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翻訳者インタビュー 第一線でご活躍されている翻訳者の「仕事」「自分らしい生き方」
「プライベート」など、生の声をご紹介します。

Vol.10 好きなことを仕事に

[プロフィール]
オーエン・オースティン・クーニーさん
Owen Austin Cooney
Williams College(米国、マサチューセッツ州)日本語、アートスタジオ専攻卒業。在学中、ギャラリーにて、日本明治時代の芸術/工芸に関する翻訳を経験。卒業後、JETプログラムにて来日、京都の役場に翻訳者として勤務。2年間の勤務を経て、フリーランス翻訳者として独立、現在に至る。

お母さんが日本人、お父さんがアメリカ人ということで、昔からバイリンガルな環境で育ったんでしょうか?
生まれは東京なんですが、1才半でアメリカに渡り、それ以来日本とアメリカを行ったり来たりしています。教育はほとんどアメリカで受けました。自宅では日本語も話していましたが、主に母が日本語で話して僕が英語で答える形だったので、周りから見たら不思議な感じだったかもしれませんね(笑)。
大学ではダブルメジャーだったそうですが。
日本語とアートを専攻しました。アートスクールに行きたかったんですが、幅広く知識を身につけたいという思いから、日本語も専攻することにしました。小さい頃から日本のマンガなど読んでいましたし、日本語の授業を取っていたので、読んだり聞いたりするのは問題ありませんでした。話すのは苦手でしたが。敬語や漢字で、とまどうことも多かったことを覚えています。
Japanese-English Character Dictionary
学生時代に翻訳を経験されたと伺いましたが。
大学3年の夏です。何か芸術に関わる仕事がしたいなと思っていたところ、ひょんなことからギャラリーで翻訳者として働くことになったんです。日本の工芸についての翻訳でしたが、最初は非常に難しかったです。集中力を要する仕事ですし、今まで翻訳を専門に勉強したことがなかったので。この仕事を経験したことで、もっと翻訳を突き詰めてみたいと思うようになったんです。
大学卒業後、日本にいらっしゃったんですか?
そうなんです。日本語力も中途半端だし、また日本に住んでみたいなと思っていたんです。JETプログラムに参加しました。通常このプログラムでは、日本の中学校などで英語を教える仕事に就くんですが、僕の場合は国際交流関係の仕事をすることになりました。京都という場所柄、外国人が非常に多く、外国人登録や税金など日本のシステムが分からなくて困っている人たちへの通訳、ニュースレター作成、広報誌の翻訳など、幅広くいろんな仕事を経験させて頂きました。
その後、フリーランス翻訳者に転身されたんですね。
役場での契約満了後、何をしようかと考えていた時に、翻訳が向いているのではないかと思ったんです。通訳にも興味はありましたが、当時JETプログラムに参加している外国人と日本人の間で通訳を頼まれることが多く、毎回やっていると疲れてきてしまって(笑)。大学の同級生は皆企業で働いていますが、今は自分の時間をもっと大事にしたいと思っています。そういう意味では、フリーランスの方が合っているのかもしれません。
お得意な分野は?
ビデオゲームの翻訳から実務的なものまで様々なお仕事を頂いていますが、最初は「次は何が来るんだろう?」と不安でした。どういうものが来るのか全く分かりませんでしたから。仕事をこなしていくうちに、だんだんと慣れてきました。好きなのはアートや歴史、音楽です。実際はビジネス関係が多いので、なかなかアート関係の翻訳をすることはないのですが。
マンガがお好きだと伺いましたが、小さい頃はどんなマンガを読んでいらっしゃったんですか?
恥ずかしいですね(笑)。小さい時は、『ドラゴンボール』を読んでいました。アメリカのヤオハンというお店で、日本のマンガを買うことができたんです。最近では、『三国志』なども読んでいます。全部日本語で読んでいるんですよ!
ストレス発散は?
ずっと自宅で翻訳していると、気分が暗くなってしまうので、できるだけ外に出て散歩や運動をするよう心がけています。スイミングプールにも頻繁に通っています。
愛用のゴーグルと単語帳
一週間のスケジュールは?
空いている時もあれば、かなり埋まっている時もあるので、ばらばらです。できれば週末は空けておきたいんですが、そういうわけにもいきませんし。どちらかというと、夜遅くまで翻訳して朝はゆっくり起きるタイプです。がんばれば1日10枚以上翻訳できますが、じっくり取り組みたい方なので、もう少し少ない枚数に押さえるようにしています。ミスなどがあっては、困りますので。もちろん納期は絶対に守ります!
オーエンさんの強みは? スキルアップの秘訣を教えて頂けますか?
小さいときから、書くことが好きでした。小説も大好きなので、英語の表現や仕上がりには自信があります。スキルアップの秘訣ですか? 新しい言葉や表現は、その都度書いて覚えます。単語帳に書き込んで、次に同じ言葉が出てきた時には使えるようにしています。
休日はどのようにお過ごしですか?
弟と友達の3人で、ロックバンドをやっているんですよ。僕はボーカルとギター担当です。歌詞はほとんど英語で、作詞作曲も自分たちで行っています。今年夏には、ライブもやる予定なので、日にちが決まったらご招待します! 是非来てください。
今後はずっと日本に?
まだ決めていません。今までは行ったり来たりで、アメリカに「帰る」とか、日本に「滞在する」といった意識はありませんでした。どちらにも住めるなと思いますし。しばらく日本にいる予定ですが、刺激が無くなってきたらアメリカへ行くかもしれません。最近感じるんですが、日本は急激に国際化が進んでいると思います。京都にいたときは、日本の歴史や文化の重みをひしひしと感じましたが、東京はまた違った面白さがあります。すごくオープンな雰囲気がありますね。英語が話せる人も増えて来ましたし、外国人も多いので、そういう意味でも今は日本がとっても面白いです!
もし翻訳者になっていなかったら?
ロックスターになっていたと思います! 恥ずかしいですが(笑)。音楽や書くこと、何かアートに関係するようなことができれば最高です。仕事としては、翻訳者が向いているかなと思いますが、好きなことを仕事にできれば幸せだと思います。
編集後記
オーエンさんも私もシャイなので、最初はちょっぴり緊張したんですが、年齢も同じということで、すぐにうち解けて楽しくお話ができました。ライブの際は是非ご一報下さい!
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Vol.9 自分がハッピーでいられること


[プロフィール]
溝口皆子さん
Minako Mizoguchi
関西学院大学文学部英文学科在学中よりフリーランスにて通訳を行う。卒業後は外資系飲料食品メーカーに入社、プロダクトマーケティングに携わる。その後、数々の外資系企業にてブランドマーケティング、リエゾン業務、新製品開発などを担当。1996年、株式会社ハーレクイン入社。編集、営業、マーケティング担当統括部長を経て、2002年に代表取締役社長就任。現在はフリーランス翻訳者として活躍中。

学生時代から通訳のお仕事をされていたと伺いましたが。
当時、マクドナルドのアルバイトが時給300円ぐらいでしたが、通訳の仕事に行くと1日8,000円だったんです。これはいい! と思って始めました。京都国際会議場での仕事を紹介され、OJTで学びながら会議に入りました。昔からそうなんですが、長期的な展望が全くないので目の前にあることしかできないんです(笑)。大学卒業後も一応就職活動したものの、面接で媚びるなんていやだわと思って、そのまま通訳の仕事を続けることにしました。
語学はもともとお得意だったんですか?
国語が好きで、特に文法は新聞を上から下まで品詞分解するのが趣味なくらいです(笑)。そういう意味で言葉に対する関心はありましたが、帰国子女でもないし、英語は公立学校で勉強しただけなんです。大学で英文科に入ったのは、「本が好きだったから」ですし。ヘミングウェイを原書で読んでみたいと思って、高校生の頃から辞書片手に読んでいました。文章がほんとに素晴らしいんです。ものすごく簡単な言葉なのに、何て格好いいことを言えるんだろうと思って。
高校の頃、集めていた輸入盤レコードに歌詞カードが付いていなかったので、1日かけて歌詞を聴き取ったこともあります。勉強というよりは、自分の楽しみにのために英語に接してきた感じがします。
通訳を辞めて、企業で働こうと思ったのはどうしてですか?
全く予期しない出来事でした。広告代理店のトップの通訳をしたことがきっかけで、東京の外資系飲料食品メーカーから声をかけて頂いたんです。当時、関西に住んでいたのですが、好きな人が東京にいたので、「行きます!」と即答しました(笑)。
フリーランスで働いていた頃との違いはありましたか?
毎日会社に行くのが楽しくて仕方ありませんでした。通訳をやっていた頃は、通訳仲間はたくさんいたものの、結局仕事は一人でやるわけです。会社には同年代の人たちがいて、皆でプロジェクトを進めていきます。一緒に何かできることが本当に楽しく、仲間からも多くのことを教わりました。
具体的にどのようなお仕事をされていたのですか?
ブランドマーケティングです。男女雇用機会均等法が施行された頃で、とにかく様々な経験をさせて頂きました。しばらくして、別の外資系企業からお誘いのお話を頂きましたが、当時は英語が話せてブランドマーケティングができる女性がそれほどいなかったのか、各方面からお声をかけて頂きました。
ハーレクインに移ったのは?
直属の上司がプロモートアウトしたことと、私自身もちょうど一段落着いたので、後先考えずに辞めてしまったんですよ。マーケティングをやっていると、35才ぐらいでバーンアウトしちゃう人が多いんです。もう何もしないでおこうと思っていたんですが、当初からお世話になっていたヘッドハンティング会社の方から、「そろそろ現実世界に戻ってきませんか」と声をかけて頂いて......。ハーレクインと聞いて、最初は少し抵抗を感じたんですが、一冊読んでみたら何と私の大好きなジェーン・オースティンの世界だったんです! これは面白い! と思って、入社を決めました。
出版翻訳の難しさは?
私自身が編集に携わっていたわけではないので、きちんとお答えできるかわかりませんが、ハーレクインで大切にしていたのは、英語の読み取り能力と、日本語の表現能力です。第一に、場面ごとの状況が翻訳者の頭の中に浮かんでいるかどうかを見ます。字面だけで訳すのではなく、「この状況を日本語の文章だとどう書くだろう?」と考えるんです。例えば、電話で'Are you there'という表現が出てきたとして、そのまま訳すと「そこにいる?」なんですが、「聞いてる?」とする方が日本語として自然ですよね。原文の内容を理解した上で、日本語として自然な表現にしなければなりません。ある単語の意味を、どこまで作家が生かしたいと思っているのか、についても悩むところです。他には用語の統一、訳文が各シリーズに合っているかどうか、原文に忠実かどうか、といったことです。大変だったのは、ページ数です。原書だとフォントの大きさを自由に変更できるので、55,000ワードのシリーズなのに、70,000ワードぎっしり詰め込んであることもあります。日本語に訳す場合は、フォントも決まっているので、どこかをカットする必要があります。カットする部分については翻訳者と相談しますが、本当に苦労します。熱心な読者は、原書も読んでいるので、「どうしてこの部分がカットされているのか」、「この解釈は間違っているのでは」といったご意見を頂くことも少なくありませんでした。
翻訳者募集は行っていらっしゃいましたか?
翻訳学校とタイアップして、翻訳コースのスポンサーをやったことがありますが、大体はダイレクトにお願いすることが多いですね。どこでもそうだと思いますが、翻訳者は本当にたくさんいて、ピラミッド型になっているんです。その中で使える人はほんの少し。人がいないと、少しずつピラミッドを下に降りて行くんです。「上手に書けているけれど、話にならない」、「意味はしっかり取っているけれど、慣れていない」、「ちょっと難ありだけど、使えるかもしれない」と、本当にいろんな方がいらっしゃいます。
フリーランスになろうと思ったのは?
ハーレクイン本社からの要求に応えること、日本側の仕事をするのとで、仕事が2重3重になっていました。毎日夜中の3時まで会社にいて、しょっちゅう貧血で倒れていたんです。「幸せって何なのかしら」といつも考えていたんですが、自分がアンハッピーだと些細なことにイライラしたり、周りをも不愉快にしてしまう確率が高いなと思いました。そんな時ふと外の景色を見ていたら、きれいな緑が目に飛び込んできたんです。気持ちがすっきりして、あぁ自然が人間に与える影響って大きいなと感じました。サラリーマン生活もいいけれど、好きなことをしてハッピーでいられるのが一番大事だなと改めて感じたんです。ハッピーでいられる時間が長ければ長いほど、生きている意味があるんじゃないかって。それで会社を辞めて、翻訳者の道を選びました。「言葉」にはずっと関わって行きたいと考えていましたし、昔楽しく過ごしていた頃は、通訳翻訳をやっていたなぁと思って。
今はハッピーですか?
はい! 昨日は、おいしいアイスクリーム屋さんまで片道10キロ往復しました。10キロ走って、アイスクリームを食べて、「幸せ!」と感じて帰ってくるんです(笑)。小説の翻訳やリーディングをしながら、毎朝10時からプールで3キロ泳いで、15キロ走って1時間自転車をこぐというトライアスロンな毎日です。生活は不安定ですが、毎日が充実しています。これって、すごくハッピーじゃないですか?
今後のプランは? ビジネスの世界に戻る可能性はありますか?
今後の計画は全く立てていませんが、まだ日本で出版されていない本を出すことができればと思っています。ビジネスの世界に戻るかについては、少し躊躇している自分もいます。いろいろお話を頂くので、もし面白い! と思えるようなことがあれば、やってみたいと思っています。世の中想像もできないようなことが起こりますから、こればかりは何とも言えませんね。人生行き当たりばったりですから!
編集後記
初めてお会いした時に感じた「温かさ」は今回も変わりませんでした。「多分、私って欠けてるところがたくさんあるんです」とおっしゃっていましたが、本当に魅力的な方です。だからこそ、人を惹きつけるんだろうなぁと思わずにはいられませんでした。
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Vol.8 ライターの立場で文章を見る

[プロフィール]
リチャード・ウォーカーさん
Richard Walker
1984年、日本文部省国費留学生として上智大学留学。プリガム・ヤング大学比較文学科卒業後来日、米国系証券会社東京支店に勤務。金融・株式情報の収集、翻訳に携わる。東京支店閉鎖後、フリーランスとしての翻訳依頼を受け、有限会社プラクシスを設立。大手金融機関等の業務報告書、契約書、プレスリリース、政府系資料等の翻訳を専門とする他、APECをはじめとする国際会議に臨席し英文議事録作成の実績を持つ。日本翻訳者協会前理事。

日本語を勉強しようた思ったきっかけは?
高校を卒業したものの、大学で何を専攻するか、将来は何をしようかといった明確な目標がなかったんです。日本在住の友人に誘われたこともあり、ちょっと変わったところに旅行に行ってみるかと思って、日本に来ました。いざ着いてみたら、目に入る文字は不思議な形だし、書店に入っても何が何だかさっぱり分からないんです。これは勉強しないと、と思いました。若かったので時間もありましたし、何より面白かったんです。1年少し日本に滞在し、独学で日本語を勉強しました。北千住の安アパートに住みながら。ほんの軽い気持ちで日本に来たら、こんなことになってしまったんですよ(笑)。
具体的な勉強方法としては、テキストで文法を勉強してから、街に出て実際に使ってみるんです。笑われたら反省をして。最初の頃は大変だったんですが、漢字を1500ぐらい覚えてしまえば、理屈が分かって楽になりました。
その後、アメリカの大学へ?
そうなんです。比較文学を専攻しました。ちょうどその頃、日本の文部省が初めて学部生に奨学金を出すことになったのを知って、応募したんです。運良く合格し、再び日本に行くことになりました。上智大学の留学生専用キャンパスで学ぶことになったんですが、わざわざ日本に来て英語で勉強するのは面白くないと思い、帰国子女用の日本語コースに入れてもらいました。その頃には、日本語もかなり話せるようになったと自分では思っていたんですが、先生には「まだまだヘタだよ」と言われました(笑)。
証券会社に入社後、フリーランス翻訳者への転身を決心したのは?
ちょうどバブルがピークになる直前で、東京事務所が閉鎖されてしまったんです。もっといろんなことをやりたいと感じていましたし、エージェントから翻訳のお仕事を頂いていたので、思い切ってフリーランスになりました。もともと文学や書くことが好きだったんですが、自己満足で書くだけではなく、仕事として納めていくような仕事がしたかったんです。そういう意味で、翻訳は向いていると思いました。
音声入力ソフトを使用されていると伺いましたが。
長時間タイピングしていると、腕が疲れてくるんです。何かいい方法はないかと思っていたところ、音声入力ソフトというものを見つけました。半分おもちゃみたいなソフトだろうと思っていたら、これが意外と使えたんですよ。一度使ったらやめられなくなって、それ以来音声入力です。原稿を見ながら声に出して翻訳するんです。機械が音声を認識し、自動的に文字にしてくれます。今のソフトは性能が優れていて、95%の正確さで音を認識してくれるんですよ。翻訳スピードも格段に上がりました。ヘッドフォン付きで200ドル、日本語版もあるようです。
印象に残ったお仕事はありますか?
一番最初の仕事です。原子力関係の資料で、もちろん全く未知の分野だったんですが、原稿と辞書を渡されて何とかやってくれと言われました。未だに原子力関係で何かの事故があると、20年前の翻訳と関係があるのではと悪夢にうなされることがあります(笑)。
ご自分の強みは何ですか?
宣伝文句ですか?(笑)。簡潔に、読みやすい文章に仕上げることです。コピーライティングの経験もありますから、手直しせずに使える文章に仕上げる自信はあります。それから、翻訳のスピードですね。
議事録作成もされると伺いましたが。
ミニッツライターといって、国際会議に臨席し、会議内容のサマリーを作る仕事です。スピーカーの話をブラッシュアップし、きちんとした文章にまとめる面白い仕事です。現在は年に数回仕事を請けていますが、もっと回数を増やしたいと思っています。
毎日のスケジュールは?
朝は5時頃起きて仕事をします。なるべくお昼までに終わらせ、午後からは自分の好きなことをします。横浜カントリーアンドアスレチッククラブといって、135年前にできた外国人専用施設があるのですが、ほとんどの週末をそこですごします。スポーツ施設やレストランがあり、私自身クラブの運営委員長をやっています。
もし翻訳者になっていなかったら?
学者になっていたと思います。もともとそのつもりでしたし、比較文学も突き詰めていけば、研究者の道に進むことになりますよね。ビジネスの世界に入ってみたら面白くて、そのまま来てしまったんですが、そうでなければどこかの大学の教授になっていたかもしれません。
翻訳者を目指している方へのメッセージをお願いします。
まず専門知識を身につけることです。いくら翻訳をやろうとしても、その分野に精通していないと、ただの置き換えにしかなりませんから。言語学者よりも、ライターである必要があると思います。表現力が大事なので、原文を理解しても、単に言葉を置き換えるだけでは話になりません。ライターの立場で文章を読めること。辞書ばかりひいているのも意味がありません。自分がきちんと理解している分野の仕事のみ受けることが重要だと思います。
編集後記
「ずいぶん日本にいるので、たまに自分は日本人だと錯覚することがあるんですが、周りからすればまだまだ違うんでしょうね(笑)」とのこと。その翻訳スピードとクオリティの高さにおいては、絶大な評価を受けているリチャードさんですが、ライターの立場から文章を見る、という言葉はさすがです!
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Vol.7 実務翻訳のおもしろさ

[プロフィール]
今泉綾子さん
Ryoko Imaizumi

青山学院大学経営学部在学中、米国オレゴン大学に1年間交換留学。帰国後、米国金融経済通信社ブルームバーグニュース東京支局にインターンとして入社。大学卒業後、同支局に正式採用され、英字ニュース記者として活躍。英文で記事を書く傍ら、職務の一部として経済誌、一般誌記事の翻訳を行う。6年間の勤務を経て、2003年冬よりフリーランス翻訳者として独立、現在に至る。

英字ニュース記者としてのキャリアをスタートされたきっかけは?具体的なお仕事内容についても教えて頂けますか。
留学から帰ってきて、英語力を維持する方法はないものかと思っていたところ、ブルームバーグの募集を見つけたんです。当時はニュースルームが小さく、ブルームバーグ自体もインターンを採用し始めて間もない頃で、本当にいろんなことを経験させて頂きました。だんだん面白くなってきて、取材を重ねるうちに記者として働きたいと思い、正式に入社しました。既に出ているニュースに関しては、新聞・テレビ・他通信社が流している記事を読んで、内容の真偽を確認します。例えば、企業に関するニュースなら、企業広報部に電話して真偽を確認し、それをもとに英語で記事を書くんです。特殊・独自ネタの取材もあり、自分で「ここにニュースがあるかも」と計画を立てて、取材し記事を書くこともありました。
相当英語力が必要なのでは?
最後にネイティブエディターのチェックが入りますが、「内容を簡潔に伝えられる文章」でないと却下されます。わからないこと、疑問に感じたことは、ネイティブの記者や同僚に確認できたので、恵まれた環境を与えて頂いたと思っています。エディターチェックの際も、どうして直されるのかを隣で見ることができたので、大変勉強になりました。このお陰で、日英翻訳と英語で記事を書くことに対しては、自分でも自信が持てるようになりました。
フリーになろうと思ったきっかけは?
すごく楽しくて、いろんな経験をさせて頂きましたが、ここ1-2年ぐらい、自分にはそれほど向いてないんじゃないかなと思っていたんです。ジャーナリズムの仕事は、非常にdemandingで厳しいものです。仕事上、強引に事を進めないといけない時もあり、仕事だからと割り切れているうちはよかったんですが、これを何年も続けるとなると難しいかなと思ったんです。気持ちの上では、「この次を考えないと」と考えていたのですが、実際行動に移すまでには、1年前後かかりました。
他人の書いた文章を翻訳することについては?
ニュースだと、「ここにニュースがあるかもしれない」と考えることから始まって、取材に行き、どう見せるかを決めて記事を書きます。それに比べて、翻訳は既に原稿として完成されたものを他の言語で表す作業なので、その分「書くこと」に集中できるんです。納得いくまでリサーチする点では、どちらも同じだと思います。記事を書くにしても、わからないことは書けないし、母国語以外の言語で書くとなると、その分野についても精通していないといけません。そういう意味では、分からないことを調べる習慣やプロセスは、今の仕事に役立っているといえます。
学校に通った経験は?
全くありません。ブルームバーグの時もそうでしたが、全てOJTです。翻訳の仕事に応募する時も、かなり悩んだんです。学校に通った経験がないと、仕事はもらえないのかと不安になって。日英はずっとやってきたので、ある程度自信はあったんですが、英日は不安でした。例えば、英語を読むときには、「なるほど、こういう表現もあるんだ」と思いながら注意して読むんですが、日本語の文章は趣味で読むぐらいの感覚だったんです。英日翻訳をスタートした時は、日本語をどの程度自然にすればいいのか、どういう仕上がりにすればいいのか、ものすごく悩みました。今も日本語表現に苦しんではいるんですが、毎回本当に勉強させて頂いています。英日の仕事をするようになって、日本語に対する接し方が変わりました。新聞を読む時にも、言葉や言い回しに注意して読むようになったので、またちょっと面白さが加わったかなと感じています。
1週間のスケジュールは?
まだフリーになったばかりなので、空いている時間はどんどん仕事を入れています。睡眠と食事の時間以外は、仕事をしていますね。依頼を頂くこと自体が今は喜びなんです。ちょっと体力的にきついなと思っても、断ろう!、とは思いません(笑)。ブルームバーグでは、常に時間に追われていて、ヘッドラインを1本送ったら、5分以内に記事が出ます。記事が出たら、15分以内に4パラグラフの記事を出さないといけなかったので、ある意味Time pressureの中で働くことには慣れています。今は逆に自分で時間配分を決められるのも楽しみの一つです。
ストレス発散方法、ご趣味は?
散歩が好きです。一日中「コンピューターと私」ではストレスがたまるので、気分転換に散歩に出かけます。外に出て初めて、「あぁ今日は晴れていたのか」と(笑)。料理も好きで、3時間後ぐらいに原稿が来るとわかっている場合、料理しながら待っているといい時間にくるんですよ。心配性なので、待つ時間はいろいろ考えてしまうんですが、料理は暇になることがないのがいいですね(笑)。
ご実家に戻られると伺いましたが。
親と暮らしてみたかったんです。10年以上東京にいて、もう十分かなと(笑)。もちろん東京じゃないとできないことはたくさんありますし、友達も増えたので名残惜しいのですが、地元のほうが自分に合っているようです。在宅翻訳をするのに場所は関係ないので、どうにかやっていけるんじゃないかと思っています。
今後の目標は?
短期的な目標としては、与えられる仕事を全力でこなしていくことです。文芸翻訳ではなく、あくまでも実務翻訳に携わっていきたいとも考えています。私が感じる実務翻訳の面白さとは、最新の情報をいち早く目にすることができるとこと。「この業界では、今こんなことが起こっているんだ!」、「まだこのニュースは誰も知らない!」と、訳しながらワクワクしてしまう自分がいます。もちろん守秘義務は厳守しますが、最新のニュースに触れられる喜びは何ものにも代え難いものです。
編集後記
一度お会いしてみたいと以前から思っていたので、感激です。北海道で新たに翻訳者生活をスタート後、将来的にはご主人のご実家であるインドに移住されるかもしれないとのこと。翻訳に場所は関係ありませんものね! 今回のインタビューでは、実務翻訳の面白さを新たな視点から教えて頂いたような気がします。
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Vol.6 コーディネーターを経験したからこそ、分かること

[プロフィール]
フィリップ・グランベールさん
Philippe Grimbert
パリ第2大学経済学部卒業後、パリ国立東洋言語文化研究所日本語と日本文化と日本文学部修士課程修了。英語講師、長野オリンピック通訳翻訳、翻訳コーディネーターを経て、フリーランス日英・日仏翻訳者として独立。

翻訳者を目指すようになったきっかけは?
大学生の頃、偶然立ち寄った情報センターで「翻訳者」という職業があることを知ったんです。それで何となく興味を持ったのがきっかけです。もともと語学は得意だったんですが、当時は英語とスペイン語しか話せなくて。フランスでは、英語もスペイン語も話せる人が非常に多いんですよ。これでは食べていけないなと思い、以前から興味のあった日本語を勉強することにしました。
日本語は苦労しましたか?
非常に苦労しました(笑)。例えば、スペイン語やイタリア語なら、フランス語と似ているのでそれほど困難ではありません。日本語は語族が違うので、それはもう大変した。大学では翻訳の授業そのものはなかったものの、日本の小説を読んで翻訳をすることも多く、非常に勉強になりました。ちなみに卒業論文は、葉山嘉樹の小説翻訳と分析がテーマでした。
初めての翻訳は?
大学4年生の時に、会社を経営している友人に頼まれた日仏翻訳です。嬉しくてすぐに引き受けました! それから少しずつ仕事が増えていき、日仏翻訳をメインに請けました。日英をやるようになったのは、日本に来てからです。長野オリンピックの仕事が終わった頃、フリーランスとして独立しました。今から思えば未熟な「プロ」だったなぁと思いますが。日本で発注される仕事の多くは日英です。日仏の方が得意ですが、日英に比べると需要がそれほどないようですので。
通訳者として働かれた経験もあると伺いましたが。
そうなんです。長野オリンピックでは、コーディネーター兼通訳として、貴重な経験をさせて頂きました。ただ、通訳学校に通っていたわけではないので、自慢できるようなスキルは持ち合わせていません(笑)。もちろん私なりに、ベストを尽くしましたが。実際に通訳をやってみて分かったことですが、やはり自分は翻訳の方が向いていると思いました。
翻訳コーディネーターとしての経験が、役に立っていることはありますか?
大いにあります。コーディネーターの立場が分かるので、自分のことだけ考えないで、総合的に仕事がうまくいくよう努力します。例えば、納期は絶対守ること。コーディネーターは早く納品してくれる人がいいでしょうし、校正の方も時間をかけてチェックできます。在宅の場合は、電話で依頼が来るので、できるだけ具体的な情報を頂き、こちらも的確に情報を伝えるようにしています。コーディネーターの方とは、「一緒に仕事をする」という感覚があります。コーディネーターを経験したからこそ、感じることですね。それから翻訳そのものに関しての、商品感覚が身につきました。
毎日の平均的なスケジュールは?
今後のキャリアプランを教えて下さい。
スケジュールは日によって違いますが、朝の8時半から夜中まで翻訳していることもあります。基本的に自宅にいることが多いです。今まで企業で働いてきましたが、在宅だと翻訳だけに集中できるので、これからもフリーでやっていきたいと考えています。世界中のコミュニケーションのために、もっと役に立ちたいと思っています。 仕事をしていて一番嬉しいのは、お客さんに「助かった」と言われることです。これが一番幸せなことです!
もし、翻訳者になっていなかったら?
講師です。「ものを伝える」ことが好きです。翻訳は、他の言語で何かを伝えることですよね。例えば講師なら、知識を他の人に伝えられます。漠然としていますが、何かそういうことができればと思います。

編集後記
「今は仕事関係の資料に目を通すことが多いけれど、時間ができればもっと日本文学について勉強してみたい」、とフィリップさん。今度是非、葉山さんの作品についてお話ししたいです!
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