しました。また、自分の中でいつの間にか、読んでいて面白いと思うものが、文芸より実務で扱うものに変わっていました。結果的に、最後の選択肢であった実務が仕事に結びついた訳ですが、授業を受けていくにつれて、自分が今までやってきた仕事がいかに甘かったかということを、いやというほど見せつけられた気がして、すごく不安になったんです。これでは、どの分野でも翻訳者になるなんて無理かもしれないと。でも、ある時、実務の先生が私の翻訳を見て、「あなたの翻訳は、このまま十分に外に出せます。もう仕事のレベルになっていますよ。」と言ってくださったんです。この一言が本当に嬉しくて、なんだか、「あなたはこの仕事を目指してがんばっていいんですよ」と言われた気がして救われました。これがきっかけとなって、本格的に仕事を請けるようになりましたが、実務翻訳は本当に面白いです。どの分野もやればやるほど新しいことを知ることが出来ますし、リサーチのしがいもあります。音や歯に関する論文など、未知の分野のお仕事を頂くこともありますが、調べていくうちに道が開けてくるんです。目の前がぱっと明るくなるような、この瞬間がなんともいえませんね。
通訳者になろうと思ったことは?
実は、過去に一度だけ頼まれてやったことがあります。以前の会社関係の、レセプションでの通訳だったのですが、原稿があるからと聞いて、引き受けることにしました。ところが、通訳途中で、いきなり頭が真っ白になってしまったんです。全て頭から抜け落ちてしまって、数秒間沈黙が流れました。この時、「あぁもう身分不相応なことは、二度とやるまい」と心に誓いました。最初で最後の通訳経験です。
日英翻訳もされると伺いましたが・・・・・・?大場さんの強みは?
フリーになった頃、なぜか英日よりも日英の方が、トライアル合格率が高かったんです。日本語がいまいちだったのでしょうか(笑)?もしくは、当時は、日英をする方があまりいらっしゃらなかったのか。私自身、駆け出しだったので、英日にしろ日英にしろ、お仕事を頂けることが嬉しくて、頂いた仕事は全て請けていました。今では、どちらかというと英日が多いかもしれませんが、場合によっては日英が7割を占める時もあります。これも強みでしょうか。
そして、どの分野でも一定の品質を保つことが出来るということでしょうか。もちろん、自分で納得のいく品質が確保出来ないかもしれない場合は、予めお断りしていますが、一応頂いたお仕事は、全て請けるというスタンスでやっています。
最近では、経営関係のビジネス雑誌・書籍なども翻訳されているようですね。
"Harvard Business Review" や、他の経営学関係の雑誌を翻訳させて頂きました。皆さんに育てて頂いているところが大きいのですが、こういったチャンスを頂くことが出来、大変嬉しく思っております。本は、数ヶ月間かけて翻訳していくので、自分にとっても得るものは大きかったです。
また、定期的に、自動車関係新聞記事の日英翻訳をやっています。随時、訳したものがHPにアップされているのですが、最初にこのお仕事を頂いたときは、正直不安でした。新聞記事だし、日英だし、ということで。でも、チェッカーの方が、すごく親切にいろいろ教えてくだって、あぁお金を頂きながら、こんなに教えて頂いていいのだろうかと感謝の気持ちでいっぱいです。納品後に、フィードバックを頂けるのも、本当にありがたいです。これから、自分が取り組むべき課題が見えてきます。今後も、こういった機会があれば、どんどんチャレンジしたいと思っています。
現在の一週間のスケジュールは?
大体毎日翻訳をしています。午前中は、必ず仕事をして、午後は細切れになるので、夜にまた作業開始という形です。在宅だと、時間の融通が利くのでいいですね。その分、土日に休めないということもありますが、私の場合、友人と会う時間や大好きなスポーツ観戦に出かける場合を想定して、そこから逆算して、いつも作業するようにしています。
ストレス発散は・・・・・・?
仕事は楽しいので、翻訳でストレスがたまるということはありません。ただ、納期に間に合わなかったらどうしようという不安が、ストレスになることはあります。子供にもよく、「お母さん、いらいらしてるでしょ!」と言われたりするんですが(笑)。調べ物も大好きで、ふと気がつくと、「あれ!もうこんな時間だ。」と思うこともよくあります。
それから、肩こりや目の疲れには悩まされます。ずっとパソコンの前にいるからでしょうね。週に2回は、必ずテニスとエアロビクスに行くように心がけています。楽しいですよ!肩こりも、すぐに治ってしまいます。それから、スポーツ観戦が好きで、野球、テニス、ラグビー、陸上、水泳と、年間通じて、いろんな試合を観に行きます。何か一つのことに全力で取り組んでいる人を見ていると、感動します。自分もわくわくして、いつも我を忘れて、大声で応援しているんです。そうそう、私の目指すところは村上春樹スタイルなんです。おこがましいですが(笑)、スポーツもやる、翻訳もやるっていいですよね。
もし、翻訳者になっていなかったら・・・・・・?
米国にいた時、トールペイントを習っていたんです。子供の頃から絵は好きだったんですが、トールペイントを習いだしてから、油絵の教室にも行くようになって、かなり熱中していました。もしかしたら、自宅でトールペイント教室なんかをやっていたかもしれませんね(笑)。
お子さんには、バイリンガル教育を?
今は全く行っていません。息子は一応2人とも帰国子女なんですが、発音もきれいだし、話すこと聴くことはある程度出来ても、文法などはあまり得意ではないようです。私も、最初のうちは一生懸命教えていたんですが、本人に覚える気がないというか、下の子は、最初は意地でも英語を話しませんでしたから。まぁ、親の勝手な都合で海外に連れてきたことだけでもストレスだと思ったので、これ以上プレッシャーを与えるのはやめようという結論に達しました。
帰国した今では、逆に、日本語が怪しいところもあったりして、バイリンガル教育って難しいなと痛感しています。ただ、せっかく少しでも身に付けた英語ですので、将来、本人がもし勉強したいと言い出した時には、出来る限りサポートするつもりではいます。
これから翻訳者を目指す人へのメッセージをお願いします。

私自身、スタートが遅かったので、あぁもっと早く始めればよかったかなと思うこともあります。でも、紆余曲折を経てここにたどり着いたからこそ、「いつになっても本人のやる気次第で、どうにでもなる」と思うんです。年齢も関係ありません。特に翻訳の仕事はそうだと思います。
それから、「自分はこの分野をやるんだ!」という強い目標があったとしても、最初はいろんな分野を勉強してみることをお勧めします。需要と供給の問題もありますし、自分に向いていると思っていても、実際は違うこともあるかもしれません。ですから、最初はあまり絞らないで、なるべく多くの分野を経験してはどうでしょうか。また、英日だけにこだわらず、日英にも目を向けてみるといいと思います。自分で、出来ないと思い込んでいるだけで、案外英日よりも可能性がある場合もあるかもしれません。自分で自分の能力を過小評価していることもありますからね。ネイティブではなくても、仕事によってはチェッカーが細かく指導してくれたり、育ててくれる企業もあるはずです。まずはチャンスをつかむことが大事ではないでしょうか。そこから可能性が開けてくると思います。

編集後記
自然体で、終始にこやかな大場さんでしたが、やっぱりプロはすごいなと思うエピソードがたくさんありました。最後の、「これから目指す方へのアドバイス」は、きっとたくさんの方の背中を押してくれるのではないかと思います。全ては「自分の気持ち次第」なんですよね!
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Vol.16 チャンスを引き寄せる力

[プロフィール]
ニキータ・ディオさん
Nikita Deo
ロンドン大学東アジア学部日本語学科在学時、初来日。大学卒業後、文部科学省JETプログラムに参加、島根県役場に勤務。非営利団体ピースボート通訳を経て、翻訳エージェントにコーディネーター兼オンサイト翻訳者として勤務。現在は、ロンドンの銀行にて、金融翻訳者として活躍中。

日本語に興味を持ったきっかけは?
高校3年の時です。大学に入ったら何を勉強しようかと悩んでいた頃でした。ある時、日本語を勉強している友人がテキストを見せてくれたんです。見たこともない文字がすごく印象的で、興味を持ちました。カタカナで「ドライヤー」と書いてあり、「ドライヤーって、英語と同じじゃん。日本語って結構簡単なんじゃないの!」と思ったんです。この大きな勘違いとともに、私の日本語人生がスタートしました。
実際に大学で勉強して、いかがでしたか?
「こんにちは」からスタートし、会話、文法、文学と一通り勉強しました。最初は悪夢でしたね(笑)。先生は日本人、授業も全て日本語です。最初の数週間は、一体何が起こっているのかさっぱりわかりませんでした。入学した以上勉強するしかないので、必死でしたが。何もかもが英語と正反対で、とても新鮮でした。何となく謎めいた雰囲気も魅力的で、是非一度訪れたいと思うようになりました。
在学中、二度日本に?
1年生の時に、交換留学プログラムで北海道に6ヶ月滞在しました。高層ビルがそびえたっている国だと聞いていましたが、札幌の道は広くてまっすぐで、日本は意外とゆったりした国なんだなと思って帰国しました。
3年時に留学した時は、2年前のイメージが180度ひっくり返ってしまいました。場所は東京、上智大学だったのです。
実は、再び日本に行くことになるとは想像もしませんでした。日本に来る直前に大失恋し、あぁもうイギリスにはいられないと思ったんです。イギリスなんて嫌だ、どこでもいいから他の国に行きたい! と(笑)。そんな時、留学プログラムの定員に空きがあることを知り、参加を決めました。急だったので、全く準備もしていませんでしたが、とても有意義な1年でした。この頃には、日常会話はある程度できるようになっていたと思います。
大学ご卒業後は?
東京での生活が楽しく、すぐに戻ってこようと決めていたので、JETプログラムに応募しました。運良く合格したので、大学の卒業式を待たずして日本に来ました。
JETプログラムの合格通知には、滞在予定先として島根県の住所が書いてあったんです。地図を広げて「あれ? 東京じゃない?」とびっくりしました(笑)。北海道、東京、島根、同じ日本でも土地によって全く違うことが面白かったです。
ピースボートでは、通訳もご経験されたとか。
Japan Timesの「無料で世界をまわりませんか?」という謳い文句に誘われて、試験を受けにいきました。ボランティア通訳としての参加でしたが、船にはプロの通訳者も乗船しており、そのプロ意識の高さには感銘を受けました。通訳は英日中心で、私は英語が聞き取れても、日本語のボキャブラリーが足りずに的確な言葉で通訳できないんです。これではやっていけない、とショックを受けました。
これまでに何度か通訳のお仕事を頂きましたが、その場ですぐに言葉にしないといけないことがストレスでした。あぁでもない、こうでもないと考えてから、一つの言葉を選ぶ方が、私には合っているように思います。
その後、翻訳者としてのキャリアを?
東京のゲストハウスに住みながら、語学を生かせる仕事を探していたところ、翻訳エージェントでの編集・翻訳業務のポジションを見つけました。知らないうちに翻訳の面白さに引き込まれました。頭全体がフル回転しているのが自分でもわかって、ぞくぞくするぐらいでした。いつからか、「翻訳で生きていこう」と思うようになりました。
一日中翻訳をしていると、気分転換したくなることはありませんか?
ストレスがたまることはありませんが、気分転換したくなったら、外に出ることもあります。ラップトップがあれば、外でも仕事はできますしね。逆に、パソコンがウィルスに感染したり、何らかの理由で壊れたりすることの方がストレスです。つい先日も、日本から持ち帰ったパソコンに紅茶をこぼしてしまい、キーボードをダメにしました......。
ご趣味は?
2年前ぐらいから、ヨガ教室に通っています。翻訳をしていると、どうしても体が固くなってしまうんです。ヨガを始めてから、精神的にも肉体的にもバランスがとれているように思います。歩いていても、体がちゃんとつながっているイメージがあるんですよ。
去年の1月、ロンドンに戻られたそうですが。
20代の大半を日本で過ごしました。30歳を目前にして、今後もずっと日本にいるのか、家族のいるイギリスに戻るのか悩んでいたんです。半年ぐらい考えて、とにかく一度帰国してみようと思いました。日本に戻れなくなったらどうしようとも思いましたが、最終的に、自分の故郷であるイギリスに惹かれる部分が大きかったんだと思います。
ロンドンに戻ってしばらくして、オンサイト金融翻訳のお話を頂きました。今後、どういう形態を選ぶかわかりませんが、今はとにかく経験を積みたいんです。
しばらくはロンドンにいると思います。最近結婚したんですが、春には、夫もVISAを取得してイギリスに来てくれるので、一緒に暮らせるのが今から楽しみなんです。将来的には、日本とイギリス両方に家を持って、自由に行き来できたらいいなと思っています。
翻訳者を目指す人へのアドバイスをお願いします。
まずは、インハウスを経験してください。ネイティブの方は必ず日本に何年か住んでください。言葉の勉強も大事ですが、翻訳は文化的な要素も入ってきます。表面的なことだけではなく、行間を感じられるようになるためにも、その国で実際に生活することは非常に重要です。

編集後記

ロンドンから一時帰国中のニキータさんへのインタビューでした。将来は、日本とイギリスを行き来しながら翻訳を続けるのが夢だそうです。ロンドンでの更なるご活躍をお祈り申し上げます!
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